聖都奪還のための聖戦 2
サリムとその隣にいるシェシフ様を守るように、次から次へと竜騎兵がヘリオス君の前に立ち塞がる。
それは竜と人で出来た幾重にも巡らされた防護壁のようだった。
避けて前に進めないほどに、何騎もの飛竜が追いすがり、襲いかかってくる。
私も何か、しなきゃ。
そう思うけれど――相手が私と同じ人間だと思うと、途端に頭の中にもやがかかったように、何も考えられなくなってしまう。
「お前は手を出すな、落ちないように掴まっていろ!」
ジュリアスさんに厳しく言われて、私は鎧に巡らされている紐をしっかり掴んだ。
こちらに槍を向けて襲来してくる竜騎兵をヘリオス君は身軽に交わし、ぐるりと宙返りするようにして背後から回り込む。
ジュリアスさんの振るう槍が兵士の頭を打つ。
脳震盪でも起こしたようにぐったりとする兵士が、飛竜の背中から落ちる。
騎手を失った飛竜は、真っ逆さまに落ちる兵士を追いかけて戦線から離脱していく。
空から落ちれば、助からない。
あの人が誰なのかは知らないし、分からないけれど、戦争においては命なんて、とても軽々しく呆気ないのだと、まざまざと見せつけられている気がした。
散っていく命の背後で、メフィストや、サリムが嘲笑しているのだと思うと、今まで感じたことのないような感情が湧き上がってくる。
「ジュリアス殿はサリムの元へ! 皆、道を切り開け!」
力強い声とともに、ラムダさんと兵士の方々が、横から空を切り裂く様に飛竜の群れの中へと突撃を始める。
ラムダさんの隣に追従するように竜を飛ばしながら、ジャハラさんが力強く詠唱を唱えた。
「来れ、冷徹なる白銀の嵐、凍える風よ、氷嵐呪縛!」
大いなる氷の嵐が小型の飛竜たちの羽を凍らせる。
小回りのきく彼らが一軍となって襲いかかってくるのを避けるためなのだろう、それでも撃墜するまでには至らずに、落下とともに氷が砕け、体勢を立て直して尚も襲いかかってこようとする。
「プエルタ研究院は、異界研究者とは、国を守る者です。道を違えた悪魔から、この国を守らなければ……! すぐに、追いつきます! お二人は、先に!」
ジャハラさんやラムダさんが切り開いた空の道を、ファイサル様を載せたアレス君が二枚の羽を羽ばたかせて真っ直ぐに進んでいく。
シェシフ様のもとへ向かっているのだろう。
私も――怖がっている場合ではないわよね。
「ジュリアスさん、サリムの元へ急ぎましょう!」
「あぁ、分かっている」
ヘリオス君もアレス君を追いかけるようにして、竜騎兵に阻まれながらもサリムの元へと空を駆ける。
魔物も圧倒する強さのジュリアスさんは、かつてディスティアナ皇国の将としてたった一人で他国を圧倒するような強さを誇っていた。
そんなジュリアスさんの前に竜騎兵など最早敵ではないのだろう。
ジュリアスさんは、なるだけ飛竜を傷つけないように戦っているようだった。
騎乗している兵士だけを狙っている。
その兵士に対しても、致命傷は与えていないように見えた。
そういえばジュリアスさんはいつか――首輪の制約のせいで、私の嫌がることは何かを考えるようになったと言っていた。
首輪の制約は今は『私が嫌がることをしない』一点のみだ。
本当は外したいのだけれど、ジュリアスさんが頑なにこのままで良いと言って聞かないから、制約の解除もしていない。
そうしなければジュリアスさんは、衝動が抑えられないかもしれないという。
ジュリアスさんは自分のことを冷酷だと思っているみたいだけれど――
最初に出会ったときとは、随分変わったような気がする。
きっと奴隷闘技場にいた時のジュリアスさんなら、容赦無く敵を斬り伏せていただろう。
「兄上、我らは罪を犯しました。サリムに惑わされ、異界研究を危険視していたプエルタ研究院の研究者たちを排斥し、飛竜を残酷に扱い混じり物の魔獣を生み出し、長年聖王家に忠誠を誓ってくれた竜騎兵たちを聖都から追い出した。その間、何人もの人間が命を落としました」
ファイサル様の声が、空に響く。
シェシフ様は静かな瞳でファイサル様を見つめている。
「それは俺が――見ないように、聞こえないように、兄上を信じていた結果です。俺はもう間違えたくない。兄上、どうか……!」
「話し合いは無駄だと言ったはずだよ、ファイサル。私に刃を向けるのなら、その覚悟を持ちなさい」
「だが……!」
「サリム!」
シェシフ様に呼ばれて、サリムの飛竜がファイサル様の前に立ち塞がる。
空中で対峙する私たちに、オルフェウスさんに乗ったルトさんが少し遅れて合流した。
『兄様……、兄様は、ミンネ様を助けるために、必死だっただけなのに、どうしてこんなことに。私には兄様の姿をしたあなたを倒す義務があります。兄様に協力し、悪魔を連れ帰った罪を、償わなければ……!』
ルトさんは真っ直ぐにサリムを睨みつけている。
ルトさんの声が頭の中に響いた。
サリムにも聞こえているのだろう、その口元には薄く笑みが浮かんでいる。
