ナルカス商会開店
「いやぁ、人が悪いわぁ! 早ぅ言ってんや!」
店卸しが終わって報告に行くと、女店主トネリコは突然そんな風に叫んだ。
ティスに駆け寄り、両肩をばしばしと叩く。
ティスはと言えば、まったく理由が分からずに目を回すばかりだ。
「ティス・クラットって言えばあれやん、最近宿屋の《銀輪亭》を流行らせとる、看板少年やん! 珍しい料理作って、お客さんにえろう人気あるんやて!? なんや冒険者やっとったなんて、初耳やわ!」
どこで聞きつけたのか、トネリコは《銀輪亭》の評判を耳にしていたらしい。
さすがは商人というところか、耳が早い。
「た、確かに銀輪亭にはお世話になってますけど……そ、それが何か?」
「お願いや! このまま、午後の開店も手伝ってくれへんかなぁ? もちろん商会の名があるさかい、お客さんは来ると思うんやけど。せっかくの新規開店やさかい、通りすがりの街の人にも立ち寄って欲しいんよ!」
つまりは客引きの店員をやれ、ということだ。
依頼内容に書かれていない突然の頼みに、ティスも隣のシャルロットも慌てた。
「トネリコさん。わたくしたちの仕事はここまでのはずですわよ?」
「重々承知しとる! せやから、手当は弾む! 事後承諾になるけど、ギルドに依頼を出してもええ! な? この通りや!」
なりふり構わぬトネリコの拝みっぷりは、商人として堂に入ったものだった。
これでも有力な大商会の一員というところか、その押しの強さに辟易した表情で、シャルロットはとうとう根負けしてティスに尋ねた。
「どうしますの、ティス?」
「客商売は宿屋の仕事で慣れてるから大丈夫ですけどね。それを受けて、俺にどんな得があります?」
「一ヶ月間、他に転売せなんだら、うちの全商品半額でどや?」
かなりの大盤振る舞いだ。回復薬などはユーリカたちも使う。
日ごろのお礼に贈るのもいいかと、ティスは頭の中で、できて日の浅い算盤を弾いた。
「わかりました。やりましょう!」
「ほんまか、おおきに! 商売は出足が肝心や! お得意さんしこたま捕まえるでぇ!」
トネリコは喝采をあげた。
手持ちの少ないE級、C級冒険者が相手と見越しての損益計算である。
後日、ユーリカたち二人の潤沢な資金で、高額な消耗品を根こそぎ半額で買われ、涙目に陥る未来を彼女はまだ知らない。
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「こ、こんな変わった衣装で人前に立つんですか……?」
ティスはもじもじと縮こまっていた。
薄く細いパンツスタイルの服に、ひらひらと飾りが着いている。腕の布地は透け、踊り子のようだ。腰帯も薄いものを使っているので、巻きつけても体型が出る。
街中ではついぞ見ない派手な衣装に、ティスは羞恥をあらわにした。
「似合ってますわよ、ティス。妖精のようですわ!」
シャルロットは、鼻血を噴かんばかりの勢いでティスの格好に見入っていた。
ティスの格好は腕や足首、胸元などが露出しており、身体の各所を薄い飾り布で締め付けているので、少年の体つきがそのままに出る。
女性ならば、必ず目を引くだろう艶姿だ。
「俺も、シャルロットさんのような衣装が良かったです」
「女の肌なんて見せて誰が喜びますの。ティスが見たいというなら見せますけど」
対してシャルロットの服装は、同じくパンツスタイルながら黒と白が基調の、執事服に近い姿をしていた。
上等の生地のシャツの上をベストで留め、さながら巻き毛の麗人と言った装いになっている。
シャツの袖を半分まくっていても絵になるのは、さすが貴族というところだろう。
「さ、中の開店準備は出来たで! 二人ともようさん客引きしてや!」
雇い主であるトネリコにそう言われては、もはや後には引けない。
ティスは心を決めて、客引きを開始した。
「そこのお姉さん方。ナルカス商店、本日開店いたしました!」
「あ、あら。新しい道具屋?」
「はい! 食料なども扱っております。お姉さん方のような冒険者の皆さんから、日用品をお求めになる市民の皆様までご満足いただける商店です!」
「おっと、新しい商店? きみ、客引きなの?」
「はい! 品揃えは豊富になっております! 見ていただくだけでもいいので、ぜひお立ち寄りください!」
「あ、あたいの手を……そ、そうね。ちょっとだけなら」
「ねぇねぇ、あの客引きの子、可愛くない?」
「本当だ。手も握ってくれてるわよ。話しかけに行ってみましょうか」
数々の女性冒険者たちが、ティスの笑顔に射止められて店の中に誘われていった。
中には宿屋のティスを知るものも多く、衣装の違いに驚いていた。そのことを指摘されて恥らうティスを見て、女冒険者たちがなおさら店の中へと押し寄せていった。
商品を買った感想を述べて、ティスとまたお近づきになりたいという下心があったためである。
やがて、店から溢れるほどに人が集まると、算術ができることをシャルロットから聞いたトネリコが、ティスに会計の応援を頼んだ。
商品を受け取り、その内容を記帳し、合計金額を出してお釣りを渡す。
カウンターの板は幅が狭く、ティスが記帳や計算をしようとうつむくと、胸元に髪が触れるほどに美少年の顔が近づくものだから、女性客はこぞって商品を手にティスの会計へと押し寄せた。
ティスはと言えば、なぜだか押し寄せてくる女性客を必死に会計するばかりである。
やがて、その中に、一際変わった客が混ざっていた。
「……魔石の在庫は、これだけか?」
男とも女とも着かない、フードで顔を覆った、ローブ姿の客だった。
フードから覗く口元が、灰色に見えた。亜人だろうか?
