ドラゴンカーニバル
都市の外壁にも届く、見上げるほどの巨躯。
地を引き裂く爪をたたえる巨大な四肢。
天を駆ける翼に、大樹よりも太い尾。全身を鋼をしのぐ硬度の鱗に覆われ、その金色の瞳が大地にはびこる有象無象を睥睨する。
――竜。
ときに幻獣とも神獣とも称される地上最強種の雄々しき姿が、戦場に降臨していた。
『……怖いか、ティス?』
炎の混じる吐息を吐き、竜は地上少年に語りかけた。
竜身変異。
竜の血を引き、その身の一部を竜に変えて戦う竜人種たちの、これが最終奥義。
自身に流れる竜の血を活性化させ、一部ではなく身体そのものを竜種へと変異させる。
数ある獣人族の中で竜人種が最強とうたわれる由縁であり、また恐れられ忌避される理由でもある。
初めて目にする地上最強生物の姿に、少年は畏怖を抱くより先に、目を輝かせた。
「いいえ! 格好いいです、ミレアさん!」
『知ってたぜ。お前なら、そう言うと思った』
束の間、竜の鱗に覆われた厳しい威容が、にやりと微笑んだように見えた。
『乗れ、ユーリカ!』
「わかった。ティス、掴まりなさい」
ユーリカがティスの手を掴み、竜と化したミレアの巨躯に向けて跳躍する。
その瞬間、ミレアの巨大な竜の尾が、地上を薙ぎ払った。
群れ成していたオーガやトロル、大型の凶種たちが吹き飛ばされ、巨大な質量にぶちぶちと押し潰されていく。
自分の背に降り立ったユーリカとティスに、ミレアが問いかける。
その瞬間にも振るわれる竜の巨大な爪は、土を払うように地上の凶種を薙ぐ。
その一撃一撃が、数十から数百の敵を討ち払う。
『さて、どうするよ、二人とも? 道は二つあるぜ。前に進むか、街に退くかだ』
大群をも塵芥のごとく蹴散らす、圧倒的な竜の姿だが、そう都合のいい手段ではない。
人の身で無理に竜種の姿を顕現しているのだ。
この姿を維持できるのは、持って数分。それが終わればミレアは元の姿に戻り、力尽きて身動きが取れなくなる。ゆえに、この力を使うのは戦いの終わりを見定めたときだけ。
戦いに勝つか、倒れるか。
二つに一つしかない。大きなリスクを伴う、まさに彼女の最後の手段だ。
時間は限られている。道を選べば変更は効かない。
そう告げるミレアに対し、ティスは前を見定めて決然と口にした。
「ユーリカさん、ミレアさん。二人は、この先に進まなきゃいけない理由があったんですよね? なら、お供します。行きましょう!」
「ティス……そうだね。私たちの予想が正しければ、街に篭れば私たちの負けだ。ミレア、進んでくれ!」
ティスに背中を押され、ユーリカは決断した。
自分たちの勘と分析によれば、まず間違いなく最悪の予想が的中している。
自然発生ではあり得ない、汲めども尽きぬこの群れの数がその証拠だ。
自分たちを信じる少年の意志に心を奮い立たせ、彼女らは前を向く。
『あいよぉ! 数を減らしてく、あたしの背中から落ちるんじゃねぇぞ、二人とも!』
その翼が大きく羽ばたく。空を舞うためではない。竜の巨体に取り付き昇ってくる凶種を振り落とすためだ。
その爪で、足で、巨躯の腹で、全身で大地をなめすように前方の敵を竜が押し潰していく。
殲滅、と言う言葉がよく似合った。彼女の、巨大なる竜の行く手に敵はない。
『――どけぇ、雑魚どもッ! ミレア様のお通りだ!』
振るう爪が土砂を巻き上げ、斧のような翼が周囲を引き裂き、地を揺らす後脚が命を踏み潰す。凶種という『数』の地平を埋める大海を屍の海に変えて、彼女は進んだ。
雷鳴のごとき竜の咆哮が、平原を、戦場を揺らして響く。
前に続く道が、切り拓かれていく。
血と肉と砂煙の吹きすさぶ中で、踊る――
それはまさしく、竜と言う名の破壊が巻き起こす、巨大な嵐に相違なかった。
*******
「――うわ、何やあれ!? あんなん反則やん!」
ナルカス商会交易都市支店の主、トネリコ・ナルカスは外壁で屋上の縁に手をかけ、興奮に身を乗り出していた。
矢玉や食料、医療品などの物資を納めに来た外壁の前線に訪れていた彼女だったが、自分の目にした光景に目をみはった。
外壁の上から平原を見渡し、その中に突如現れた一匹の竜が、平原に広がる敵の海を蹴散らしていく。
迫り来る敵の数に怯えていた市民や冒険者たちにとって、それはまさに爽快の一言に尽きた。都市を脅かす魔の群れを物ともせぬその姿に、外壁にいた市民も冒険者も皆、興奮を抑えられずにいた。
「行ったれ、いてまえやッ!」
その竜の正体を彼女は明確には知らない。
周りで外壁から身を乗り出す、市民の多くや冒険者たちの一部もそうだ。
だが、街を守るように大暴走の群れを蹂躙していくその巨大な存在に、誰もが声を上げ始めていた。
戦場に突如現れた竜を応援する声援が、伝播し、外壁中から放たれる。
その正体を、街を守るために立ち上がった少女だと知らず。
その背に乗るのは、強者の賛同を得られずとも立ち上がった剣士だとも、
その二人を支えるために単身死地に飛び込んだ、一人の少年だとも知らず――
未来を希望する声は、広がっていく。
「あれはミレアの……ティスが辿り着いたんですの? ティスを守るために……?」
戦場に現れた竜の正体を知るC級冒険者、シャルロットは自分の胸を強く握り締めた。胸中を占めるのは、強い不安と、後悔だ。
なぜ、自分はティスを止めなかったのか。
ティスは無事に帰ってくるだろうか。
いや、ミレアが『最後の手段』を用いるほどの苦境だ。
街の住民たちはのん気に騒いでいるが、あれはそんな希望に満ちたものではない。良かれ悪しかれ、戦いの最期を確信した帰り道のない片道切符だ。
凶種の群れの大部分が残る状態でミレアがあれを使ったという事実は、彼女の脳裏の中で最悪の予想に結びつく。
戻る気のない、吶喊――?
