騎士の剣、男子の剣
始めは優勢だった。ティスの剣は、オークののど笛を切り裂いた。
押し寄せる群れを速度で翻弄し、一体、二体と斬り伏せる。
情勢が変わったのは、四体目を倒した辺りか。
数十体のオークとの戦闘。
ティスはたちまちに囲まれた。
六体のオークの波状攻撃に、ティスの防御と回避が追いつかなくなる。
オークたちとて必死だ。
はるか後方では、無数のオーガが自分たちの同胞の屍を貪り食らっている。
それだけでは腹は満たされず、オーガたちは自分たちを追いかけてくるだろう。
食料を求めて。
オーガたちが仲間の屍に食いついている間に、なるべく遠くに逃げなければならない。
こんなところで、人間に足止めをされている余裕など無いのだ。
右から迫るオークの石斧を回避する。
その先には、別のオークの石斧が待っている。視野を広く持ち、全体のオークの動きを予想して身体の移動先を考え続けなければならない。
しかし、それにも限界がある。
十体、二十体と、追いついては押し寄せるオークの群れがひしめき、ティスが足を使える場所は次第に埋められていった。
それでも、ティスはオークを斬り伏せる。
ひざを砕き、のど笛を裂き、首を斬り、頭を潰す。
オークの屍が地面に積み上がるが、それすら足場の限定化を招いた。十体も倒すと、周囲の地面が見えなくなるほど屍で覆われていくのだ。
ティスの右肩を、オークの石斧が砕く。
「――くっ!」
動きを止めたティスの腹に、オークの拳が刺さる。
横から振るわれた石斧が、ティスの脚の骨を砕く。
「うああぁあぁぁぁっッ!」
オークの群れに、呑み込まれていく。
「助けに入れ、ユーリカ! ティスが死んじまう!」
そんなミレアの叫びが聞こえる。
泣き声のような悲壮な声だった。
「あたしを止めるな! ユーリカ、これは訓練じゃない! お前は、ティスを代償に自分の夢の真偽を確かめてるだけだ――」
ユーリカをいさめるミレアの声が、遠く聞こえる。
その間にも、オークの石斧が、拳が、ティスを打ち据えていく。
剣はすでにその手に無い。なぶられる間に取り落とした。
ティスの意識が、暗闇に落ちていく。
*******
「ティス! 目を開けろ! ――ティス!」
ゆっくりと目を開けると、涙に表情を歪めたミレアの顔が目に入った。
ティスの意識が戻ったことに、ミレアは心から安堵した息を吐いた。
「俺は……?」
ミレアに抱き支えられながら、ティスは身を起こそうとした。
オークたちになぶられ、意識を失って横たわっていたらしい。
身体を動かすと、骨といわず、内臓といわず、全身から激痛が起こった。
「まだ立ち上がるな、ティス! 無理やり飲ませた回復薬一本じゃ、回復が追いついてねぇんだ! まずは身体を治せ、敵はもう全部倒したから!」
辺りを見回すと、ティスたち三人以外に動くものは何も無かった。
おびただしい死体の山が、風化するのを待って周囲に転がっている。
「ティス。個では数に勝てないと理解したかい?」
血に塗れた剣を携えた、ユーリカが立っていた。
その表情は、何かを諦めているかのように感情の色が無い。
ティスが何かを言うより早く、ユーリカはきびすを返した。
地に横たわるティスから離れ、オーガの魔石を剥ぎ取りに向かう。
離れ行くユーリカの姿に、ティスは悄然とミレアに尋ねた。
「ミレアさん……俺は、ユーリカさんの期待を裏切ったんでしょうか?」
「違う。ティスはよくやった。ユーリカは……お前を通して、自分の過去を見ちまっただけだ」
傷の中、眉根を寄せるティスに、ミレアは語った。
ユーリカの過去を。
ユーリカはかつて、この国の国教である宗教の武装勢力――
神殿騎士団の一人だった。
若くして人並みはずれた『加護』を持つユーリカは、すぐさまその頭角を現し、神殿騎士たちの中でも最強の一人として数えられた。
信仰も厚く、騎士の礼を重んじる最高峰の騎士として祭り上げられたそうだ。
悲劇は、高潔な騎士に対して、神殿が高潔でいられなかったことに由来する。
