一章エピローグ 絆に懸ける誓い
ミレアを背負ったティスと合流し、ユーリカは平原を歩いて帰路に就いていた。
その足取りはおぼつかず、よろよろと剣を杖にしての威厳も格好もつかないものだったが、ティスに背負われるミレアの様子はそれ以上に疲弊しており、見栄えを考える気分にもならなかった。今さらだ。
ティスの背で、ミレアはぐったりと身体を預けていた。
「ミレア。身体はどうだい?」
「いつものこったな。指一本動かせねぇ、こうやって喋ってるだけでキツい。まぁ、ティスのおかげで怪我はねぇし、数刻もすりゃ体調は元に戻るだろうよ」
げんなりと力なく答えるミレアに、ユーリカは平時に戻った表情で「何よりだ」とうなずいた。
その足取りを見たティスが、横から声をかける。
「ユーリカさんも、遠慮しないでください。肩を貸しますよ」
「うん? なぁに、いかにミレアが軽くても、人一人背負ってる相手に肩を借りるわけにもいかないよ。私は完全に身動き取れないわけじゃないからね。這ってでも街に帰るさ」
ひょうひょうと、無理を通して答えるユーリカ。
だが、その心根は自分で思う以上に複雑だった。今、ティスに触れれば、平静の仮面が崩れてしまいそうな予感を、彼女は自覚せず抱いていた。
少年に触れれば、距離感が崩れてしまいそうで。
仮にも師としての体裁を保つため、ユーリカは珍しく、意地を張っていた。
「ぅあー、ティス。あたしが変異したときの場所に寄ってくれ。服と鉈を回収してこう」
「わかりました、ミレアさん。周りに何も残ってないから、すぐ見つかりますよ」
背負われるミレアの姿は、裸だ。
竜に姿を変えると、肥大した身体が服を破る。それを避けるために服を脱いでいたのだが、思いを寄せる少年と素肌のままに密着しているのは、ミレアの心に良くない。
少年に贈ってもらった、貴重な神鉄の鉈も回収せねばならないため、とりあえず戦場に投げ捨てたミレアの装備を回収しようかと、三人は平原に視線をめぐらせた。
その空気は戦を終え、和気藹々と平時の穏やかなものに戻っていた。
全員ぼろぼろの姿だが、慣れ親しんだ空気の中に帰り、三人は安堵の中を歩いていた。
その空気が、ユーリカには心地良い。
ほんの少し前までは、空気の心地を感じることは無かったはずなのだけれど。
何かが乾いていた感情に清水が染み入るように、三人でいることに彩りを感じる。
ミレアと二人きりのときは、こんな風に平穏を鮮やかに感じることは無かった。
そこには、ティスという存在が自分たちに大きく作用しているのだと、ユーリカは噛み締めた。
だから、ユーリカは二人に提案した。
小さな、歌を口ずさむような声で。
「……ねぇ、《クラン》を作ろうか。この三人で」
ティスのみならず、ミレアも目を丸めてユーリカを見た。
「えっ!? ミレアさんはともかく、俺もですか? 俺の実力で、二人と?」
「ああ、そりゃいい。ちょうど三人いるしな。クラン結成は、A級を含む三人以上が条件だっけか。二人じゃ組織になんねーんだよ、ティス。いいから三人目になりな」
からかうようにミレアが賛同する。
恐れ多いと慌てふためくティスに、ユーリカは表情を緩め、穏やかな視線で諭した。
「……ティス。きみが駆けつけてくれて、心強かったよ。実力はこれから上げればいい、気にせず受けてくれないか」
「でも……俺はまだ」
ユーリカは、いつもの微笑みの中に精一杯の思いの丈を込めて、言った。
「ティス。きみが隣にいてくれれば、私は、私の望む『私』でいられる気がする。夢を諦めないきみの姿が、私に夢を見せてくれるんだ。私も、ミレアも、きみと一緒にいたい」
ティスに言葉は無かった。
ただ、気恥ずかしさをこらえるようにうつむき、そしてユーリカの目を見て、顔を上げる。真正面から、少年はうなずいた。
その承諾に、ユーリカは満足そうに笑顔を浮かべた。
彼女の自然な、嬉しそうな笑顔を目にして少年の頬が朱に染まる。
平原に気持ちのいい風が吹いている。
苦難を超えた先に吹くその風は、三人の未来を示しているような気がした。
ミレアの装備を回収して平原を見渡すと、脅威が去ったと判断したためだろう。
街から冒険者たちが大挙して出てきているのが見えた。
街に押し寄せてきていた軍勢が、影も形も残さず消えたのだ。ギルドも、民衆の人情としても原因を調べずにはいられない。
三人は大勢の冒険者や街の人間に取り囲まれ、その説明に苦慮することになる。
けれども、それは決して批難や追求の抗議ではなく――
街を救った、ぼろぼろの英雄たちへの賞賛に結びつく包囲だった。
たった二人で戦場に出た彼女たちと、一人戦場に駆けつけた少年は、
多くの人たちに出迎えられて街へと帰りついた。
*******
交易都市へと帰還して三日。
戦闘の疲労の抜けたユーリカとミレアは、ティスを連れてギルドを訪れた。
ギルドを訪れるのは、先日の戦闘の経緯をギルド長に説明した折以来だ。
その際は受付を介さずギルド長室に直接赴いたため、窓口に向かうのは数日振りだ。
久方ぶりに三人の姿を目にしたギルドの受付嬢、ライムは声を弾ませた。
「あら、久しぶりね、ユーリカ、ミレア。もう身体の調子はいいの?」
「私もミレアも万全だよ。心配をかけたね」
「まったくよ。ティスくんまで戦場に出たって聞いて、気が気じゃなかったわ。まぁ、今回はギルドの落ち度もあったんだけど……ティスくんも元気そうねっ。無事でよかったわぁ!」
