サリム・イヴァンの手記
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――月――日。
ミンネ様の体調は、日に日に悪くなる一方だ。
何もできない自分が歯がゆい。
ラシード神聖国の強い日差しは、ミンネ様の肌には障る。部屋から出ることができず、辛いはずなのに、ミンネ様は異界研究は危険なのではないかと、私の心配ばかりをしてくれる。
ミンネ様を救うことのできない私の。
フォレース探求所の禁書の間を探った。
異界の下層、冥府と呼ばれる場所には、『悪魔』が存在している。
黒い翼をもつ、不死のものたちだ。
知能は高い。私たち人間と同程度に、会話を交わすことができる。
大抵の場合は嘘つきで、攻撃的だ。フォレース探求所は刻印師により魔力封じの刻印を施すことで無力化した悪魔を、何体か冥府から連れてかえってきている。
それらは皆、翼が一対。
けれど『冥府と上級悪魔との契約』と表紙に走り書きされた禁書に書かれていたことによれば、それは下級の存在であるらしい。
悪魔の中でも、弱いものだ。兵隊で言えば、命を使い捨てられる兵卒のようなもの。
悪魔は羽の枚数で、その立場の上下が決められている。
二枚羽は数も多い下級悪魔、四枚羽はそれを従える上級悪魔、そして六枚羽は最上級であり、神に匹敵する存在であるらしい。
フォレース探求所には過去、冥府に降りて上級悪魔と契約し、死にゆくひとの命を救った者がいるのだという。
詳しくは書かれていなかったが、上級悪魔の使うことのできる神秘の力は、ひとの命さえ操ることができるらしい。
死ぬ定めにあるものの命をつなぐことができる力。
不治の病すら、治すことができるもの。
けれどそれは同時に――この世界を、危険に晒す行為でもあるのだと、書かれている。
魚が陸で暮らせないように、人が水中では生きられないように、悪魔も人の世界では長く生きることができない。
悪魔が人の世界で何かを成すためには、人と契約を行う必要がある。
その代償は様々だ。
けれど、悪魔がひとの頼みをきく代わりに、ひとは悪魔の頼みをひとつ聞かなくてはいけない。
悪魔がひとの体を得たいと要求した場合、ひとは悪魔に体を差し出す必要がある。
その選択をしてしまえば、悪魔は人の世界で自由に生きることができてしまうのだという。
連中は、冷酷で、残酷で、どこまでも邪悪だ。
ひとの世に解き放たれた悪魔が、何を成すのか、わからない。
だから、このことは伏せておく。
記録として残しはするが、悪魔に触れてはならない。
上級悪魔に刻印を施し従えることは不可能だ。彼らはひとが御せるものではない。
触れてはいけない、邪悪な神のようなもの。
私の過ちを、許して欲しい。それでも私は、妻を救いたかった。
禁書の最後は、懺悔の一文で締めくくられていた。
それはきっと手記なのだろう。
誰がそれを書いたのか、分からない。最後のページには、ジスと書かれていた。そのような名前の者は、フォレース探究所にはいない。恐らくは偽名だろう。
手記の紙質やインクは案外新しかった。
だから、そう古い話でもないのかもしれない。
私は希望の光を見いだしたような心持ちだった。
四枚羽の悪魔を見つけ出し契約を結べば、ミンネ様が救えるかもしれない。
――月――日。
ルトと共に、二枚羽の悪魔を捕まえて戻った。
悪魔に尋問を行い、四枚羽の悪魔についての情報を吐かせた。
悪魔は死んでしまったが、別に構わない。どのみち、使い道などなにもない。
不死の悪魔でも、死ぬことがあるらしい。
悪魔の死とは、消滅に近いのだろう。死体も残らず、砂のようにして消えた。
四枚羽の悪魔とは、たったの四人。
冥府の道化師メフィ■ト。
死の蛇■■エ■。
血と劫火の■レク。
叡智の王バアル。
誰でも良い。
急がなくては。ミンネ様の命の灯火は、今にも儚く消えてしまいそうだ。
――月――日。
どうやら、人間は竜を愛玩動物かなにかのように扱っているようだ。
つぎはぎの竜を作り出し、喜んでいる。
それが神への冒涜とも知らず。
メフィストは、まだ遊んでいるのだろうか。
私は何故このような文字を書き残しているのだろう。この体に残る男の記憶が、私にこのような行動をさせているのか。
面白い。
神への冒涜を続けよう。
竜を、神の御使いを玩具にして私もしばらくは遊んでみようか。
我が主の覚醒まではまだ遠い。
血と憎しみが、もっと必要だ。
あれは、違う者を選んだようだが、私はあの方こそが我が主だと考えている。
どのみち、今はまだ。
この男が愛していたらしい、あの女を私も愛しているふりを続けよう。
見た目が同じなら、気づかない。
ひとは、愚かだ。そして、愛おしささえ感じる。
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