嵐の前の静けさ 2
目標が定まったところで、一度休憩になった。
ジュリアスさんと私、それからファイサル様とレイラさんは、ジャハラさんに滞在用の部屋に案内して貰った。
そういえばと思い出して、私はレイラさんに鉄扇を返した。
レイラさんは嬉しそうに扇を受け取り、ファイサル様は「俺が守ると言っているのに、レイラは武術の真似事をやめてくれないんだ」と困ったように言っていた。
レイラさんは「真似事ですって、失礼ね」と怒っていた。それはもう怒りながら、客室に入っていくレイラさんを、ファイサル様が慌てて追いかけていった。
どうやらファイサル様は、一言多いらしい。夫婦げんかは犬も食わないと言うけれど、まさにそんな感じ。
ジュリアスさんは客室で休む前にヘリオス君に会いたがっていたけれど、「お風呂に入りたい」と押し切った。
髪には砂がついていてじゃりじゃりするし、服は砂埃まみれだし。
ルトさんに施された変身魔法を解いて貰ったジュリアスさんは、いつもの金髪さらさらのジュリアスさんに戻っていた。金髪さらさらだけれど、ジュリアスさんの髪も砂塗れだ。
「クロエ、お前は休んでいろ。俺はヘリオスを見に行く」
「ジュリアスさんも、綺麗にしましょうよ。今を逃すと、次はいつお風呂には入れるか分からないんですよ。お風呂と、ご飯は大事です。ご飯食べ損ねちゃいましたし。一休みしたらすぐに聖王宮奪還作戦が始まっちゃうかもしれないんですから、休めるときに休まないと」
休息の大切さを、元将軍だったジュリアスさんはよく分かっているはずだ。
私の言葉に、ジュリアスさんは眉間にしわを寄せてむっつりと押し黙った。
「竜騎兵の皆さんは飛竜の扱いに慣れているんですよね、ジャハラさん」
「ええ。それは、勿論。ラシードは、長らく飛竜と共に歩んできた国ですから」
ファイサル様たちの部屋を通り過ぎて、さらに奥まで歩く。
廊下は広く、白く艶やかな石造りになっている。
足音を石造りの廊下に敷かれた絨毯が吸収してくれる。複雑な色合いの手織りの絨毯は、とてもとても高級そうに見える。
「ヘリオス君も、他の飛竜のみなさんとご挨拶してるところでしょうし、こういうときあんまりお父さんが出しゃばると、嫌われちゃいますよ」
「……まだ俺は、ここにいる連中を信用していない」
「私は結構ひとを信じちゃうので、ジュリアスさんはそのぶん疑っていてくださいな。私があやしい壺を買わされないように見張っていてください」
「壺は買わないだろう、お前は。金にうるさいからな」
「流石、よく分かってますね! それはともかく、お風呂に入るのなんて一瞬なんですから、入りましょうよ、お風呂。ジュリアスさん、執事服似合わないですし、着替えましょう。黒いローブも今ならなんと着放題ですよ。この間ロバートさんのお店で沢山買いましたし」
「……仕方ない」
ジュリアスさんは一度自分の姿を見下ろして、それから本当に仕方なさそうに言った。
ジュリアスさんのお気に入りの、黒いローブの着心地の良さに負けてくれて良かった。
暴力的に顔が良いし、スタイルもそれはもう良いジュリアスさんなので、執事服も当然似合うのだけれど、やっぱり内面から滲み出す暴君的な性格は隠すことができないのか、違和感の塊なのよね。
私たちのやりとりを聞いていたジャハラさんが、くすくす笑いながら客室の扉を開いた。
「お二人は本当に、仲良しですね。クロエさんたちが居て良かった。……少し、光が見えた。そんな気がします。ゆっくり休んでください。ヘリオス君に会いたければ、この廊下を真っ直ぐすすんでください。もっと奥に食堂があって、その先に研究室に繋がる大広間があります。飛竜は、そこに」
「わかりました、ありがとうございます。ジャハラさん……、あの、きっと、うまくいきます。多分、ですけど……」
「クロエさん。……ありがとうございます。僕はまだ、クロエさんたちに話さなければいけないことがありますよね。悪魔のこと、セイグリット公爵のこと。……今はお疲れでしょうから、また、後で。危険なことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「これも運命なのでしょう? 運命は決まっていないって、私のお母様は言っていましたけれど、中には良い運命も、あるのだと思います。なんて言えば良いのか、分かりませんけど」
「熾天使のお導きなのでしょう。頼りに、しています」
ジャハラさんは深々と礼をすると、廊下の奥へと消えていった。
ジュリアスさんはジャハラさんの言葉にご機嫌を悪くしていたようだったけれど、ご機嫌の悪いジュリアスさんになれている私は、その背中をぐいぐい押して部屋の中へと押し込んだ。