「あはは、気にかけてもらってすみません、ライムさん」
カウンター板が邪魔しなければそのまま抱きついてきそうなライムの姿に、ティスは苦笑しながら頭を下げる。
その様子を見ていたユーリカとミレアは困ったように顔を見合わせたが、やがて気を取り直してギルドの情勢を知るライムへと質問を向けた。
「で、ライムよ。ギルド内の反発はもう落ち着いたのか?」
「あー、大丈夫よ。冒険者たちも、そこまでバカじゃないから。自分たちであの数の凶種は相手にできないってわかってるから、独断専行への批難より、街の危機を救った功績の方を称えてるわ。貴女たち、名声に磨きがかかったわよ?」
片目を閉じて微笑むライム。
ぼそり、と意地の悪い顔をして、その後を続ける。
「ま、他のA級冒険者やそのクランは、面子が丸つぶれで苦い顔してるけどね! ふふっ」
「……だろうなぁ」
「まぁ、彼女らも根に持つほどじゃないだろうさ。クランを運営してれば、腰が重くなるのは良くあることだからね」
他の各クランとしても今回の結果に不満は大きいだろうが、別に元から敵対している組織ではない。結果だけを見れば、クランの人員は損耗せず、街の危機は去り、動員の報酬は受け取っているのだから損はしていない。
実力や権益的に今さら評判に傷がつくほど柔な組織ではないので、実利的な判断を下せばしぶしぶ引き下がる、というのが妥当な反応だろう。
とはいえ、ミレアと張り合っているアーランディール辺りは悔しそうに歯噛みしている様が思い浮かぶが。
「――それで? 今日はどうしたの、報酬ならギルド長から受け取ってるはずだけど?」
ライムの疑問に、ユーリカは本題を切り出した。
「うん。《クラン》の設立登録を頼みたいんだ。メンバーは、私とミレアとティスの三人。これから増えるかは未定だけど、長は私が就く。二人も了承済みだよ」
「えっ!?」
寝耳に水、と言った具合にライムが目を剥く。
今まで頑なに組織を作らず、自身の力のみを頼りとしていたユーリカとミレアが、クランを作る。それも、残る三人目はティスだ。
突然の情報に驚いていたライムだが、その顔ぶれを見ると、戦場で何かしらの心境の変化があったことは想像に難くない。
すぐさま事務員としての顔を取り戻し、粛々と手続きを開始した。
「ライム、訓練場を借りるよ。……なに、すぐ済むことだけどね」
「良いわよ、誰も使ってないから。何、登録したばかりなのにすぐ訓練?」
熱心ね、とライムはつぶやいた。
設立登録の事務手続きをすべて終え、ユーリカは微笑んで言葉を濁した。
三人は、連れ立って無人の訓練場へと入っていく。
広い訓練場には、誰の姿も無かった。
三人はその中央に立ち、それぞれ向かい合った。
三人にとって掛け替えの無い『儀式』の始まりだった。
新たな《クラン》の長として、ユーリカが代表して二人に告げる。
「さて。これで、私たちは晴れて共同体となったわけだけど」
「話し合うことは山ほどあるな。まずは、クランの方向性を決めるか」
「方向性って、これから『具体的に何をするか?』ですか?」
ふふ、とユーリカは目元を緩め、ティスの誤解を正した。
「もっと根本的な話だよ、ティス。仕事の内容なんて冒険者の延長と決まってるからね。それより、我々がクランとして何を掲げるか、その指針を決めなくてはいけない」
もう決まってるんだけどね、とユーリカは朗らかに笑った。
「ここに誓いを立てよう。我々が、道を踏み外さぬように。皆の目標を、口にしてくれ」
ユーリカが剣を抜く。
斬り交えるためではなく、掲げるために。
「私の夢は、『剣を捧げるに相応しい主を見つける』こと」
ミレアが鼻頭をこすり、腰に下げた鉈を抜いた。
「あたしの夢は、『人生を寄り添える伴侶を探すこと』にしとくか。笑うなよ?」
ティスもまた、剣を抜く。
「俺の夢は、決まってます。――『女性を守れる、強い男になる』!」
三人の手にする刃の切っ先が、囲むように立つその中央で静かに重なる。
自身の振るうもの。命を預けるもの。その象徴として。
交差する剣を見下ろし、三人はそれぞれが決意の下に、厳かに告げた。
「我らは、夢を忘れない」
「――夢を疑わない」
「――夢を諦めない!」
その重なった刃が、天に向けて高く掲げられる。
天に向けて交わる切っ先は、志を示す旗となる。
三人の想いが、ここに重なる。
三人の絆を結ぶ、誓いが交わされる。
彼女は、声高らかに宣言した。
「我らは今、ここに、クラン『天命への道標』を結成する!」
*******
少年はまだ、気づいてはいない。
男よりも女の強いこの世界で。
男を守る『女』を守ろうとすること。
誰よりも強い存在の、その上に立ち、庇護する存在を目指すこと。
男を女が守り、その女を少年が守ろうと志すならば――
万民を守る者。
それはまさしく、『王』への道であることを。
この三人の誓いは、後の歴史にも語られる。
国を超えて、種族を超えて。性別すら超えて。
やがて幾多の伝説を残す《クラン》が結成されたこの日のことを、後の歴史家はこう記す。
――夢へと至る誓い。
だが彼と彼女らが伝説を築くのは、まだ訪れぬ遠い遠い未来の話。
彼らが歩む歴史は、この日より刻まれる。
史実を彩る英雄たちの絆は、この誓いから始まる。
この日、少年と『騎士』と『竜』は、契りを結んだ。




