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竜人少女の思いの丈



 ティスがオークの群れに潰されかけてから数日、銀輪亭には変化があった。

 ユーリカが訓練や依頼に出かけず、銀輪亭の食堂で時間を過ごすことが多くなった。


 それにくっつくようにミレアもまた、銀輪亭でだらだらと過ごす時間が増えている。

 鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で茶のカップを持ち上げるユーリカに、ミレアはぼそりと半眼でつぶやいた。


「……何だよ、最近やけに上機嫌じゃねーか、ユーリカ」


「そんなことは無いよ、ミレア」


 ひょうひょうと平静でかわすユーリカ。

 だが、ミレアは気づいている。冷静を装っていても、その表情は以前より幾分柔らかいものになっている。いつも悠然と浮かべている微笑にも、色がついた。

 まとう雰囲気が柔らかくなっていることに、ユーリカは自分で気がついているのだろうか。


 それもこれも、ティスがユーリカの試練に挫けず、自分の意思を示したあの日からだ。


 ミレアはむすりと、不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。

 テーブルに頬杖をつき、切なく眉尻を落として一人ごちる。


「……ふんだ。あたしにだって、夢くらいあらぁ」


「そうだったのかい? 初耳だね」


「そりゃ、お前やティスほどご大層なもんじゃねぇよ。でも、ささやかだけど、あたしにとっちゃ大事なことなんだ」


 つがいが欲しい、とミレアは小さく漏らした。

 人生をともに過ごせる伴侶が。竜人たる自分を恐れず、想いを通わせ合える相手が。


 ユーリカはその意図を察して、小さく答えた。


「ミレアが選んだ相手なら、私は誰が相手でも、祝福するよ」


「後悔はしねぇのか?」


「私の貞操は、すでに信仰に捧げたよ。私が求めるのは剣を捧げられる主のみだね。私の人生に伴侶は、もう必要ないんじゃないかな」


 静かながら、真摯な口調でユーリカは告げた。

 その達観した表情を見て、ミレアは思う。


 それは、未練であると。

 神殿騎士として幼年のすべてを捧げたユーリカは、それ以外の生き方を知らないのだろう。失った信仰に自分を捧げ続けたままだ。


 我を通して生きてきたミレアとは対極だった。

 ユーリカ・ノインという目の前の女は、冒険者でありながら神殿騎士の残骸として生きている。信仰に生を捧げて育った彼女は、自分という個を育まずに育ったのだ。


「だから……あいつは、ユーリカが気になるんだろうなぁ……」


 べちゃり、とテーブルに突っ伏すように身体を投げ出す。

 満たされぬものを満たそうと努力する。

 少年の想いの発端を見て、ミレアは苦しくなった。

 自分の胸に秘めた想いは、叶わないだろう、と。



 それでも、愛おしい。



「――お二人とも、どうされたんですか?」


 かけられた声に、ミレアは飛び起きるように居住まいを正した。

 二人のやり取りを何も知らないティスが、無垢な笑顔でトレイを持って立っていた。


「ななな、何でもねぇよ! どうした、ティス? 仕事か?」


「はい。お二人とも、良かったら味見してもらえませんか? 新しいお菓子なんですけど」


「カップの中に入ったお菓子かい? 珍しいね、いただくよ」


 ティスは二人の前に小さなカップと、木のスプーンを並べる。

 お茶のお代わりを注いで、楽しそうに説明した。


「ハチミツと牛乳と卵を混ぜて、カップごと蒸したものなんです。『プリン』っていうお菓子なんですけど。上にはハチミツをかけてあります」


「へぇ。甘いな。匙の上でぷるぷる震えて、とろりとのどを滑る」


「とろけるような舌触りが素晴らしいね。お菓子と言えば小麦粉を使ったものばかりだと思っていたけど。初めての味だけど、悪くない」


 二人の好評に、ティスは安心したように表情をほころばせた。


「今ぐらいの、昼食を過ぎた時間に出そうかと女将さんたちと話してたんです。客の少ない時間だから、お茶と一緒にちょっと食べられるお菓子を出すと、のんびりくつろげて喜ばれるんじゃないかなって」


