駆けつけろ、今
灰色の肌を持つ禍人は、赤い瞳で戦場を見た。
都市の住民が自然発生の大暴走と判断すれば、それで勝負は終わるはずだった。
だと言うのにどうしたことか、群れに対し攻勢をかけてきた者たちがいる。
たった二人。
かなりの手練れだ。並み居る凶種をものともしていない。
数からして、都市からは孤立しているのだろう。
次第に数に圧され、群れの中に飲まれた。
相手が軍ではないのなら、話は簡単だ。
にぃ、と岩片の突き出た口元を歪めた。
凶種の包囲を突破できていない。ならば、いずれ潰れる手勢だ。
このまま数を増やせばいい。
傍らに置いた大きな袋から、中身を取り出す。
手の中に掴んだ大小さまざまな大きさの魔石を、握りつぶすように力をこめる。
小さな黒い光とともに、魔石は手の中に溶け、握り締めた手から黒い濁りが滴り落ちた。夜の闇を凝縮したような濁りは地面に触れると同時、ぞろり、と彼女の前方に大きく広がっていく。
小さな沼じみて地面に広がった濁りの中から、数々の凶種が這い出てきた。
トロル。オーガ。サイクロプス……
魔術によって形作られた仮初の命。
術者の加護が途切れぬ限り肉として在り続ける、形を持った魔術は、いまや幾千幾万の群れとなって人の都市を襲う。
人の命から作られたあまたの魔石が、次々と軍勢を生み出していく。
アルタール・ラバシュ。
わずかに生き残る魔族の中で、彼女の名を知らない者はいない。
無限の軍を統べる召喚術士――
『加護』と『呪い』、二柱の神の祝福を受ける魔族の中で、彼女は弱い。
その二つは自身の身体能力の強化には用いられないためだ。
だが、個としては最弱ながら、その能力は『最強』を殺す。
自身は非力であり、呼び出す凶種も単体では無敵とは言えなくとも、たった一点。
『数』という力が彼女を強者たらしめる。
単騎で戦を起こせる『将』としての能力は、数を減らした魔族にとって世界の簒奪を目論むに足る重要なものだった。
かつて、強き者――魔族に対し、人族を始めとする四大種族は『数』で団結し立ち向かった。その結果覇権を掲げた勝者に対し、同じく『数』で滅びをもたらすという皮肉。
なんたる愉悦か。
戦場で奮戦するわずか二人の強者に向け、『呪い』を持つ魔族、アルタールはニィ、と惨忍な笑みを浮かべた。
強者よ、弱者に狩られるがいい――
*******
「暴れんなよぉ! 喋ったら舌噛むぞぉ!」
資材を担ぐがごとくティスの身体を肩に担ぎ、アーランディールは平野を駆けた。
豹の獣人の脚力と俊敏さに加え、女性としての『加護』もある。
まして、ギルド内最速とうたわれる彼女の健脚は、広大な平原を狭い庭地のごとく走り続ける。
その速度は、ミレアに背負われたときより倍は速い。
風はおろか、動かぬ空気が壁となって身を打つほどだ。
途中にすれ違った、はぐれ凶種たちは、瞬きをする間もなく崩れ落ちた。
アーランディールの持つ短剣が、寸分たがわずその喉首を切り裂いたからだ。
瞬時に出会った命を刈り取る。
彼女もまた、ユーリカやミレアに劣らぬ冒険者最強の一角であった。
「全部を相手にしてると、戻りが遅れる。馬鹿力や剣技の破壊力は、ミレアやユーリカの専売だぁ。あたいは、あんな大雑把な真似はしねぇ」
すぐに戻らせてもらうぞ、と彼女は言い切った。
怯えではない。責任だろう。
彼女にもまた、守るべきものがあるのだと、表情が物語っていた。
「ここまで連れてきてもらっただけで充分です、アーランディールさん。ありがとうございます!」
「死地に追いやって、投げ捨てに行くあたいに礼を言うかぁ? そこは感謝じゃなく、恨み言だろうよぉ? お前、今から死にに行くんだろぉ!」
「二人のところに向かうのは、俺の意思です! 今、この瞬間に、二人のそばに行けるのなら――命だって惜しくない!」