宗教組織にはよくある話で、篤実と清廉を以ってする教団の最高司祭たちは、信者や下部組織から集まってくる富と権力に溺れた。
神殿騎士の若き重鎮として組織の運営を垣間見たユーリカが目にしたものは、淫蕩と贅にふける、聖職者を名乗った俗物たちだった。
彼らは、女神の声などこの世には無い、そう言ってユーリカの武力を引き込もうとした。
宗教とは、神秘という象徴を祀り上げて人の営みを総べる、政治的な思想概念であり、献身的な治世救済ではないと。
その根拠も語られた。
高位の聖職者たちは口を揃えて、女神の声など一度も聞いたことが無い、とのたまったのだ。
宗教権力の腐敗。
ユーリカの信仰は砕かれた。
腐敗を是正しようとしても、彼女一人の力では組織を動かせなかった。
上層部の誰もが知っていたのだ。
女神などすでにこの世にはおらず、『加護』など惰性の遺物であり――いたとしても、自分たち現世の者に関わる気は無い酷薄な存在なのだと。
彼らは社会的勢力であり、どこまで言っても唯物的な社会権力の域を出なかった。
ユーリカは神殿を後にし、放浪の末に冒険者となった。
「ティス……あたしたちA級冒険者は、《クラン》っていう、自分たちの組織を作れる。下の冒険者をまとめ上げて、面倒を見て支え合える組織だ。A級は全員自分の組織を作る。自分たちを脅かす『数』に対抗するために、自分たちも数を揃える」
だけど、とミレアは続ける。
「あたしみたいに亜人種じゃない、人間種のユーリカがなんで組織を作らないで、誰も背負わずに一人でいるか、わかるか?」
「他人が……嫌いなんですか……?」
ミレアは、ふるふると首を振った。
「ユーリカは、騎士になりたいんだよ。自分の剣を捧げる相手を探してる。自分の人生を捧げて、一人の騎士として忠誠を誓って生きたいんだ。そんな主を、ずっと探してる」
「自分の……主を……」
「信仰は失っても、信頼はある。忠誠を捧げられる信念を持つ誰かを、あいつは探してる。そんなご立派な奴、いるかどうかもわかんねぇ。ただ夢の中にいる自分が正しいのかどうか、あいつはお前を使って確かめようとしてるだけなんだよ……」
もういい、とミレアは言った。
お前はあたしが鍛えるから、と。
だから、ユーリカの失望の犠牲になるな――そう言った。
ティスは、思う。
ユーリカの訓練は、ただ自分に挫折を与えるだけだったのだろうか。
ユーリカはいつも障害として立ちはだかり、限界を超えることを求めていた。
実力を見せたことも。この群れとの戦いも。
それと向かい合ったとき、ティスは自分が強くなれる道を見つけたと思った。
ミレアの言葉は心地よかった。
このまま身をゆだねれば、自分はいつか、無事に目的の強さを得られるだろう。
ミレアに守られながら。
それではきっと足りない、とティスは思う。
幾百、幾千の挫折があったとしても、それを乗り越えることが、彼女の志を救う道なのだろう。
彼女の当ても無き忠誠の、夢への道を形作れたなら。
彼女の先を歩めたなら。
そのとき、ユーリカ・ノインという孤独な最強を守れる道になる。
だから、ティスは立ち上がった。
ミレアの支える手をそっと払い、まだ癒えきらぬぼろぼろの身体で立ち上がった。
「ユーリカさん!」
自分に背を向ける、遠くのユーリカに向けて、ティスは叫ぶ。
「俺はっ! 諦めません!」
力及ばず、死にかけた。殺されかけた。
彼女の夢の代償として。試金石として。
悔しさに表情が歪む。
利用された悔しさではない。夢を見せられなかった自分の不甲斐なさに。
「俺は――」
だが、それがどうした。
男になると決めた。惚れた女を守れる男になると。
誰より強い女を守れる、誰よりも強い男になると。
「挫けません! 迷いませんっ! 何度でも挑みます、口にした夢を叶えるために!」
たとえ今は弱くとも。
惚れた女の夢一つ、守れる男になるために。
「俺は――貴女の全部を! 守れる男に、なってみせますッ!」
いつしか、ユーリカの動きが止まっていた。
ティスに背を向けて立つユーリカ。
その頬に、一筋の涙が流れていた。