女性客の賑わう空気の中で、まるでそこだけぽっかりと空間を切り取ったかのような、硬質で、異質な雰囲気を持つ客だった。
「あ、はい。魔石は数が少なくて。店頭に出しているだけになります」
「……そうか。なら、すべて買わせてもらう」
ざらざらと、店頭に並んでいた全ての魔石を差し出す客。
魔石は、大型の凶種から稀に採れる、女性の『加護』と似た不思議な力を持つ石だ。
身体強化は出来ないが、様々な生活用品の動力源となるので重宝されている。
大抵は冒険者ギルドから各工房に直接卸されるので、民間に出回る数は意外と少ない。民間で購入しても、結局は工房で加工を依頼しなければならないからだ。
そんな、用途に乏しい魔石を大量購入していく。
何かの職人だろうか? とティスは訝ったが、背後からトネリコに手が止まっていることを指摘され、慌てて会計作業を済ませた。
購入後、人混みに溶けいるようにその客は姿を消したが、ティスの印象には強く焼きついていた。何者だろうか、と。
だが、在庫が切れかけるほどの客入りを前に、その印象は強制的に流された。
鼻の下を伸ばした色とりどりの女性客を必死に応対し続け、日の傾く前に、ティスの仕事はようやく終わりを迎えた。
「やーやー、ご苦労さん! これ、手当てや。今日はほんま大入りで助かったわぁ、切れた在庫は追加がもうすぐ届くことになっとるから、後腐れなく丸儲けや! 助かったで!」
「そ、それは良かったです……」
へとへとになりながら、ティスはほっと一息ついた。
そんなティスに顔を寄せながら、トネリコは悪どい顔をする。
「どや? うちの商会で働かんか? 冒険者やっとるよりええ給金出すで?」
「あー……すみません、俺にも目標があるので、お手伝いは今日限りということで」
「なんやいけずやなぁ! ほな、指名依頼出しまくったるから、そのつもりで……」
「トネリコさん? この子、A級のユーリカとミレアの弟子ですわよ」
シャルロットの一言に、トネリコの表情が固まった。
立場の弱い駆け出し冒険者を強引に囲い込もうという魂胆だったのだろうが、その背後にこの街の冒険者たちの頂点がいるとなれば話は別だ。
それも、二人も。
「ほんまか?」
「ギルドに行けば誰でも知ってますわよ。情報が偏ってるんじゃなくて?」
大手商会とは言え、この街では新参だ。
A級冒険者の関係者を相手に無体な引き抜きはできない。
もしも敵に回せば、下手をすれば冒険者ギルド自体がこの店の敵になるだろう。
トネリコは断腸の思いで諦め、泣き出さんばかりに歯軋りした。
「せやったら、どうにもならんときだけでも、応援頼むわ! なぁ、うち、この街に来たばっかで立場弱いねん! 売り上げ伸ばす協力だけでもしてんか!」
「ま、まぁ……たまに、くらいならいいですよ」
「おおきに! これからも、うちの店をよろしゅうな!」
ティスがうなずくと、トネリコはその手をとって大仰にぶんぶんと振り回した。
これから長い付き合いになる、ティスの馴染みの商会ができた瞬間だった。