「お前のことは記憶にある。この男の記憶に。下級の悪魔を異界から連れていき、奴隷のように扱っていた刻印師のルト。私の、妹」
『あなたなど、兄ではない! 兄様の体から、出て行って!』
切実なルトさんの叫びも、サリムには通じていないようだった。
もうあの体には、サリム自身の人格は残っていないのかもしれない。
悪魔に体を支配された別の何か――
かつて対峙したアリザは、メフィストに操られながらも自分の言葉を話していた。
けれど、サリムはそうじゃない。
「私はお前の兄だ、ルト。よく見なさい。同じ顔をしているだろう」
サリムは目深にかぶったフードを降ろした。
ばさりとローブを脱ぐと、ローブは風に靡きながら地面へと落ちていく。
ローブの下から現れたのは細身の肢体の男性だった。魔導師の纏うような薄手の衣服の背中からは、優美な四枚の羽が伸びている。
その顔は、ルトさんとよく似ている。濃い色合いの肌に、少し癖のある黒髪。紫色の瞳。
その羽は、メフィストと同じ。猛禽類のそれに似た、漆黒の羽だ。
「なんて、ね。もう知られてしまったのだから、隠しても仕方ないか」
その悪魔は、四枚の羽を羽ばたかせて空中に浮かび上がった。
そして徐に、手を己の乗っていた飛竜に翳す。
それだけで、飛竜の首が鋭利な刃物で切り取ったかのように、すっぱりと斬られた。
何が起こったのか分からないような表情を浮かべながら、首を斬られた飛竜は砂漠に落ちていく。
数度羽ばたいたけれど、それだけだった。
私は喉の奥で息を飲む。
ジュリアスさんの体に力が入るのがわかる。
「こんにちは。あぁ、せいせいした。神の落とし子に乗るなんて、気持ちの悪いことをするものではないな。怖気がする」
「貴様……!」
ジュリアスさんが言った。
やっぱり、とても怒っている。
私もジュリアスさんと同じ気持ちだ。
口の中に苦いものが込み上げてくる。
「そう怒る必要はない。あれは紛い物の竜。確か、怪鳥を混ぜたのではなかったかな。よく飛ぶし、よく産む。そうなってくると、竜なのか、鳥なのか、わからない」
「生み出されたものに罪はない。それを、お前は……」
「怒り、憎しみ、愛、喜び。人というのは面白い。肉を持たない頃はわからなかったけれど、サリムの記憶のせいか、今の私も人に近い。だから、お前たちの気持ちはよく分かる。ジュリアス、クロエ。それから、ルト。私はお前たちを知っている」
悪魔は私たちの方へとひらりと羽ばたき近づいてくる。
とても近くに、悪魔の顔がある。
さらりと頬に触れられて、背筋を悪寒が走った。
「メフィストには会ったね。メフィストは、君を殺せなかったようだ。クロエ・セイグリット。セレスティアの娘」
ジュリアスさんは舌打ちをすると、ヘリオス君の手綱を引いて悪魔から離れる。
悪魔は楽しそうにくるりと空で体を回転させて、両手を広げた。
ファイサル様は何かを訴えかけるような眼差しでシェシフ様を見ている。
シェシフ様は悪魔のことを知っていたのだろう。
驚きも、動揺もしていないようだった。
「私はサマエル。死の蛇、と呼ばれている」
「名前などどうでも良い。お前はここで死ぬ」
ジュリアスさんはサマエルという名前の悪魔に、槍を向ける。
ルトさんも両手で印を結ぶように動かし、ファイサル様も武器を構えた。
私も千年樹の杖をサマエルに向ける。
サマエルはおかしくて仕方ないように、体を折り曲げて笑い声を上げた。
「人が、必死になって、私に歯向かう。初めてだ、こういうのは。まぁ、そう焦らなくても良い。一つ面白い話を聞かせてあげようか」
「黙れ! 我が国に巣食う悪魔め、今すぐ討ち滅ぼしてやる!」
声を荒げるファイサル様を、サマエルは冷めた目で見据えた。
「シェシフが私に従った理由が、お前にはわからない? 少し考えれば簡単なことだろうに。かつて冥府に降りてきたサリムは、私と契約を結んだ。それは、愛する女の命を救うためだった。女の命を救うために、サリムは私に従い、己の体を私に差し出した」
それはサリムの手記に書いてあったことの続きだった。
サリムの身に何が起こったのかまでは、手記には書かれていなかった。
サリムは冥府でサマエルと出会い――死んでしまった、ということだろうか。
「私は肉体を手に入れて、この世界に降り立った。そうしてミンネを死の運命から救った。つまりね、単純なこと。ミンネの命は私の手の中にある。私を殺せば、ミンネが死ぬ。だから、シェシフは妹可愛さに、私が悪魔だと気付きながら、気づいていないふりを続けていた」
「……おおよそ、分かっていた。お前が悪魔だと気づいた時から、そんなことは」
ファイサル様は、苦しげに言った。
「世界よりも、家族を選んだ。それもまた、愚かな人間の抱く、愛情というものだろう。理解できる。理解できるからこそ、それを壊すのも、愉快だと思えるんだ」
サマエルは、笑い続けている。
私の杖を握る掌に、知らないうちに手が痺れるほどに力が籠っていた。




