嵐の前の静けさ 4
ラムダさんは私の隣に立つと、ヘリオス君の方に視線を向けた。
ヘリオス君というか――正確には、ヘリオス君の隣にいる深い赤色の女の子の飛竜を見ている。
私もいつまでも照れていても仕方ないので、気を取り直して顔から手を外した。
「ジュリアス殿の飛竜は、黒竜なのだな。美しく、雄々しく、神々しい姿だ。こちらに連れてきた途端に、あの様子だったと部下たちから聞いた。是非とも、私の娘を選んで欲しいものだが」
「ラムダさんの娘さんは、あの濃い赤色の子ですか? 金色の瞳のぱっちりした」
「あぁ、そうだ。クロエさん、分かってくれるか! 大きな瞳が愛らしいだろう、名はリュメネと言う。産まれてまだ数年だ。私が手塩にかけて育てた、愛しい我が娘だ。もちろん他の飛竜も愛らしいが、リュメネは特別だ」
「リュメネちゃん」
ラムダさんの熱が凄い。
リュメネちゃんは確かに可愛いけれど、ヘリオス君にも好みがあるだろうし。
ヘリオス君の好みのタイプの子は、どの子なのかしら。
どんな子を選んでも、お母さんとしては全力で可愛がるつもりだ。
ヘリオス君とお嫁さんの卵から産まれて来る子が女の子でも、男の子でも、きっと可愛いに違いないでしょうし。
ジュリアスさんはもう一頭騎乗用の飛竜が欲しいと言っていたような気がするけれど――誰を乗せるつもりなのかしら。
私は飛竜に一人で乗って戦ったりはしないと思うし、ヘリオス君がいれば問題ない気がする。
不思議と言えば、不思議よね。今度聞いてみよう。
私用では、なさそうだし。
「大人気ですね、ヘリオス君は。黒い飛竜は珍しいのですか? ヘリオス君の他にはいないようですけれど」
「一番多いのは茶色、次いで深緑色だな。赤と白は珍しく、黒は滅多に産まれない」
「ご両親と同じ色合いの子が産まれる訳ではないのですか?」
「不思議なもので、そういう訳ではないんだ。卵からどんな飛竜が孵るかは、産まれてみなければ分からない」
「ラシードは、騎乗用の雄の飛竜が思うように手に入らないことに痺れを切らし、飛竜を改造するようになったのか」
ジュリアスさんに問われて、ラムダさんはどこか苦しげに頷いた。
「あぁ。……多分、そうなのだろうな。飛竜の改造は異界研究が進むにつれて、行われるようになったようだ。私が産まれるよりももっと前から。そこには異界の知識が使われたのだと言う。錬金術と同じようなものだな。錬金術には無機物をつかうだろう。そうではなく、生物同士を掛け合わせる。捕らえた魔物や、動物からはじまり――最後は、より強い飛竜を造るために、それが行われるようになった」
「動物を錬成に使うのですか……」
私は眉をひそめた。
肌がぞわりと粟立つ。
考えたこともなかったし、行いたいとも思わない。
私は魔物が落とした素材を使うけれど、魔物そのものを捕らえて錬成に使う、なんて。
強い拒否感を感じた。なんて表現すれば良いか分からないけれど、それは、非道な行いのように感じられる。
「ラシードは、砂漠ばかりが広がる不毛な大地だ。馬や徒で移動することはままならない。資源も少なく、国力にも乏しかった。最初は自国を守るためだったのだろう。魔道についての研究が盛んに行われ、そこから――異界に目が行った。異界研究はそこから。それから、野生の飛竜を手なずけて、竜騎兵がうまれた。かなりの犠牲者を出したようだがな」
「実際、ラシードの持つ軍事力は驚異だ。まともな思考回路を持つ王ならば、ラシードに戦争を仕掛けようとは思わないだろうな」
「オズワルド・ディスティアナはまともではない。そういうことか」
「良くは知らない。野心家であることは確かなのだろうが」
「どういうわけか三年ほど前にぴたりと侵略は止んで、今は薄気味悪いぐらいに静かだな、ディスティアナは。ラシードも、その後はフォレース探究所とプエルタ研究院の対立が始まり、それどころではなくなったのだが。私はフォレース探究所の研究施設での飛竜の扱いを見てしまい、聖王と対立し、聖王宮を部下と共に飛竜を連れて出奔した。それで、今だ」