「いいな! あたしは気に入ったぜ!」


「甘いものが手軽に少し食べられると嬉しいね。是非採用して欲しいよ」


 良かった、とティスは胸を撫で下ろす。

 食べ終えた二人のカップを下げ、弾んだ足取りで厨房へと戻っていった。


「あ……」


 去っていくティスの背に、ミレアは不意に、ちくりと寂しさを感じた。


 思い出してしまうのは、払われた自分の手だ。

 ユーリカではなく、自分が守り、育てようと支えた手を、ティスは取らなかった。


 困難な道を選んだティスの志は尊いものだと思うが、それでも、手を取って欲しかった。自分と一緒に、自分の下で、歩んで欲しかった。

 守りたかった。


 ティスが、守られるよりも守る側を選んだことは理解している。

 けれども、行き場をなくした手の寂しさは隠しようが無かった。


「……悪ぃ。今日は、部屋で休むことにするわ」


 がたり、と席を立って、ミレアは自分の部屋へと、食堂を後にした。



*******



 その晩、ミレアは食堂に下りてこなかった。


 淡々と食事をするユーリカに尋ねてみたが、彼女は首を振るだけだった。

 昼下がりからずっと、姿を見ていない。

 眠っているにしてもずいぶん長い時間が過ぎている。


 あるいは、そろそろ目を覚ます頃合だろうか、と食事客の引ける頃、ティスは食事を用意してミレアの部屋に向かった。

 大食漢のミレアのことだ。一食抜くだけでも腹を空かして騒ぐだろう。

 今日の料理はティスが担当した。

 自信作だ、とティスはミレアが美味しそうに食事をする姿を想像して、笑顔のままに階段を上がった。


「……っ、ティス……」


 ミレアの部屋から、彼女の声がした。

 扉越しに、微かに彼女の息遣いも聞こえてくる。荒く、陶然とした声だ。


 ティスは小首をかしげながら、ミレアの部屋のドアを叩いた。


「ミレアさん? 起きてるんですか? 食事をお持ちしましたよ」


「てぃ、ティス!? まま、待った! 今開けるから、ちょっと待っててくれ!」


 なぜだかうろたえた、しかししっかりと目覚めたミレアの叫びがドアの向こうから聞こえた。

 ばたばたと慌しい音がして、しばしの時間が経った後、がちゃりとミレアが姿を表した。きょどきょどと気まずそうな、いつも豪快な彼女にしては珍しく落ち着きのない様子だった。


 彼女の姿は部屋着にしている下着姿のままだ。上も下も、わずかな布で覆うのみ。

 その身体から漂う汗の香りに、不意にティスの胸がどきりと跳ねた。


「……部屋の中で訓練されてたんですか? お腹すいてるだろうと思って、食事を持ってきましたよ」


「あ、ああ。すまねぇな、わざわざ」


 内心を押し隠し、にこりと食事の乗ったトレイを指し示すティス。

 ミレアはそのトレイに手を伸ばそうとして、何かに気づいたように顔を赤らめて自分の手を身体の後ろに隠した。


「熱心ですね、手が震えるくらい鍛錬してたんですか? 最近、ずっとお休みが多かったですもんね。――食事、中に運びますね」


「な!? ちょ、ちょっと待て、そんなことしなくても良いからっ――」


 部屋の中は、窓が開け放たれていた。

 微かに甘酸っぱい、柑橘のような残り香がティスの鼻をくすぐる。

 ティスが部屋の中を歩く間、ミレアは羞恥をこらえるように、顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「空気を入れ替えたんですか? もう夜も更けてるんですから、虫が入ってきちゃいますよ」


 食事を机に置いて、開け放たれた部屋の窓を閉める。室内には熱気がこもっていたので、今しがた開け放たれたものだろう。

 次いでティスは乱れたベッドに目を留め、その下に乱暴に突っ込まれた手布を手に取った。手布は、使われたばかりのように湿り気を帯びていた。


「ついでですから、お洗濯物も回収しちゃいますね。明日の朝には乾きますから」


「あ、ああ、あ……」


 ミレアの肩が震える。混乱と興奮が、彼女の表情を染め上げていた。


 ぶつり、と何かが切れたような感覚がした。



 ミレアの理性の限界だった。



 自分の性欲の後を無邪気に片付けて、無垢な笑顔を浮かべるティスを――


 ミレアは、その腕力で思い切りベッドに押し倒した。


「――み、ミレアさん!?」


「ダメだ、我慢できねぇ……」


 荒い息を吐きながら、ミレアはのしかかるようにティスの身体を押さえ込む。


 その瞳は潤み、上気したように熱に浮かされていた。




「……ティス、いい加減にしろよ。こんな時間に女の部屋に一人で来て、そんなもんを手にとって……あたしは、あたしだって、もう……!」







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