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ただ、好きだから



 ベッドに押し倒されたティスの身体を、ミレアの手が這う。

 シャツをまくり上げ、その下の肌に触れる。


「あ……ミレアさ……」


 ティスの口から、か細いつぶやきが漏れる。

 しかし、ミレアの耳には届かなかった。

 壊れ物に触れるようにティスの胸を撫で、首筋に口付ける。

 少年らしい、綺麗な肌だった。

 ちろり、と首筋に自分の小さな舌を這わせると、脳がしびれたように甘美な味がした。


 ずっと、こうしてやりたいと思っていた。

 ティスを背負って重みを感じるたび、ティスの汗の香りをかぐたび、何度その肌に触れて身体を抱きしめることを夢見たことか。


「ん……ふ、ぁ……」


 ティスの微かに悶える声すらも愛おしい。

 女の欲求が、男を組み敷く立場である女性の欲求がミレアを突き動かす。

 初めて触れる男の肌。愛しい男の肌。

 その感触が、その匂いが、その味が、ミレアの女を刺激した。


 着ていたシャツを脱ぎ捨て、素肌を押し付けるようにティスの肌を堪能する。

 自分の膨れた胸が、少年の胸にふにゃりと潰される感触すら快感だった。


 その熱が冷めたのは、口づけを交わそうとしたときだ。



 少年の、固く目をつぶって震える姿が、自分への怯えを彼女に伝えていた。



 怯えるティスの姿に、ミレアは冷や水を浴びせられたように真っ青になった。

 あられもない少年の姿を見つめ、ミレアは下の下着一枚の半裸姿で襲いかかっている自分を見つめた。


 自分の表情が、次第に眉が下がり、苦しげなものへと変わっていくのがわかる。

 自分が何をしているのか。自分が本当は何をしたかったのか。

 自分が欲しかったものは、何なのか。

 胸の中に、とめどない後悔が押し寄せてきた。


 ミレアは身体を離し、うなだれた。


「……?」


「悪かったな、ティス」


 ぽつり、とミレアの口から謝罪が漏れる。

 ティスの身体から離れ、ベッドの端に、ティスに背を向けて座り込む。


「仕事に戻れ。できないなら……自分の部屋に帰れ。ここでのことは忘れて……出てけ」


 ミレアは、振り返らなかった。

 向けられる顔が無かった。

 ティスを無理やりに襲い、身体を奪ったとして、その後に何が残るのか。

 本当に欲しいものは、手に入らない――


 びくり、と彼女は身体を震わせた。

 罪悪感と後悔に苛まれるミレアの身体に、触れる者がいた。


 ティスが、自分を後ろから抱きしめていた。


「……何のつもりだよ、ティス」


「今、出て行くと、ミレアさんが遠いところに行ってしまいそうな気がしたんです」


 遠いところ。そうかもしれない。

 今、ティスを部屋に返したところで、明日はどんな顔をして会えばいいのか。

 ユーリカとも別れ、一人でここではない遠いところへ逃げ出していたかもしれない。


 その逃避を、ティスは背後から抱きしめて繋ぎとめようとしていた。


「……襲っちまうぞ」


「それでも、ミレアさんがいなくなっちゃうより良いです」


「あたしが怖くないのか。お前を犯そうとしたんだぞ?」


「でも、止まってくれました」


 何か一言を口にするたび、胸が引き裂かれそうな苦さが溢れてくる。

 彼女の心を繋ぎとめたのは、ティスの口にした一言だった。



「俺にとっては、ミレアさんも大事な人なんです」



 この気持ちを、忘れられたらどんなに楽だろう。

 この欲望を、すべて消し去ってしまえたら、どれだけ清らかに彼を愛せるだろう。

 自分を守る、ままならない心のたがが、壊された。


「……あたしはっ、つがいが欲しいっ! あたしを怖がらず、愛し合えるつがいが欲しい! お前となら、それが叶うと思った。お前の身体が欲しい。心が欲しい。お前と一つになれて、お前の子どもを宿せたら、あたしはどんなに幸せになれるか!」