シャルロットは強く頭を振り、その悪い予感を打ち払った。
ミレアとユーリカはベテランだ。冒険者の中の最高峰、A級の称号は伊達ではない。
きっと、勝算があるはずだ。
ティスもきっと無事に戻ってくる。
そう信じようとする彼女の中で、どうしようもない自分への悔恨が滲む。
なぜ、自分はティスと一緒に行くと言えなかったのか。
なぜ、自分はミレアとユーリカを信じるティスを、信じられなかったのか。
ティスがアーランディールに連れられていくその瞬間、自分も行くと、ただ一言。
ただ一言、名乗り出れば良かったのだ――
だが、その機会はもう訪れない。
遠い戦場に赴いた少年に追いつく術はない。
シャルロットは涙を滲ませ、強く願った。
「お願い……ティス、どうか無事に帰ってきてくださいまし……!」
戦場を眺めるA級冒険者たちは、その戦況に目を見開いていた。
まさかミレアが、巨大なリスクを伴うはずの変身を使うとは思ってもみなかったのだ。
魔術部隊を控えさせる『魔女』オルセナが皮肉交じりに口元をゆがめる。
「あららぁ……ミレアったら、よっぽど追い詰められたのねぇ。アレを使ったってことは、もう持たないってことかしらぁ?」
その分析に、『全知』テムノットが緊迫した面持ちで異を唱えた。
「……いや、ミレアは前に進んでるよ。……あの姿になったなら、街に引き返すこともできたはず……何か、目標があるんだよ……」
「会議でユーリカの言ってた、魔族がいるって話? 本当にいたのかしら? ――ねぇ、アーランディールぅ。貴女、あのひ弱そうな男の子を戦場に送っていったんでしょ? そんな気配、本当にあったの?」
隣に立つ『天駆』アーランディールは、悠然とした面持ちで戦場を見据えながら答えた。
「さぁなぁ。わかんねぇよ、オルセナ。何せ、最前線は凶種が壁みたくひしめいてたからなぁ。……ただ、わかってることはあるなぁ」
「……何? ボクの知らない情報?」
「そうだなぁ、テムノット。お前の知らない情報だぁ」
アーランディールはそう言って、くく、と愉快そうに笑った。
いかな『全知』とは言え、この事実はまだ知り得ないだろう。
戦場に向かった少年は、決してひ弱ではない。
その心は、誰より――どんな女より、強かった。
「ミレアを動かしたかぁ……いや、二人の背中を押したのかぁ……? やるじゃねぇか、かわい子ちゃん。これでおっ死んだらただの阿呆だが――」
その口元が、柔らかく綻ぶ。
「――もしも生きて帰ったら、お前は、すっげぇ『いい男』だぜぇ」
また会いてぇな、とアーランディールは声には出さずつぶやいた。
もしも、あれほどまでに女を信じ、そして身体を、命を張って女を支えられるのなら。
もし、そんな男がいたとしたら。
「……本気で口説くのも悪くねぇなぁ」
期待してるぜ、とアーランディールのつぶやきが、戦場の風に乗って溶けた。
*******
戦場を突き進む竜の背で、ユーリカは叫んだ。
「ティス! 私の命に代えてもきみは帰す――と言いたいが、もう戻れないかもしれないよ。覚悟はあるかい?」
ティスは、迷わずに答える。
「はい!」
少年の答えは、決まっていた。
「俺は――絶対に、二人の背中を支えます! それが、俺の決めた道ですッ!」




