なれのはて
嫌な予感というのは、往々にして当たってしまう。
今回はその中でも、一二を争うぐらいに、最悪な予感が的中してしまった。
異界の門からのそりと現れたのは――見たこともない魔物だった。
陶器のように白い女性の顔には、口枷が嵌められている。
私よりも頭が三つ分ぐらい大きいその女性は、不自然なほどに長い腕に美しい少年の首を抱いている。
少年の顔もまた、白い石像のようだ。
感情は読めない。彫刻のように美しい造形だけれど、どことなく禍々しい。
白い布に包まれているようなその彫刻の腰のあたりから、唐突に二本の太い腕がはえている。
筋肉の盛り上がった太い腕の、ごつごつとした手の指には、いくつもの大きな宝石のあしらわれた指輪がはめられている。
その魔物のようなものの下半身は、いくつもの節と長い足のある、蟲に見える。
黒く硬そうな胴体は濡れたようにひかり、胴体の節一つ一つから左右にはえている同じく黒い足は、人間の手の形に似ている。
「面白いことを思いつくものだよ。生き物同士を混ぜ合わせて、別の生き物を作るなんて。人間というものは、どこまでも残酷だね」
肩を竦めながら、メフィストが言う。
私の杖を握る手のひらに、じわりと冷や汗が滲んだ。
「まさか、あなたは……」
「以前君の父親を魔物に変えたときとは少し違うよ。あの時私は死んだ君の父の魂を弄ったのだけれど、毎回同じでは芸がない。要らなくなったエライザと、それから、エライザを大切にしていた父親と、エライザを愛していた護衛の少年を、全員綺麗に混ぜてあわせてあげたんだよ」
「……なんてことを」
「ほら、見てごらんクロエ。実に幸せそうな姿だ。愛しあう者同士なのだから、一つになれてさぞや幸福に違いない。生きたまま、錬金窯に入れてあげたら、あまりにも嬉しかったのだろうね。本当に素晴らしい悲鳴を、体が溶けるまでずっとあげていたよ」
「私はあなたを許さない……!」
全身がやけつくようにあつく、皮膚がちりちりと痛むような気がした。
エライザさんやコールドマンさんが、一体何をしたというのだろう。
こんな風に貶められて良いわけがない。
なんて――酷い。
許せない。
怒りが恐怖を吹き飛ばしてくれたみたいだ。私はメフィストを睨みつける。
「いいよ、とても心地良い憎しみだ。憎悪や嫌悪、怒りは、私の芸術品にとって最高の賛辞だよ」
メフィストはそう言って唇を赤い舌で舐めた。
どうしよう。
どうすれば良いのだろう。
混ざりものにされたエライザさんたちがまだ生きているとしたら、助けたい。
でも、どうやって――
その混じり物は、硝子が震えるような悲鳴染みた声を上げながら、真っ白な彫刻の瞳から血の涙を流し始める。
全身がぶるぶると震えて、蟲の胴体を蛇が鎌首を持ち上げるようにして、高く持ち上げた。
私に向かいその巨体を振り下ろしてくる。
咄嗟に転がって避けた私のいた場所の砂地は、宝石の指輪のついた逞しい腕で殴りつけられて、ぽっかりと穴が開いていた。
「一撃を受けたらひとたまりもないですね。なんせ私は、ジュリアスさんと違って身体能力はか弱い一般人ですし……!」
巨大な体からは想像もできない素早さで、その蟲は人間の手のような形状の足で大地を押し上げて、跳ねる。
見上げた空に、影が落ちる。
私に向かって飛びかかろうとしてくる混じり物を、転びそうになりながら走って避ける。
ずしんと、巨体が地面に着地した衝撃で突風が起こり、弾き飛ばされた私は砂地に転がった。
「無力だね、クロエ。セレスティアの子供だけれど、君はあまりにも弱い。ひとりでは、なにもできない」
揶揄うようなメフィストの言葉が聞こえる。
メフィストの隣では、祈るように両手を合わせて、ミンネ様が顔を伏せている。
――できることなら、全員助けたい。
私に、力があれば。
魔力の残量から考えると、破邪魔法が使えるのは、残りほんの数回だけ。
混じり物の魔獣には有効かもしれないけれど、その体を消滅させてしまったら、恐らくエライザさんたちは助からない気がする。
助ける方法があるとすれば、それはたぶん、メフィストを先に倒すこと。
ただの可能性にすぎないけれど、希望があるのならばそれに賭けてみたい。