 涙が頬を伝うのを止められなかった。

 女が涙を流すのは恥だとしても。小さな矜持を超える、衝動がミレアの口を開かせた。

 抱きしめられるまま、彼女は思いの丈をすべてぶちまけた。


「でも……でもよ……っ!」


 けれども、理解しているのだ。

 一番傍にいた自分だからこそ、他の誰よりも。



「お前が惚れてるのは……ユーリカなんだな……?」



 ティスは、すぐには答えなかった。

 背越しに伝わる苦悩と逡巡の中で、搾り出すような一言がミレアの耳に届く。


「……はい……っ!」


 言葉はなかった。

 その瞬間の苦しみを表すどんな言葉も、ミレアは持ち合わせていなかった。

 泣き喚いて、自分のものになって欲しいと懇願したかった。

 けれど、それは夢を持つ少年への思慕と、最後に残った自分の、ちっぽけな矜持が許さなかった。

 だから、ミレアはティスの手を振りほどき、振り返った。


 そして笑う。精一杯の、明るい笑顔を作ってミレアはティスに笑いかけた。


「なら、それでいい! そのままでいろ。お前は、そのまま夢に向かって進め!」


 そしてティスの身体を抱き寄せる。

 まとうもののない、裸の心にティスを抱き寄せる。


「ティス。あたしはお前が好きだ。夢を諦めないお前が好きだ。あたしの傍にいてくれる、お前の傍にずっといたい。たとえつがいになれなくても、お前はあたしの一番大事な男だ」


 ミレアの、吹っ切れたような告白に、ティスはミレアの表情を覗こうとした。

 それをさえぎるように、ミレアは自分の胸にティスの頭を押し付ける。

 顔を見られたくはなかった。

 涙に濡れた自分の顔が、うまく笑えているか自信が無かったから。


「あたしのことは姉だと思え。お前はあたしの弟だ」


「……お姉……ちゃん……?」


「そうだ、姉ちゃんだ。弟のことは、姉ちゃんが守ってやる。苦しいときは、耐えるばかりじゃなくあたしに甘えろ。困ったときは、あたしを頼れ、ティス――」


 ああ。温かい。

 胸に抱く、少年のぬくもりが愛おしい。

 身体を抱かずとも、心を抱くことで、何よりも温かくなれるのなら。

 今は、ただそれだけで良い。


 精一杯の想いを込めて、ミレアは優しく告げた。



「――姉ちゃんは、お前のことが大好きだよ」



「お姉ちゃん……」


 ティスの手が、ミレアの背に伸びる。

 その手が柔らかく、自分の身体を抱きしめる。

 その感触が、温かさが、ミレアの心を満たした。


 自分は今、うまく笑えているだろうか。

 そうだ。

 欲しかったのは、身体ではない。このぬくもりだ――



 月明かりの射す部屋の、ベッドの上で。

 二人はひっそりと、ただ静かに抱きしめ合っていた。



*******



 夜が明けて、翌朝。

 食堂に降りてきたミレアは、ユーリカの顔を見て顔をしかめた。

 その様子に、ユーリカの眉根が寄る。


「どうしたんだい、ミレア。なんだか不機嫌だね?」

「別に。不機嫌もご機嫌もねぇよ」


 むすり、と席に着くミレア。顔はそっぽを向いているが、視線はユーリカの方をちらちらと見やっている。


「何でこんな、つまんねぇ朴念仁が良いのかねぇ、あいつは……?」

「意味が分からないけれど、何だかひどい言われようだということはわかるよ」


 冷や汗を流しながら茶に口をつけるユーリカ。

 そこに、朝の支度を終えたティスがやってくる。


「おはようございます、ユーリカさん! それと……ミレア、お姉……ちゃん?」


 恥らい混じりのティスの呼びかけに、ぶふぉ、とユーリカが茶を噴き出した。

 慌てたのはミレアだ。


「ば、ばか、ティス! ユーリカが笑ってんじゃねぇか! 呼び方なんて今までどおりで良い! 今までどおりで!」


「あ……そ、そうですよね。ごめんなさい……」


 トレイで顔を隠して、しゅんとうなだれるティス。

 その様子に、ミレアはばつの悪そうに頬をかき、照れながらぶっきらぼうに言った。

 甲高い彼女の声が、か細くティスに届く。


「で、でもよ……呼び方は今までどおりだけど、昨日言ったことは本心だからな。わ、忘れんじゃねぇぞ」


「……! はい、ミレアさん!」


 嬉しそうにうなずくティスに、ミレアの肩の力が抜ける。

 ユーリカは状況が分からず、二人を見比べて目を白黒させていた。

 その反応を見れただけで、多少は溜飲が下がるというものだ。


 ミレアは手のかかる弟を見るような視線をティスに向け、にかっと笑った。




「おう! なら良し!」







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