嵐の前の静けさ 3
いつもの黒いローブに着替えると、ジュリアスさんはいつも通りのジュリアスさんに戻った。
金髪さらさらの黒いローブのジュリアスさんと、青いエプロンドレスに着替えた私はヘリオス君の様子を見に行くことにした。
なんだかんだで、私もヘリオス君のことは気になっていたし、ラムダさんが言っていた可愛い女の子の飛竜を見てみたいと思っていた。
私は飛竜愛好家じゃないので、ジュリアスさんと出会う前までは飛竜というのは飛竜トラベルの飛竜しか見たことがなかった。純血の飛竜というのはヘリオス君がはじめましてで、女の子の飛竜も見たことがない。
「女の子の飛竜って、どんな感じなんでしょうか。どうして女の子は人間を乗せて空を飛べないんでしょうか」
長い廊下を歩きながら、私はジュリアスさんに尋ねた。
ジュリアスさんのお父様――ジーニアスさんのことについても気になっていたけれど、悩んでも何かが分かるわけではないので、ひとまずは置いておくことにした。
ジャハラさんやファイサル様、ルトさんに尋ねれば何か知っているかもしれないけれど。
でも、サリムの手記を読んでいる時の反応からして、『ジス』という人物について知らない可能性の方が高いわよね、多分。
皆、何も言っていなかったし。私が鈍感なだけかもしれないけれど。
「雌の飛竜は、雄よりも体が小さく翼も短い。人間を乗せて飛べるほどの力が無い。……女や子供なら、乗ることができるかもしれないが。雌に騎乗するのなら、雄の飛竜に乗った方が安定感はあるし、早い。わざわざ雌の飛竜に乗ろうと思う物好きは居ない」
「なるほど。乗せないのではなくて、乗せられない、ということなんですね」
「あぁ。お前ぐらい軽ければ、なんとかなるかもしれないが。お前が他の飛竜に乗ったら、ヘリオスが怒るだろうな」
「それはもしや嫉妬ですか」
「あれも、なかなかプライドが高い」
「可愛いですねぇ。そういえばファイサル様のアレス君も、ファイサル様がヘリオス君のことを褒めたら怒っているようでしたし。みんな、絆があるんですね、きっと。アレス君は……、その、作り替えられた飛竜ですけれど」
「今生きている者を否定するつもりはない」
ジュリアスさんの返事に、私はほっと胸をなで下ろした。
アレス君に罪はない。
私は、四枚羽の赤い飛竜のアレス君は、綺麗だと思う。
ジュリアスさんが嫌悪していたとしたら、少し、悲しい気がしていた。大丈夫みたいだ。
長い廊下を抜けると、天井が空へと抜けている広い場所に出た。
首が痛くなるほどに高い場所に、ぽっかりと穴が開いている。
そこから光が差し込んでいる。
広間というか、ここが建物の中だということを忘れそうになるほど広い、草原、というか。
草原と言っても、アストリアの草原とはまるで違う。
植物の形がやはり違うみたいだ。
水をたっぷり含んだような肉厚の葉を持つ植物が、至る所からはえている。
広間を中心として、建物が円形にぐるりと上へ上へと伸びているようだ。
中央に穴が開いた塔のような形、と言えば良いのかしら。
ジャハラさんはプエルタ研究院の奥は迷路みたいになっていると言っていたけれど、まさしく、一歩踏み込んだら迷うこと間違いなしと大きく頷くことができる光景だった。
建物の上部からは、滝のように水が流れ落ちている。
滝はどこに向かっているのか、よく分からない。中央部分に虹がかかっていて、麓は草原に落ちているように見えるけれど、水が溢れる様子もないし川もないし、湖もない。
ただ、水のしぶきだけが白く濁って見えた。
その広い空間を、飛竜が自由に飛んでいる。草原の中に、寝そべっている子たちもいる。
茶色い子も居れば、白い子もいるし、深緑色の子もいる。
私はきょろきょろとヘリオス君の姿を探した。
ヘリオス君は私たちの訪れにすぐに気づいたようで、黒く長い首を擡げて此方を見た。
ここにいると教えてくれるようにして、ばさりと大きく翼を広げてくれる。
ヘリオス君の隣に、小柄な飛竜が何頭か侍っているのが見える。