私は砂に足を取られながらなんとか起き上がり、攻撃を避けながら布鞄をあさる。
鞄の中を確認する余裕なんてないので、指先の感触だけを頼りに必要なものを探り当てて、掴めるだけ掴んで取り出した。
「いつでもどこでも油虫キャッチ! そして捕まえて、束縛の茨ちゃん!」
魔獣に向かい、蜂蜜色の液体の入った小瓶と、水晶の薔薇を投げる。
液体の入った小瓶は魔獣の足元で割れて中の液体が砂地の形状を変え始める。
魔獣の巨体に対してどれほどの効果があるか分からないので、ありったけ使った水晶の薔薇は、するすると棘のある茨の蔦をのばして、魔獣に纏わりついた。
茨を振りほどこうとする魔獣の足元の地面は、私の油虫に対する憎しみが形になった最強の油虫取りによって、それはもうべったべたに変化している。
足掻けば足掻くほどに、黄色い粘着質なべたべたが、蟲の体に絡みつく仕様になっている。
足元と全身、二つの拘束によって身動きできない魔獣は、エライザさんの顔だろう部分を、嫌々と激しく振って、じたじたと暴れた。
エライザさん、蟲扱いしてごめんなさいと、心の中で謝っておきましょう。
元に戻ったときに、今の記憶がないと良いのだけれど。
「ひとりでは何にもできないなんて、大きな間違いですよ! なんせ私は世界最強の美少女錬金術師ですからね! エライザさんたちが錬金術でこんな姿になったとしたら、元に戻す方法は絶対にある筈です。私が探し当てて見せるので、ご心配なく!」
自分を鼓舞するために、できるだけ得意気に、自信満々に声を張り上げる。
私はメフィストに向かって杖を向けた。
それから片手で布鞄を探り、持てるだけの錬金爆弾を手にとる。
最後の悪あがきをするように、拘束されている魔獣の掲げる少年の口が開いた。
呪詛の言葉に似た理解できない耳障りな呪文の後に、私の頭と同じぐらいの大きさの、蠅に似た鋭い血吸い用の嘴のようなものを持った蟲が、魔獣の周囲に現れる。
「往生際が悪いですね、少し大人しくしていてくださいな!」
私はまん丸い錬金爆弾の中から、緑色をしていて対蟲と書かれたものを蟲たちに向かって投げつけた。
素晴らしい殺虫効果のある、夏場にはとても重宝がられる蟲爆弾は、蠅たちの傍で弾けて白い煙をまき散らした。
ばたばたと、蠅が砂漠に落ちていく。
私の前に蟲などは無力である。
これはなんというか、私の師匠であるナタリアさんの汚部屋と戦った成果でもある。
ナタリアさんと同居しはじめの頃の錬金術店に比べたら、広い砂漠で出会う蟲なんてちっとも怖くないのよ。
「さぁ、観念なさいメフィスト! 最近ちゃんと呪文を覚えた破邪魔法で、叩きのめしてあげますから!」
「それで勝った気でいるのかな。虚勢もここまでくると、滑稽で愛らしいね」
メフィストは口元に指をあてて、軽く首を傾げた。
「それにしても、弱い。元々弱い人間を混じりあわせたからだろうか。こんなに弱いなんて、何の役にも立たない。楽しいのは、混じりあわせている時だけだったね、残念だよ」
メフィストはばさりと空を飛んで、茨で拘束されている魔獣の蟲の胴体の上に軽々と降りた。
その体をいたわる様に、軽く撫でると、口元に残酷な笑みを浮かべる。
「もういらないね、これは。どうせ死ぬのだから、最後に私の魔力を分けてあげよう」
蟲の胴体に触れた手のひらから、魔獣に魔力が注がれていく。
その体は不格好に膨れ始め、断末魔に似た悲鳴があがる。
――このままでは、いけない。
背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
「……熾天使ミカエル、我が呼び声に答えよ! 全ての悪しきものに裁きを――」
一瞬、躊躇ってしまった。
今ここで魔法を使ったら、エライザさんたちを巻き込んでしまうのではないかと。
躊躇いが、詠唱を遅らせた。
不格好に体を膨れ上がらせて腰から上の部分までを全て飲み込んだ巨大な蟲の鋭く尖った顎が、私に向かって振り下ろされる。
痛みはない。ただ、訳の分からない衝撃が私を襲った。
――視界が、黒く濁る。
それと同時に、体の中から何かあたたかいものがあふれるのを感じた。