客室は、シンプルながら過ごしやすい作りになっていた。
白いシーツの掛けられた大きなベッドがひとつ。ソファと、テーブル。
この場所がどのあたりにあるのか分からないけれど、何故か窓がある。窓からは柔らかい光がさしこんでいて、窓の外にはあまり馴染みのない肉厚の植物や、蔓性の植物がはえた庭園のような景色が広がっている。
私はジュリアスさんを引っ張って、先に浴室に向かった。
汚れた服でソファやベッドに座るのは良くない。まずは、着替えないといけない。洗濯は、帰ってからしようかしらね。
旅先で簡単に服を洗濯できる、何か良い錬金物があれば良いのだけれど。
今度作ってみようかしら。
「わぁ、結構広いですよ、お風呂。お湯も張ってありますね、これ、どうなってるんでしょう。……あ、私の造った循環温泉石がこんなところにも……!」
廊下や部屋と同じ、白い石造りの浴室の、四角い石を組み合わせたような浴槽をのぞき込んで私は感動した。
クロエちゃん特製の循環温泉石が、浴槽の底に仕込まれている。
形は同じだけれど――でも、少し、違うような気もする。
あとでジャハラさんに聞いてみよう。
「……何をしている。さっさと脱げ」
「なんで一緒に入る前提で話を進めているんですか、ジュリアスさん」
「時間が惜しい」
「……美少女の素晴らしい裸体の価値をもっと惜しんでくださいよ」
「体つきは確かに美少女、と言えなくもないな」
「訴えますよ! なんだか無性に罪を感じます……!」
ジュリアスさんがいつも通りの潔さで、さっさと服を脱いでお風呂に入ってしまったので、取り残された私はしばらく脱衣所で頭を抱えていた。
ジュリアスさんと一緒に居ると、恥ずかしがっている私が間違っているような気がしてくるわね。
だんだん慣れてきてしまっている。これでも元公爵令嬢だったのに。
まぁ、良いか。
私は深いため息をつくと、気合いを入れてジュリアスさんの後に続いた。
ちゃんと体にタオルを巻いている私に視線を向けて「隠す必要があるのか」とジュリアスさんが訝しそうに言っていた。
あるに決まっていると思う。
ジュリアスさんは私を女性じゃなくて、飛竜だと思っているのかしら。
まさかね。
まさか。
どうしよう。ありそうだわ。
十分広い浴槽で向かい合ってお湯につかりながら、私は体を小さくしていた。
ジュリアスさんは何かを考えるように、視線を下げている。
それからふと、私を見た。
皆と一緒にいたときはとても不機嫌そうだったけれど、今は、不機嫌というよりは、珍しく悩んでいるようにも見えた。
「どうしました? 心配事がありますか? ラシード王国の内乱に関わったこと、怒っています?」
「いや。お前のことだ、俺が帰ると言っても、どうせ一人で残るつもりだろう。俺はお前を守る。それだけだ」
「……さらっと、恥ずかしいことを言いますよね。……ありがとうございます」
私は染まった頬に、両手をあてた。
お湯につかったばかりなのに、のぼせてしまいそうだ。
「――先ほど、懐かしい名を聞いた」
ジュリアスさんはしばらく沈黙したあとに、小さな声で言った。
「懐かしい名前?」
「あぁ。サリムの手記に、禁書を書いた者の名前が。ジス、と。……俺の母が、父をそう呼んでいた」
「……ジュリアスさんのお父様、ですか? クラフト公爵、ですよね。確か、ディスティアナ皇帝に、投獄されて……」
「隣国と通じていたと、言われてな。父の名は、ジーニアス・クラフト。母だけが、父をジス、と呼んでいた」
「……まさか」
「父は、ラシードに時折行っていた。何の用事かは知らなかった。仕事の一環だと、思っていた。……飛竜の卵も、そこで。……偶然にしては、重なるところが多すぎる」
「ジュリアスさんのお父様が、冥府に降りて悪魔と契約をした……?」
「まだ、分からない。可能性の話だ。どのみちもう、父も母も死んでしまった。調べる方法はない。……さほど、重要なことではないかもしれないな」
「そうでしょうか……」
胸騒ぎがする。
けれど、その胸騒ぎの理由が分からなくて、私は黙り込んだ。
ジュリアスさんが手を伸ばして、私の頬に触れる。
「不安にさせたな。……気にするな。過去の話だ」
「何があっても、私がジュリアスさんを守りますからね」
「……そうだな。頼りにしている」
ジュリアスさんは、少しだけ笑った。
私はほっと息をついた。
滅多に過去について話さないジュリアスさんなのだから、今はご両親のことを思い出して辛いだろう。
ジュリアスさんを励ましたくてその顔を見上げて微笑むと、何故か頬をぐいぐい引っ張られた。痛かった。