私は目を見開いた。これは世に言う、『モテモテ』というやつではないのかしら。
「ヘリオス君が……、女子に人気ですよ、ジュリアスさん……」
「美しいからな、あれは。当然だ」
「非常に複雑な心境です……」
私は胸を押さえた。
そういえばジュリアスさんもエライザさんに一目惚れされていたし。
ヘリオス君もジュリアスさんに似るのかしら。
可愛い息子が女子に人気。これは喜んだ方が良いのよね、きっと。
「本当に飛竜の女の子って小さいんですね。体がヘリオス君の半分ぐらいしかないみたいですね。動物って、雄よりも雌の方が大きいイメージですけれど」
ヘリオス君にじゃれついている女の子たちは、小柄だ。
体つきは、ヘリオス君のように細長いというよりも、丸い感じがする。羽が短いせいなのかもしれない。
竜というよりも、羽のはえた犬のように見えなくもない。
犬のように毛足がながいというわけではなくて、体に鱗があるのは同じなのだけれど。
つまり、なんというか。
妙に、愛らしい。
こんな愛らしい女の子が改造されて、人食い花もどきにさせられていたとか、酷すぎる。
「飛竜の生態については、謎も多い。卵を一つしか産まないのは、雌の体格が小柄すぎるせいだとも言われている。……俺も、ラシードで学んだ訳ではなく、本を読んだだけだが」
「それは素晴らしい、ディスティアナに居ながら飛竜について学ぶとは、ジュリアス殿は勉強熱心なのだな。ジュリアス殿と呼んでも?」
背後から話しかけられて、私はびくりと体を震わせた。
いつの間にか、私の真後ろにラムダさんが立っていた。
小山のように大きいラムダさんが真後ろに立つと、威圧感が凄い。
ロキシーさんの食堂に集まる冒険者や傭兵の方々も、強面のひとが多いけれど、ラムダさんは将軍というだけあってか、迫力が違う。
穏やかで優しそうなのだけれど、立っているだけで人を震え上がらせるような強さのような物が感じられる。
やや濃い色合いの肌に、黒い短い髪に、赤色の瞳。年齢は多分、三十は過ぎていそうだ。
「もう一度自己紹介をさせて欲しい。私はラムダ・アヴラハ。ラシード聖王家の直属部隊である、フェッダ・リーシュ竜騎兵隊の、元竜騎兵長だった。とはいえ、戦争に駆り出されることはまず無い。竜騎兵隊の仕事はラシード王国の見回りと他国の偵察、それから、魔物討伐ぐらいだ」
「私はクロエ・セイグリット。それから、ジュリアスさんです」
返事をしないジュリアスさんのかわりに、私が挨拶をしてぺこりとお辞儀をした。
ラムダさんは微笑ましそうな眼差しで私を見た。
私は――お父様のことを、何故か思い出した。
お父様はもっと怖い顔をしていたと思うのに。不思議だ。
「丁寧にありがとう、クロエさん。不思議なものだな、その名を口にするだけで兵が震え上がるとまで謳われたジュリアス殿と、あなたのような、なんというか……」
「美少女です」
私はラムダさんが困っていたので、助け船を出してあげることにした。
私のことを表現するとしたら、美少女とだけ言ってくれたら万事解決するので、楽なものである。
ジュリアスさんは私の耳を無言で引っ張った。恥ずかしいのでやめろ、と言われている気がする。
これは空気を和ませるためにやっているので、分かって欲しい。私もたまに恥ずかしいと思ったりもすることもある。ごく、たまに。
「あぁ、そうだな。クロエさんのような美少女が一緒に居るというのは、奇妙なような……、冷酷無慈悲な黒太子も、愛の前には無力、ということだろうか」
なんということでしょう。
ラムダさんはその見た目どおり真面目な人だった。
深々と頷いて、それに輪をかけて恥ずかしいことを言ってきたので、私は「ま、まぁ、そうなような、そうだったら良いな、というような……」とかよく分からない返事をしながら、両手で顔を隠した。
私の隣でジュリアスさんが嘆息するのが聞こえた。
まさに墓穴を掘った、という感じ。
我ながら、見事な物である。




