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幕間 そして少女は



「えっ、最近来てないんですか?」


「せやな。見かけとらんなぁ」


 店主トネリコの話に、ティスは意外そうに目を丸めた。

 馴染みにしているナルカス商会で、大暴走で消費した回復薬(ポーション)などを補充しにきたのだが、そこで意外な話を聞いたのだ。


 シャルロットが、この数日、商店に顔を見せていないと言う。


 彼女だけではない。その従者もだ。

 トネリコとの約束で、ティスとシャルロットはナルカス商会の商品を半額で購入できる。物品購入費が支出の大きな部分を占める冒険者という職業で、この約束はとても役立っていた。

 級の低いティスはともかく、中位の級であるシャルロットにしてみれば出費が半分になるという約束はとても大きい。別の店で買う理由は何も無いはずだ。


「道具を補充しない……仕事を請けてないってことですかね?」


「ウチはてっきり、街を離れとるんかと思うとったけど。来んくなったんは、そうやな。例の大暴走(スタンピード)の後からやろか。宿が同じなら、顔とか合わせへんの?」


「最近は、部屋から出てる姿を見てないです……食事も、女将さんに部屋まで持ってきてもらうように頼んでるみたいで」


 ティスとしても、一日中宿の出入りを見ているわけではない。

 訓練や依頼で外に出ていることも多い。料理番や給仕の仕事のときも、一階の食堂に詰めっきりで客の相手。買出しに出かけたり宿を空けることも多いので、シャルロットの出入りまでは確認できていないのだ。


 てっきり、日中はすれ違って依頼に出かけているのだと思っていた。

 出会ってから今までにも、そうしたことは何度もあったからだ。


「もしかして、病気でしょうか……」


「避けられとるんちゃうのー?」


 医療品ならナルカス商会にも多少置いてある。

 薬草から作った解毒剤や解熱剤などがそうだ。しかし、購入しに来た形跡は無い。


「もしくは、なんやショックなことでもあって寝込んどるとか。ともあれ、気になるんなら見に行ったりぃや。その方が早いで?」


「そうですね。じゃあ、すみません、これ代金です」


 ティスの出した金貨を受け取り、トネリコはにこにこと受け答えた。


「毎度おおきに! 話題の新しいクラン御用達ゆうことで、こっちも宣伝して儲けさせてもらっとるからな! 入用のもんがあったら、いつでも来たってや!」


 ティスに半値で売っても、それをネタになお儲けが出るほど客を集めているらしい。

 商魂たくましいとはこのことか。

 ティスは苦笑しながら、ナルカス商会を後にした。


 最近顔を合わせていない、貴族の少女のことを気にかけながら。



*******



「シャルロット様ぁ、いい加減に外に出ましょうよぉ」


 ベッドの上で丸く膨らんだ毛布を揺らしながら、コノート三姉妹の長女、カリタ・コノートは困り果てた様子で声をかけた。

 けれども、返事は無い。


 シャルロットは、依頼を受けることも無く、宿の自室に閉じこもりきりだった。


 もう何日もこの調子だ。

 落ち込み、沈みきった主人を案じて、三姉妹の代表はどうにか宿の部屋から引きずり出そうと苦心していた。


 身体に異常もないのに、何日も毛布に潜り続けている。

 動員の報酬や今までの蓄えがあるため、宿代に不安は無い。

 だが、ギルドから支払われた、その動員の報酬がシャルロットの矜持を傷つけていた。


「ティスに……合わせる顔がありませんわぁ……」


 外に出れば、ティスと鉢合わせるかもしれない。

 食堂で。ギルドで。街の中で。

 そのとき、どんな顔をすればいいだろうか。


 戦場に赴くティスに、自分も付いていく、と名乗り出ることができなかった。


 言えなかったその一言が、今も彼女を宿の自室に縛り付けていた。

 丸まった毛布の中で、ため息がこぼれる。


「好きな男一人守ろうとする勇気も出せないなんて……こんなわたくしが、冒険者を続けて行けますの……?」


 誰にともない、自分への独白。

 勇気を出した少年は戦場から生還し、街の英雄の一人として帰還した。

 彼はA級冒険者であるユーリカとミレアに認められ、ともに《クラン》さえ結成した。


 ティスを失わなくて良かった、と不安が払拭されたとき、残った現実は、想い人やその周囲の女と差をつけられた情けない自分の姿だ。


 自分の命を守るのが冒険者の鉄則。

 ましてや、自分には率いるべき従者たち三姉妹もいる。

 けれども、自分は女だ。それを理由に惹かれた男を見捨てていいことにはならない。


 A級であるユーリカやミレアと張り合い、気持ちの上では負けまいと思っていた。

 いつか自分もその場所へ登りつめるために。

 それがどうした。いざ蓋を開けてみれば、この様だ。

 

