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黒き狭間の騎士(7)

 修道院での日々は、罪人には似つかわしくないほどに穏やかなものだった。

 当初特別扱いをされかけた私だったが、頼んで新人と同じ扱いにしてもらう。新たに名をもらい、畑を耕し、簡素な食事を口にして、神と天晶樹へ祈りを捧げる。そんな日々を送っていた。


「ウルバノ神官見習い」


 ある日、私の教育係を務める副院長が改まって声をかけてきた。教育係というか、いわゆる監視係だ。しかし、彼はいつでも穏やかな眼差しを私へ向ける。私の罪を聞いているだろうに、彼も院長も、一度もそのことへは触れない。


「はい、副院長様」


 私は手にしていた鍬を脇に置き、膝を折った。そんな私へ、副院長は柔らかな声で来客の知らせを告げた。


「貴方にお会いしたいという人がきております。身支度を整え、院長室まで来るように」


          ◆


「ウルバノ」


 院長室で私を出迎えたのは、部屋の主であるヴィエリ院長と、予想通りの人物だった。


「さて、私は席を外すとしましょうか。それでは失礼しますよ、ブランカ領主殿、ご令室殿」

「ご歓待、ありがとうございました、院長様」


 一礼してヴィエリ院長が退室すると、院長室には一組の若夫婦と、私だけが残された。

 沈黙が続くかと思われたが、案に反して彼らはすぐに口火を切る。


「お久しぶりです、アストルガ副団長」


 救世の英雄は、静かな、けれども友好的でない視線を私へ投げかける。探るような声かけに内心苦笑しながら、私は答えた。


「その名を持つ者は、もういない。アストルガ家は滅んだのだ。今の私の名は、ウルバノという。家名もない、ただのウルバノだ」


 以前、無理やり名を奪った者が、今度は名を失くして目の前にいる。それなのに私へ向ける少女のまなざしは変わらずまっすぐだった。憎しみも、蔑みも、その瞳にはない。

 左腕に銀と木の腕輪を嵌めた彼女は、短くなった髪をひとつにまとめていた。あのとき肩上で切ってしまった髪が、今はもうまとめられるほどにまで伸びている。そこに私は、自分が彼女からすべてを奪っていた期間の長さを見た。それだけの長い時間、彼女はひとり、孤独に晒されたのだ。

 だが、絶望に落とされた長い時間も、彼女のあのまなざしを変えることはなかったと知り、私はひそかに安堵する。


 そんな私の心中を知らない彼女は、まっすぐに私を見つめたまま、私に与えられた新たな名を呼んだ。


「ウルバノ様」

「敬称は不要だ。聖女たる貴殿と、罪人の私では、こうやって顔を合わせるのがおかしいくらいなのだから」


 そう告げ、私は平伏した。騎士の最敬礼と違って、神官の最敬礼は両膝を突き、上体を深く倒す。つい癖で背筋を伸ばして片膝だけを突きがちな私は、意識して両膝を折った。右腕を横にし、垂直に立てた左腕の上に重ねる。天晶樹を表すその手の形は、右手を心臓の上に当てる騎士の礼の形より、彼女に捧げるにふさわしいように思えた。


「そんなこと、おっしゃらないでください」


 だが、彼女は丁寧な物言いを崩さない。元が洗濯婦だった彼女は、思った以上に以前の身分差を引き摺っているようだった。


「ウルバノ様、どうかお顔を上げてください」


 彼女の声が促したが、私は顔を上げられなかった。合わせる顔がない。もちろんそれもあったが、彼女のまっすぐな瞳に応えられるだけの度量がないのだ、結局は。


「ルチア!」


 英雄の咎めるような声に、さすがの私も顔を上げた。見ると、少女は私と同じように床にしゃがみこみ、こちらを覗き込んでいる。


「聖女、それはなりません」

「わたしは聖女じゃないです。ウルバノ様、顔を上げて。わたしはあなたを咎めに来たんじゃないんです」


 おかしなことを言い、彼女は微笑んだ。春の日差しのような優しい笑み。


「あのとき、命を助けていただいて、ありがとうございます」


 ほほ笑んだまま、彼女は私の手に自らの手を重ねた。


「……恨んではいないのか」

「恨めしく思わないと言ったら嘘になります。でも、憎んでなんていません。あのとき、あなたが命を助けてくれなかったら、わたし、こうやってここにはいられませんでした。もう一度、セレスさんと会えたのは、あなたがチャンスを残してくれたからです」

「貴殿は私を赦さなくていい。私が貴殿に対して行ったことは、非道なことだ。貴殿の功績に対して、あまりにもむごいことだ。だから、貴殿は私を憎む権利がある」

「そうですね……」


 頑なな私の態度に、彼女はおかしそうに笑った。


「憎む権利があるなら、憎まない権利だってありますよね。わたしの気持ちは、わたしが決めることです。そして、あなたが赦されたくなくても、わたしはあなたを赦します。そして、あなたがそれを受け入れる日を待ちます。あなたが、自分自身を赦してあげられるまで、待ちますから」


 記憶の中よりも幾分か明るくなった菫色の瞳に私を映して、彼女は優しい声で告げる。


「いつか、自分を赦せたなら、会いに来てください。ブランカにいるわたしに。そして、カフィにいらっしゃる奥様やお子様に」


 こらえきれず瞼を伏せた私に、彼女は「皆さん、あなたを待ってるんです」と重ねていい、そっと立ち上がった。

 英雄が彼女を連れ去った気配を感じたが、私はその場を動けなかった。


 いつか、来るのだろうか。彼女に会いに行く日が。

 いつか、来るのだろうか。失った家族に会える日が。

 だが、待っていてくれるというその言葉を信じ、私は生きたいと思う。

 いつか彼女のように唯一無二の大切なものを取り戻す日を願って、たったひとつこの手に遺されたこの命を、精一杯、生きてみたいと思うのだ。

これで、「黒き狭間の騎士」は終わりです。

次の更新は6月12日の予定です。

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