黒き狭間の騎士(6)
「僕が、王ならばいいんだな」
そう王太子が告げたのが合図だった。
毅然としたその声を聞きながら、私は目の前の騎士を見つめる。
──なにが英雄だ……なにが騎士だ! 俺が欲しかったのは、そんなものじゃない!
彼に血を吐くような声音で叫ばせたのは私だ。
王ではない。私なのだ。
理不尽な命を撥ね退けることもせず、それを請け、なのに土壇場で足掻こうとした、私が叫ばせたのだ。
最初から王を諫めていれば、彼や彼女がこのような悲しみに沈むこともなかった。
これは、胸に芽生えた疑問から目を背け続けた私が生み出した、悲劇だ。
己の業がどのような悲しみを産むかということを考えなかった、私の咎なのだ。
その後、私が王に会うことはなかった。
地下牢の私に王の訃報を届けたのは、団長だった。静かな声で英雄王の即位を告げた彼は、穏やかな、けれども鋭い刃物のような視線を私へ向けた。
「地下牢に来てから、ほとんど食べ物を口にしていないと聞く。死ぬ気か?」
「……まさか」
彼らに殺されたとしても、私が自らの手で楽になることは許されない。単に、食事が咽喉を通らないのだ。水と最低限のものは摂っているのだし、死ぬことはないだろう。
「話してくれるね、フロリード」
「……彼女の、行方をか」
私の返答に、かすかに団長の双眸が見開かれた。
「やはり、生きているのだね?」
「王の求めるものは、この世にあるはずだ。場所は知らぬ。すでに我が手にはない」
生きていてほしい。私はあのまっすぐで静かな瞳を思い出す。かすかに白み始めた空の色。闇から光へ変わる途中のあの色が、今も明るい太陽の下に在ってほしい。
「誰に渡した。……新王・エドアルド陛下の命だ、フロリード。すべてを詳らかにしろ」
王命しか聞かぬと言い放った私を諭すように、団長は王が代替わりしたことを強調する。
「……彼女は、途中で行き合った団員に託し、私や王とは無縁の地へ連れて行ってもらった。彼女の行き先はグイド・アラリーが知っているはずだ。彼女を恩人と言っていたあの男ならば、間違いなく任務を遂行しているだろう」
私が告げるや否や、団長は飛ぶように牢を後にした。きっと彼女は救われる。彼女の唯一の願いであった相手とも一緒になれるはずだ。
「……髪を、切らぬ方がよかったかな」
式を挙げるには、あの長さでは厳しかろう。あのときはそれしか思いつかなかったとはいえ、結婚を控えた若い娘に酷なことをした。クレメンティの剣幕からして、婚約者の髪の長さなど気にするような男ではなさそうだが、それとこれとは別だろう。
乾いた声は誰に届くことなく、石壁に吸われていった。
◆
彼女の行方を吐いた後、私の下へ情報がもたらされることはなかった。見つけられたのか。彼女は生きていたのか。気になるものの、それをたどる術はない。
食事を運んできた者に状況を尋ねても静かに首を振られるだけ。安否確認ができないことが、これほどにも強く引っかかることだとは思いもよらなかった私は、自分よりも彼女への思い入れの深い彼らの焦燥感を思う。
それは、どれほどまでに深かっただろう。生きていてほしいという強い願いと、それを確認できないもどかしさ。
英雄は自ら探しに出かけただろうか。騎士団章を床にたたきつけた男だ。きっと、その足で探索の旅に出たことは想像に難くない。
今は、ただ彼の旅の先に、唯一無二の宝物が見つかることを祈ろう。
そういった日々を過ごしていた私に、その報は唐突に訪れた。
「フロリード、釈放だ」
「……どういうことだ」
てっきりそのまま処刑されるのだと思っていた私は、やってきた団長の発言に驚いた。
「恩赦を受けられるほど軽い罪を犯した覚えはないが」
「きみが地下牢にいては、彼女が気にする」
地下牢に不似合いな明るい色合いの双眸に、私はすべてが終わったことを悟った。
自らの死の瀬戸際に、聖女の無事を願った少女。たしかに、もう彼女に暗いものは見せたくはないだろう。
「いつ戻るのだ」
「セレスティーノから手紙が届いたのが一昨日だ。並行してやってくると換算しても、早馬とでは速度が違うだろう。あと一月はかかるのではないかな」
「わかった」
爵位と共に領地は返納した。騎士団からも退職した私は、これからどこへ向かおうか思い悩む。
妻と子は、離縁して妻の実家へ帰した。彼女たちとは会うつもりはない。そうなると、どこかの修道院か、もしくは魔鉱山あたりに向かおうか。魔石を掘り出す作業は過酷だ。そういうものは、今の私には必要だろう。
「きみには、カルデラーラの地にあるシリオット修道院へ行ってもらう」
だが、私の行き先はすでに決まっていたようだった。
「あんなしっかりしたところへは行けない。もっと、寂れたところが相応しい」
シリオット修道院は、それなりに大きな修道院だ。場所も大きな町中にある。
「いや、これは陛下と相談してすでに決まったことだ。今から身支度を整えてもらったら、すぐに出発する。いいね?」
反論の余地はないようで、私は決定に従い、シリオット修道院へ向かうことになった。湯を浴び、着替えて髭をあたると、かなりさっぱりとした心持ちになる。
身支度を整えた私は、移送されるために馬車に乗せられた。……散々、私が手綱を握った馬車。御者は囚人となり、黒の馬車に乗せられる。
私が間違いなく馬車に乗ったことを見届けた団長は、そっと告げた。
「この馬車の最後の乗客は、きみだ、フロリード。きみを最後にして、この馬車は焼却する」
団長の言葉を合図にして、黒の馬車は最後の旅に出た。




