ラシード聖王家とサリム・イヴァン 2
ファイサル様の赤い四枚羽の飛竜の名前はアレス君。
ラシード神聖国が飛竜の改良――改造をはじめたあとに産まれた飛竜で、アレス君のお父さんの飛竜も四枚羽なのだという。年齢もまだ若く、ヘリオス君と同じぐらいだそうだ。
ルトさんの茶色い飛竜の名前はオルフェウス君。
純血の飛竜で、産まれてからもう百年は経っているのだというけれど、飛竜は長命なのでまだ青年程度の年齢らしい。
どことなく落ち着きのある眼差しで、ヘリオス君やアレス君を眺めているその姿は、オルフェウス君というよりはオルフェウスお兄さん、といった感じだ。
ルトさんの体調が回復するのを少し待って、私たちはプエルタ研究院に戻るためにそれぞれの飛竜に乗って空を飛んだ。
眼下には、巨大な人食い花の紛い物――ファイサル様の話では、『魔獣』というらしい。
その魔獣を倒した残りである広大な陥没が見える。
まるで底なし沼のような陥没は、王都の大通り商店街が全て入りそうなぐらいに大きくて、円周から砂がまるで滝のように穴の中へと落ち続けていた。
ヘリオス君は、自分以外の飛竜と一緒に飛ぶことははじめてなんだと、ジュリアスさんが言っていた。
どことなく興味深そうに、アレス君やオルフェウスさんの周りをくるくると飛ぶヘリオス君を咎めたりせずに、ジュリアスさんは好きなようにさせていた。
オルフェウスさんはヘリオス君にあまり関心がなさそうだった。
アレス君は先ほどファイサル様がヘリオス君を褒めたのが気に入らなかったのか、大きく羽を広げて首を伸ばし、堂々と飛行する姿を見せながら、ちらりと緑色の瞳でヘリオス君を見ていた。
もし人間の言葉を話せたのなら『俺の方が優れている!』と言いたげな視線だった。
ヘリオス君はなんて言うのかしら。『どうして、四枚も羽があるの?』とでも言うのかしら。
私の中のヘリオス君は、涼やかな美少年の声で言葉を話している。
ヘリオス君はジュリアスさんの愛息子であり、私の子供でもあるので、声もきっと可愛いに違いない。
もしヘリオス君が人の言葉を話せるようになる錬金道具を作るとしたら、それはもう可愛らしくも凜々しさもあって完璧な美少年ボイスにしましょう。それが良いわね。
「……それにしても、レイラさんが無事で良かったですね」
私たちの隣を同じ速度で飛んでいるアレス君の上に跨がっているレイラさんは、飛竜に跨がるためドレスが邪魔だったのか、よくよく見るとドレスがかなり上の方まで裂けていて、真っ白い足を晒していた。
なんというか、あられもなかった。
ファイサル様がお姫様抱っこをしようとしたのをレイラさんが断固拒否するという一悶着もあったのだけれど、ジュリアスさんはさっさと私を連れてヘリオス君に乗ってしまったので、一悶着の決着を見届けることはできなかった。
結局、レイラさんがファイサル様の前に座り、思い切り足をさらけ出してアレス君に跨がる、ということで落ち着いたらしい。
目のやり場に困るので、落ち着かないで欲しかったわね。
「お前もな」
ジュリアスさんが短く言った。
私を心配して、シェシフ様の部屋まで乗り込んで助けにきてくれたのよね。
ようやく人心地ついたせいか、急に気恥ずかしく、それでいて胸の奥が詰まるような、奇妙な気持ちになる。
やっぱり、――ジュリアスさんが好き。
浮かれている場合じゃないけど、深く体にしみこむような感情に、私はふと息をついた。
「私は大丈夫ですよ。ジュリアスさんがいてくれるので。……レイラさんにも、ファイサル様がいて良かったです。私のように、ならなくて」
巻き込んでしまったのは私だけれど、レイラさんの立場や状況に、どことなく既視感を感じた。
私はシリル様とうまくいかなかったけれど、レイラさんとファイサル様は大丈夫そうに見えた。
それが――シェシフ様を、裏切ることになっても。
「ご兄弟で、争うことになるんでしょうか……」
「あぁ、そうだな。……聖王が、悪魔に操られているのではなく、飼っているとしたら――民は別の王を戴く必要がある。何か事情がありそうだが」
「帰れなくなっちゃいましたねぇ」
サリム・イヴァンが悪魔だと伝えて、飛竜の女の子を貰って帰る。
それから、ジャハラさんから、私のお父様について尋ねる。
それでもう無関係だと言ってアストリア王国に帰るなんて、できない。