 自信の喪失と自己への嫌悪の中で、ギルドから支払われた動員報酬が彼女の矜持を砕いた。

 ティスを見送ることで、見捨てることで手にした対価。

 『何もしなかった』ことで得た報酬は、鋭い刃物のように彼女の心に突き立った。


 受け取った自分の浅ましさに腹が立つ。恥に涙を流さなかったことだけが最後の意地だ。


 てこでも動かない主人の、自分の姿に、カリタが重い息を吐くのが聞こえる。


 ベッドの上で石と化したシャルロットをびくり、と震わせたのは、部屋の戸を叩くノックの音だった。



「……シャルロットさん?」



 毛布の中で、シャルロットの顔が青ざめる。今、一番耳にしてはいけない声が聞こえた。

 ティスだ。


「あ、あの! シャルロット様は、今、お休みになられてます!」


 部屋の扉越しに、カリタが慌てて受け答える。

 ティスはシャルロットの体調を慮ることばかりを尋ねていた。

 心配をかけないように苦心して誤魔化すカリタとの会話を聞きながら、毛布の中のシャルロットの瞳に、耐えられない涙が滲む。


 愛しい。まぶしい。会いたい。

 けれど、彼を守る女は自分ではない。戦場で絆を結んだユーリカとミレアだ。

 元から勝負にならなかった勝敗がはっきりと着き、自分にはもう。

 彼に、手が届かない。


「――じゃあ、シャルロットさんが起きたら、顔を見せてもらえるよう伝えてください」


 ティスのそんな声が聞こえる。怯えるように、彼女は震えた。

 何を言えばいいのだろう。

 何を言われるのか。何を口にされても、自分に言い返せる言葉など無いのに。


 そんなシャルロットの懊悩を払うように、扉越しにティスが気恥ずかしそうに言った。



「俺、まだシャルロットさんに『ただいま』って伝えられてないんですよ」



 のどが詰まった。

 不意に告げられた、何も変わっていないティスの言葉に、シャルロットは毛布を濡らした。声を上げず、肩を震わせず。


「じゃあ、俺、厨房に行ってきます。……お大事に」


 ティスが、部屋の前から去っていく。

 何を言えばいいのかわからない。そんなことを迷っていた自分を愚かだと思う。

 話したい。ただ一言、彼に『おかえりなさい』と伝えたい。

 帰ってきてくれてよかったと、無事を喜びたい。


 きつく毛布を握り締めるシャルロットに、カリタが静かに語りかけた。


「……シャルロット様。彼は、待ってますよ」


 待ってくれている。

 こんな自分を――


 その事実に、彼女は涙を拭った。

 たった一言を口にする勇気が無かった。だから、立ち止まった。

 ここで止まり続ければ、また同じことの繰り返しだ。二度と立ち上がれず、自分は本当に彼の立つ場所まで辿り着けないだろう。


「――カリタ!」

「はい!」


 たった一言を口にする、その勇気を振り絞るために。

 彼女は立ち上がった。



「――わたくしは、絶対にA級に登りつめてみせますわ! ユーリカやミレアに負けっぱなしではいられませんのよ、ついてらっしゃい!」



 涙で腫らした目で、けれども瞳に決意をたたえて、彼女は毅然と告げた。

 立ち止まるな。前を向け。

 夢に向かってひた走り続ける少年を、守れる女になるために。

 今、おかえりなさい、と彼を出迎えよう。


 主の宣言に、カリタ・コノートは喜びに輝いた笑顔を浮かべた。


「――はいっ!」



*******



 この直後、クラン《天命への道標》に、新たに四人のメンバーが加わることになる。

 貴族の出自を持つ少女と、その三人の従者たち。

 貴族の少女は様々な感情を飲み込み、頭を下げて加入したが、長にその志を尋ねられたときにこう答えたという。


 ――守りたいもののために、絶対に、貴女方のところまで追いついて見せますわ!


 恥を呑み込み、強者と競うことを恐れず、挑むことに怯まず。

 先を行く少年に追いつき、その隣に立って守る決意を胸に秘め……




 そして少女は、走り出す。












読んでいただいてありがとうございます。

二章のプロットと書き溜めを作成するため、しばらくお休みさせていただきます。

次回更新は気長にお待ちください。

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