ちぃ、とアーランディールは吐き捨てるように表情をゆがめた。
若い冒険者のはやり気――いつだって、命を落とすのは大切なものを省みない無謀だ。
けれども、ティスは正面を見据えて、言った。
「死にたくない。死ぬのが怖い。生きていたい。俺だってそう思うけれど――使うべきときに命を使わず、惜しむだけなら、それは命を持たない死人と代わりない! だから、行きます。何があっても! みんなで生きて帰るために!」
その一言に、アーランディールの顔色が変わった。
ほんの束の間、ティスの表情を見る。その視線に不快さは残っていなかった。
驚くような表情の後、ふっと表情を緩め、彼女は叫ぶ。
「いい覚悟だ、うちの女どもに聞かせてやりてぇな! 生きて帰っちゃこれねぇ場所だぁ、かわい子ちゃん! それでも生きて帰ってきたなら、ちったぁ惚れてやらぁ!」
「俺――もう、好きな人がいるんですよっ」
「そいつぁ残念だ! でも一晩を目当てに口説くのはあたいの勝手だなぁ! ――そら、見えてきたぜ!」
凶種の取り囲む肉の壁が眼前に迫る。
血しぶきと暴力の痕跡の吹き荒れ、その肉片の飛び散る修羅の領域に、二人がいる。
アーランディールは、加勢はしない、と言った。
それは彼女なりの意地なのだろう。あるいは、そこには、同級である二人の実力に対するいくらかの信頼も混じっていたのか。それはわからない。
アーランディールは、足を止めた。その勢いのままに、振りかぶるように担いだティスの身体を両手で群れの中に投げ込む。
投げられる間際に見たアーランディールは、挑戦的に笑っていた。
「あばよ。達者でな!」
ティスは、晴れ晴れと答えた。
「また会いましょう、アーランディールさん!」
大きな弧を描いて、ティスはひしめき合う軍勢の中へと踊り出る。
剣を抜き、着地する勢いのままに群れた凶種を斬り裂いた。
すぐさま取り囲まれ、退路が塞がれたが、そんなことは彼の目には入らなかった。
死線を駆け抜けるティスの眼差しは、前だけに向けられていた。
*******
うずたかく積みあがる凶種の屍。
押し寄せる生きた軍勢。
生死を問わぬ肉の壁に取り囲まれ、どれほどの時をすごしたか。
迫る刃を、拳を、斬り続け、潰し続けて幾万の敵を葬ったか。
それでも尽きぬ軍勢が、葬られるのは自分たちなのだと語るように威圧する。
鈍り始めた自分の剣筋に、ユーリカは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「これは、覚悟を……決めるべきかな……」
「諦めんな、ユーリカ! こうなりゃ、あたしが――」
焦燥と憔悴に、叫びの中に悲壮を滲ませながら、ミレアがユーリカの動きをかばう。
状況は四の五のと言っていられない。
追い込まれ始めた二人は、切り札を切る決意を強いられた。それは、帰りのない片道を進むのと同じ行為だ。断崖に向かって走るしか道はない。
それでも良いか、とユーリカはふと思った。
志半ばに折れたとしても、夢に向かう者が後にいるならば――
この宛てのない夢を託して散るのも、また一つの生の果てだ。
ユーリカは気力を振り絞り、残る『加護』を剣に込めようとした。
道を切り開く。
数を減らせば、ミレア一人でもこの包囲を切り抜けられる。
力尽きた自分をかばわず、見捨てれば、の話だが――
「……ここでさよなら、かな。ミレア。――ティス……」
小さなつぶやきとともに、その表情から笑みが消える。
彼女の剣が大きく輝き、振りかぶられた瞬間、
ユーリカとミレアは、その声を聞いた。
幻聴かと思った。
疲労が囁いた、幻かと。
いるはずがないのに。
こんなところに、いてはいけないのに。
自分たち二人しか味方はいないはずのこの戦場に。
二人の大切な声が、確かに聞こえた。
「ユーリカさん! ミレアさん! ――無事ですかッ!」




