戦場に駆ける刃
「数を減らす――のは贅沢だね。この凶種の群れを突っ切って、一度奥まで行こう。もし発生源があるなら、そこに魔族の姿があるはず!」
「確かめに行っか! もし何も無いただの大暴走だったら、反転して領主軍と挟み撃ちだ! 何も無けりゃってのが、都合いい考えだと思うけどな!?」
迫り来る凶種の軍勢は、二人からすれば広大な肉の城壁のようにも見える。
二人は躊躇わず、そこに斬り込んでいった。
前衛は足の速いコボルトとゴブリンの混成部隊。防衛都市での報告には無かった四足歩行の獣型凶種や、それに騎乗するコボルト騎手やゴブリン騎手が群れを成している。
互いに高速で駆ける者同士、激突は早かった。
「――押し通る」
だが、相手にはならなかった。
走る速度を緩めず、ユーリカが剣を振るう。
ユーリカの手元が景色に溶けると同時、襲い掛かる凶種たちの間に光の筋が微かにきらめいた。
次の瞬間には、大量の血を撒き散らしてコボルトや狼たちの肉片が背後に散っていく。高速の斬撃による斬閃の結界だ。ユーリカの剣の間合いに入った者は、『加護』を受けて強化された刃によって容易く切断される。
踏み込む者、立ち入る者すべてを肉片に変える剣神の支配領域と言えた。
「邪魔だぜ、てめぇら!」
対して、ミレアの手法は単純だ。
跳躍し、迫る凶種の頭部に掌で触れる。ただそれだけで、紙を引き裂くがごとくゴブリンやコボルトの首が引き抜かれていく。
技ではない。ただの腕力。
砂をかき取るような労力で振るわれる圧倒的な暴力が、押し寄せる凶種の身体を引き裂き、血風を撒き散らしていた。
返り血すら浴びぬ速度で目まぐるしく動き、振るった腕が、ただ振り回しただけの鉈が、コボルトの群れを破壊していった。
竜の力の前には、技など要らぬ。ただ振るわれる腕があれば最強だ。
手のひら一つで命を砕く、暴君がそこにいた。
災害のような二つの『個』を前に、大抵の生物は逃走を選択する。
それが野生の獣であればなおさらで、凶種もまた、程度はあれその傾向はある。
だが、眼前に押し寄せる群れは違った。
この群れの個体たちが選択した方法は逃走ではなく――
密集だった。
「……まずいね」
「恐れてた可能性が、現実味を帯びてきやがったな」
ゴブリンやコボルトたちの咆哮が轟く。
その咆哮を合図に、後続の騎手たちは進行方向を変えた。
行き先を絞り、ユーリカとミレアに向けて殺到してきたのだ。
一対一で相手にならぬのならば、他が屠られる瞬間に別の個体が仕留める。
その個体までもが屠られたなら、さらに隣の個体が。
次の個体が。さらに次の個体が。
相手が殺しきれない数で襲い掛かる、という単純な作戦。
ユーリカとミレアの表情に緊張が走る。
これは、単一の野生動物の行動ではない。個体としての命を捨てて群れとしての勝利を狙う、群生動物や昆虫などが取りうる選択。
それは一つの事実を示している。
この群れは、単一個体の寄り集まったものではなく、兵士の集団なのだ、と。
前線を担うのが兵士であれば、そこには必ず指揮官が存在する。
兵士に対する元帥しかり、兵隊種に対する女王種しかり。
そして、ゴブリンやコボルトたちの間にはまだ、種族の指揮者らしき姿が見えない。
種族を超えて、この魔物の群れを統率する、支配者がいる――?
浮かび上がる可能性に、ユーリカとミレアは奥歯を噛み締めた。
やがて、ユーリカとミレアの駆ける脚が止まった。
次々と押し寄せ、修復され続ける肉の壁に立ち止まらざるを得なかったのだ。
切り捨てる傍から、叩き潰す傍から、すぐにその隙間を次の個体が埋めていく。周囲に積み重なる屍は全体から見れば微々たる数に過ぎず、二人の進路は塞がれた。
剣を振るう手を休めずに、ユーリカは全体に視線を巡らせる。
騎手たちの先発隊を相手にしている間に、本隊が迫ってきていた。
オーク、オーガ、トロル、この周辺では見かけない単眼巨鬼までいる。
「ミレア!」
「おう!」
ユーリカの掛け声を合図に、ミレアはユーリカの背後に移動した。
足を止められた以上、背後の隙を無くさねばならない。距離は開いているものの、ミレアと背中合わせに陣取ってユーリカはその隙を潰した。
だが、それは軍勢に包囲されることと同義でもある。
たちまちに群れを成し、分厚く積み重なる凶種の肉壁に囲まれ、ユーリカは屈強な本隊に抗するべく『加護』を強めた。
淡い光に覆われたユーリカの剣は、筋肉の塊のようなオーガやサイクロプスを一刀の元に斬り伏せていく。
休息も無く、ユーリカはただ好機を探して剣を振るい続けた。
「ユーリカ! いい加減うんざりしてきたぜ、『竜血』を使うか!?」
「数が多すぎるよ。今、ミレアに倒れられると私だけでは残りを狩りきれない」
「くっそ! 終わりが見えりゃ、戦いようもあんのによ!」
「少しずつ進もう。……それしかない」
そう結論付けるユーリカの笑みは、強張っていた。
巨躯の軍勢により、視界が塞がれているのが最大の難点だ。
百は斬ったか。二人で千にも届く数を蹴散らしたか。
それでも、その数は全体の一割にも満たない。
残りがどれだけいるのか。果たして最初に見えた数だけで勘定してもいいものか。
きっと、それでは足りない。
ユーリカとミレアは敵を潰し続け、それでも少しずつその群れの中心へと迫ることを決めた。
数に圧され後退することもあるが、わずかずつでも、凶種の迫るその根源へと道を切り開いていく。にじるように。這うように。少しずつ。
凶種が牙を剥く。その腕を、爪を、手にした武器を振るう。
ユーリカとミレアの体力も無限ではない。
その動きが疲弊に止まったとき――
二人の身体と命は、群れを成す暴力と獣性に貪られるだろう。
ミレアの焦りは的を射ている。
闘争の疲労は体力と精神を削る。息をつく暇も無い戦いを、何時間も続けるわけにはいかない。
噴き出る汗と返り血に塗れながら、ユーリカの口元は歪んでいた。
自身に迫る脅威を前に、込み上げる諦観を抑えるべく、彼女は笑顔を崩さなかった。
余裕など最初からどこにも無い。
ただ、無心で剣を振るう、一振りの刃となることが雑念を追い出す最良のすべだ。
逃走も退避も選択には無い、恐怖が役に立つ余地は無い。
無慈悲に開かれた虎口に、悲哀が入る隙間は無い。
「さて――果たして、私の刃は届くかな?」
知らず、荒れ狂う血の嵐の中で、ユーリカは冷たく微笑んでいた。
命の潰え散る中で、果てるは自分か、この群れか。
戦場を俯瞰するような極度の集中に身を任せ、彼女は剣と同化する。
生を捨て、情を捨て、当てども無き先を見据え、無機に空虚に剣舞を踊る。
彫像と同じ、命無き者の微笑が彼女の口元に浮かんでいた。




