いつも通りのジュリアスさんと天使な私
ジュリアスさんが不機嫌だ。
機嫌の良いジュリアスさんの方が珍しいのだけれど、今日は一段と不機嫌に見える。
つまり、いつも通り。
私たちに与えられた客室に戻ると、ジュリアスさんは何も言わずにベッドに横になってしまった。
私はベッドサイドに腰かけると、ため息を一つついた。
お母様が、天使。
それが事実だという確証は、何もないのだけれど。
でも、そんなわけがないと笑って受け流すには、偶然とは思えない符合が多すぎる。
「吃驚ですね、ジュリアスさん。まさか商店街の天使クロエちゃんが、本当に天使だったなんて。お母様が天使でお父様が人間だとしたら、半分天使ってことでしょうか。つまり、半天使? あんまり可愛くない響きですねぇ」
「黙っていろ、阿呆。確証もない話を、真に受けたのか」
「やっぱりそう思います? お母様が天使なんて、なんだか現実味がなくて。……ううん、でもなぁ」
「忘れろ、クロエ」
ジュリアスさんはこの話をあまりしたくないように見えた。
深く目蓋を閉じているジュリアスさんの整った顔を、私は見下ろした。
睫毛が長いわね。横になっているだけなのに、絵になる姿だ。
そういえば、ーージュリアスさんは、息子ができたらヘリオス君とリュメネちゃんの子供の飛竜に乗せたいのよね。
新しく知った衝撃の事実を思い出して、私はなんだか落ち着かない気持ちになった。
お母様が天使かもしれないという可能性よりもずっと、ジュリアスさんの結構前から言っていた、もう一頭飛竜が欲しいという言葉の意味の方がよっぽど私にとっては衝撃的かもしれない。
私は両手で顔を隠した。
どうしよう。恥ずかしい。
「どうした、急に」
ジュリアスさんのせいです。
大人しくなった私を気にしてくれたのか、薄く目を開いたジュリアスさんが呆れたように言った。
「なんでもありません。……ジュリアスさん。さっき、怒っていましたけれど、私のお母様が天使だと、嫌なことがあるんですか? 天使に嫌な思い出があるとか? 白い羽恐怖症とかですか?」
「……例えば、お前の母親が本当に天使だったとして。悪魔を討ち倒す力が、お前にあるとしたら、お前はどうする?」
ジュリアスさんは私の軽口を完全無視して、真剣な声音で言った。
私はまじまじと、ジュリアスさんの赤と青の瞳を見つめる。
質問の意味が一瞬よくわからなかった。どうしてそんなことをわざわざ聞くのか、私にとっては良くわからなかったからだ。
「それはもちろん、悪魔を倒しますよ。メフィストは、お父様やアリザちゃん、シリル様にも、アストリア王国の人たちにも残酷なことをしました。世界にとって良くない存在なら、倒すべきだと思います。その力が私にあるのなら、尚更です」
「お前は、そうして自分にそれを課すだろう。お前が危険な目に合う必要も、義務もない。余計な重荷だ」
ジュリアスさんは、淡々と言った。
私は嬉しくなって、ジュリアスさんににっこり微笑んだ。
「心配してくれているんですね、ありがとうございます」
ジュリアスさんは私から視線をそらした。照れているように見える。ジュリアスさんが、照れている。
なんだろう。今までもこういうことはあった気がするのだけれど、多分気づかなかったのよね、私。
表情が変わらないし、大体不機嫌に見えるし。呆れられているか、ご機嫌が悪いかのどちらかだと思っていたのよ。
それなのに、私のことをきちんと考えてくれていることが分かった今、ジュリアスさんの感情が、言葉はなくても、少しは理解できるようになった気がする。
照れているジュリアスさん、破壊力が凄い。
私は自分の胸を押さえて呻きそうになるのを、必死に堪えた。
真面目な話をしているのに、挙動不審になるのはいけない。
「心配してくれるの、嬉しいです。……でも、ジュリアスさん。世界が滅んじゃったら、嫌じゃないですか」
「お前が戦う必要はない。逃げるという選択肢も、お前にはある」
「私が逃げたら、ジュリアスさんも一緒に逃げるんですか?」
「俺は、……お前に従う」
「それは嘘ですね。ジュリアスさんは一人で戦おうとするんじゃないですか? だって、世界が滅ぶということは、私やヘリオス君も死んじゃうかもしれないっていうことで、ジュリアスさんは……、多分、守ろうとしてくれるでしょう? 強いから」
「……あぁ、そうだな」
少しだけ沈黙した後に、ジュリアスさんは私の言葉を肯定した。
私はジュリアスさんに手を伸ばす。顔にかかっている金色の前髪を指で払うと、その手を掴まれた。
手を引っ張られて、ベッドにとさりと倒される。
引き寄せられて抱きしめられると、先ほどお風呂に入ったばかりだからだろう、石鹸の良い香りがした。
「あ、あの……、一緒に寝るのははじめましてじゃないんですけれど、その、私、ええと、あの」
顔に熱が集まる。
今までだってずっと、一緒のベッドで寝ているし、抱き枕みたいな扱いをされたことだって何度もあるのに。
触れ合う皮膚が、体温が、初めてみたいに落ち着かない。
そこにあるのは安心感だけではなくて、妙に緊張してしまう。
「何もしない。今は、まだ」
「今はって、いうのは、その」
いつかは何かするのかしら。
そのいつかは、いつなのだろう。今日から毎日緊張しながら一緒に寝る事になるのね、きっと。
ジュリアスさんの腕に力が篭る。痛いぐらいに強く抱きしめられて、私は眉根を寄せた。
なんだか、ーー大切なものを奪われそうになっている、大きな動物みたいな仕草だった。
「クロエ、お前は難しいことを考えず、好きなようにしろ。世界を救いたいのなら、そうすれば良い。俺はお前に従う。……そうだな、単純な話だ。柄にもなく、動揺していた。お前の母が天使だという事実を受け入れることは、お前を失うことに繋がるような気がした」
ジュリアスさんも不安になったりするのね。
そうよね、私と同じ人間だもの。
お母様が人とは違う存在であったとしても、私は私。何も変わらない。
「大丈夫ですよ、ジュリアスさん。天使という箔がついた私は、大陸最強の美少女錬金術師ですから」
「そうだな。そうだったな」
いつもの調子で私が言うと、ジュリアスさんは少しだけ笑った。
腕の力が緩み、視線が絡まる。
「恐らく、すぐに戦いが始まる。今までとは違う。戦争になるだろう。……クロエ、お前は俺の傍から離れるな」
「もちろんです。ジュリアスさんのことは私が守りますからね」
「あぁ、頼りにしている」
ジュリアスさんは目を細めると、穏やかな声音で言った。
顔が近づき、私は目を伏せる。
そっと唇が重なり、重ねられた手のひらの指先が絡まった。大きくて硬い手のひらは、私よりも少しだけ冷たい。
部屋の扉が叩かれたのは、そんな時だった。
「聖都から竜騎兵の軍団がこちらに向かっている、二人とも、一緒に来て欲しい」
ファイサル様の声だ。
ジュリアスさんは私から体を離すと、忌々しそうに舌打ちをした。




