白き竜の贈り物(1)
マリアがこの世界を去ってからも、僕の日常はさほど変わらなかった。
即位してからこの方、王太子時代とは比べようにならないほど、僕は多忙を極めていたからだ。彼女の不在に寂しさを感じても、その感情に浸る時間は僕には与えられなかった。
だが、それは僥倖だったと思う。なぜなら、彼女が僕に与えた喪失感というものは、言葉にできないくらいに大きかったからだ。我ながら、これほどまでとは思わなかったほどだ。
彼女はいつか戻ると誓った。人前でも、二人きりのときにも。必ず、僕の隣に戻ると。だから、自分の居場所を空けておくようにと笑う笑顔をよすがに、僕は日々を過ごしていた。
僕の妃は一人でいい。たった一人の、かけがえのない存在。
国王としては、継嗣を儲けないその在り方はいただけないとは思う。古来より続いてきたこの国を継ぐ、新たなる命を求める声は、常にそこかしこから聞こえてきたのだから。
だが、その母となる王妃が不在なのだから仕方がない。今は彼女が帰ってきたときに恥ずかしくない国を作るべきだと、僕は口さがないものの言い分を突っぱねた。マリアが救世の聖女だということもあり、それらの要望を退けることは容易だった。
彼女がいない日々は、積み重なってゆく。それと同時に、僕が守るべき国も、少しずつ変わってゆく。
彼女がくれた平和な世界で、僕は彼女が望んだ世界を作っていく。
だが、喪失感は増していくばかりだった。
勝気な彼女はよく自己主張をしていた。この世界にいないのに、彼女はその面影を様々なところで挟み込んでいく。
すごいね、マリア。短時間だったのに、この城は、君の思い出を色々なところに残していたよ。君が隠れたカーテン。壊した壺が飾られていた棚。最後に君と過ごした僕の部屋。
でも、日が経つにつれ、君の匂いは薄れていって。笑顔の記憶はこんなにも鮮明なのに、耳朶に残った君の明るい声が遠のいていくんだ。
再会の約束がなければ、僕も彼のように旅立ちそうだった。君の姿を探して、この国を、玉座を放棄して。
それだけはしてはいけないと頑張る僕を支えてくれたのは、旅の仲間たちだった。
より良い国を君に見せられるよう、僕らは頑張っている。
だからさ。
そろそろ帰ってきてくれてもいいんじゃない?
もう二年が経つよ。ルチアなんて、そろそろお母さんだよ? セレスティーノに先を越されるとか、予想していたとはいえちょっと切ないよ。
マリアがいつ戻るかなんてわからない。神様にすらわからないかもしれない。
いつまでも待つと約束したけれど、君がいない日々はとても淋しい。
そうなんだ。
君がいない世界は、とても淋しいんだ、マリア。まるで、太陽を失ってしまったかのように。
◆
「だからですね、俺は早く帰りたいんです。いつ産まれるかわかんないんですから!」
どん! と円卓を強く叩いて、セレスティーノは叫んだ。ようやく取り戻した片翼が臨月にある彼は、片翼を失ったままの僕に対しての配慮はないようだ。
「じゃあ、なんで会議に参席したの、君」
片肘を突いたまま軽く訊くと、セレスティーノは真面目な顔をこちらへ向けた。
「ルチアが行って来いって言ったからです」
ルチアに始まりルチアに終わる。たった一人の相手しか見えていないこの英雄は、ときにポンコツだと思う。行って来いって言われたからって……子どもか、君は。
「急に産気づいたらどうするの?」
意地悪く訊くと、セレスティーノの顔が目に見えて青ざめた。それを見たフェルナンドが窘めるように僕を呼ぶ。
「陛下」
「冗談だよ、冗談。アナクレリオも、彼女の友人もブランカの屋敷にいるんだろう? 大丈夫さ」
そう返すものの、フェルナンドの咎める視線は和らがない。
ああ、もう! 嫌味を言うくらいは許してくれないかなぁ。最近、セレスティーノからの駄々洩れな幸せオーラに辟易してるんだ、こっちは。
「クレメンティ様のご心配ももっともです。アールタッドからブランカまではそれなりに距離がありますからね。今回の定例会議は早めに切り上げましょう」
場をまとめたのは、議長を務めるカセルタだった。ルチアの故郷であるハサウェスで町長を務める彼は、こういう風に場をまとめる術に長けている。
「お子様が産まれたら、ぜひお祝いに駆けつけさせてくださいね。私も、家内も、皆楽しみにしているんですよ」
「カセルタ議長、ありがとうございます。すぐに連絡させていただきますね」
小さい頃からのルチアを知っているカセルタは、我がことのように彼女の妊娠を喜んでいた。それもあってセレスティーノはさらっと機嫌を直す。現金な奴だ。
「さて、それでは手早く済ませてしまいましょうか。まず最初の議題ですが──」
仕切り直すカセルタの声に、僕は手元の資料を引き寄せた。そうだ、今は議会が優先だ。
マリアが帰ってきたとき、胸を張れるよう僕たちは頑張らねばならないのだから。