「ラムダさんは、飛竜の改造に反対だったのですよね?」
「あぁ。生き物を混ぜ合わせて、違う生命を作り出す。これは、神への冒涜だ。それに、飛竜とは神の御使いと、ラシードでは古くから言われている。その命を私たち、人が、軽率に扱うなどは、許されるべきではない」
それから、「元々、卵を一つきりしか産まないというわけではなかったらしい」と、ラムダさんは続けた。
「飛竜は、私たち人と比べると、想像できないぐらいに長く生きる。天敵も居ず、病気もない。大抵は、天寿を全うするが、その天寿がどれほどのものなのか、きちんと分かっているわけではない。何せ、私たちの方が先に死ぬのだから。記録はあるが……」
「五百年程度と言われているだろう」
「実際にはもっと長いのかもしれない。ルトの乗っていたオルフェウスなどは、ラシードが飛竜の研究をしだしたころからずっと、生きているようだ。オルフェウスと話ができるわけではないからな、記録が正しければ、の話だが。もはや古文書のようなものだよ。その古文書によれば、昔は卵をいくつか産んでいたそうだ」
「一つだけじゃないんですね」
「あぁ。それが――、ひとつきりになったのは、飛竜の改造をフォレース探究所の主導ではじめてから。神の怒りに触れた。そう、古い文献には書かれていると、ジャハラが言っていた。……混ぜ合わせの飛竜は、純血と違って繁殖能力が高い。混ぜ合わせた動物の特性を継ぐのだろうな。だから、それについては不問としたのか、異議を唱えた者を闇に葬ったのかは過去の話だ。今はもう、分からない」
アストリア王国の学園に通っていた頃は、ラシード神聖国は信仰心があつく、穏やかな方々が多い国だと教わっていた。
けれど――実際に話を聞くと、そんな楽園のような場所ではないみたいだ。
見渡す限りの砂漠の大地で生きていれば、国を守るためにどうにかしなければと、道を踏み外してしまうことがあるのかもしれない。
私は他の飛竜から離れた場所で静かに寝そべっている、赤い四枚羽根と角のあるアレス君をチラリと見た。
「長々と話をしてしまったな。飛竜のことになると、つい時間を忘れてしまう」
「色々勉強になりました。教えてくれてありがとうございます」
「あぁ。……そうだな、興味深い話だった」
私がラムダさんにお礼を言うと、ジュリアスさんも珍しくそれに同意した。
天変地異が起こるぐらいに珍しい。
驚いたけれど――ジュリアスさんの大好きな飛竜について、なのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
「あぁ……っ、ヘリオス君がリュメネちゃんとちょっと仲良くなってますよ……!」
私はヘリオス君を見上げて、思わずジュリアスさんの服をぐいぐい引っ張った。
ヘリオス君は、リュメネちゃんの額に自分のそれを、軽く擦り付けるようにしていた。
息子の恋愛を目の前で見るお母さんの気持ちだ。
嬉しいやら、恥ずかしいやら、可愛らしくて微笑ましいやら。
「とうとうヘリオス君にお嫁さんが……」
「やはり、リュメネを選んでくれたか! ジュリアス殿の飛竜はよく分かっている」
ラムダさんが満面の笑みを浮かべて、うんうんと頷いている。
ジュリアスさんはヘリオス君を静かに見つめていた。
「ずっと……、一人きりだったからな、あれも」
「ヘリオス君にはジュリアスさんが、居たでしょう?」
「まぁ、な」
「これから家族が増えますねぇ。沢山働いて養わないといけませんね。ラシード聖王国を救ったら、ファイサル様がお金を沢山くれるかもしれません。色々ありますけれど、増えた家族を養うために頑張りましょう、ジュリアスさん」
「……あぁ、そうだな」
ジュリアスさんは、少しだけ笑った。
たまに見せてくれる嫌味も皮肉もない笑顔に、私は妙に落ち着かない気持ちになった。