「……このまま飛竜を物のように扱い続けるのなら、この国は滅んだ方が良い。ファイサルの話次第だな」
「ジュリアスさんが人の名前をちゃんと呼ぶとか珍しいですね」
私は感心して言った。
ジュリアスさんは大抵の場合肩書きとか、あれ、とか、それ、とかで人を呼ぶのに、珍しい。
返事はなかった。その代わり、ひらひらと落ち着きなく飛んでいたヘリオス君を窘めるようにして、ジュリアスさんが手綱を軽く引いた。
ヘリオス君がちらりとジュリアスさんを金の瞳で見た後に、一度大きく羽ばたくとその体を真っ直ぐに伸ばして速度を上げる。
遊びながら飛んでいたヘリオス君が急に速度を上げたことに気づいたアレス君が、ヘリオス君を追い抜こうとする。
こちらを見ているレイラさんと目が合った。レイラさんの赤い唇が弧を描き、どこか得意げな表情を浮かべている。
その後ろで、ファイサル様がとても困ったような、そして申し訳なさそうな顔でこちらを見た。
「勝負を仕掛けられてますよ、ジュリアスさん。どうしましょう」
「しっかり掴まっていろ、クロエ」
ジュリアスさんが乗り気だわ。
時々子供っぽいわよね、ジュリアスさん。
競い合うように速度を上げるヘリオス君とアレス君の後ろを、のんびりとルトさんを乗せたオルフェウスお兄さんが追いかけた。
突如はじまった第一回飛竜レースの結果は、ヘリオス君が無事に優勝を収めて、ジュリアスさんは表情が変わらないながらもご機嫌なようだった。
アレス君は体が大きく、翼も四枚なので、ヘリオス君のように早いと言うよりは、安定感のある飛び方をする。長距離を飛ぶのなら、アレス君の方が有利なのではないかしらというような気もする。
プエルタ研究院の門の前にヘリオス君とアレス君は降り立った。オルフェウスさんが少し遅れてたどり着いて、ルトさんがその背中から降りてくる。
『研究院の奥に、いきます』
ルトさんが首の器具を軽くおさえて、涼しげな声で言った。
具合が悪そうだったけれど、大分回復したみたいだ。
ルトさんが両手を胸の前で合わせると、足下に広大な紫色に光る魔方陣が現れる。
景色が揺らめき、私たちは三頭の飛竜と一緒に白亜の神殿のような場所へと移動していた。
天井が高く、三頭の飛竜が羽を広げても十分に広い場所だ。
窓はないのに光が差し込んでいて、柱の並んだ奥には植物がはえており、緑色の葉をのびのびと伸ばしている。
天井には正面門から入ったプエルタ研究院で見た物と同じような、羽の生えた美しい人々や、飛竜の描かれた天井画がある。
「おかえりなさい、クロエさん、ジュリアスさん。それに、ルト。無事で良かった」
神殿で待っていたのは、ジャハラさんだった。
ジャハラさんの隣には、体格の良い壮年の男性の姿がある。
筋肉の浮き上がった体に、銀の軽鎧をまとっている姿は、明らかに武人のそれだった。
軽鎧の胸には、竜の黒い紋様がある。もしかしたら、竜騎士なのかもしれない。
短い黒髪に、意志の強そうな灰色の瞳。三十歳前半か、中頃に見える大人の男性だ。
「ファイサル様、レイラ様、お久しぶりです」
ジャハラさんと男性は、臣下の礼をした。
二人の奥から姿を現した幾人かの男性たちが、茶色い飛竜のオルフェウスさんの手綱を引いて奥へと連れて行く。
オルフェウスさんは慣れているのか、抵抗もせずに羽をたたんで歩き出した。
男性たちが「食事を与えて、体の手入れをします」と言って、ヘリオス君やアレス君も連れて行こうとする。
ファイサル様がすぐに頷きそれを受け入れたのを見て、私もジュリアスさんを見上げた。
どうするのかしら。ヘリオス君のことは、ジュリアスさんが決めた方が良い。
大丈夫そう、なんて軽々しい判断はできないもの。
男性たちもジャハラさんの隣に並んでいる壮年の男性のような、竜の紋様がある軽鎧を着ている。
騎士団の方々のように見えた。
結局、ジュリアスさんは男性たちの申し出を断った。
ヘリオス君は私たちのすぐ後ろで、羽を降ろして足をたたんで寝転ぶようにして蹲り、目を閉じた。
「久しいな、ジャハラ。それに、ラムダ。……今まで、すまなかったな」
口火を切ったのは、ファイサル様だった。
竜騎士の男性の名前は、ラムダさんと言うようだ。
ラムダさんはもう一度、ファイサル様に礼をした。
「いえ。……私の方こそ、殿下を裏切る形になり、申し訳ありません」
「それは、俺の行いのせいだろう。……ジャハラも。プエルタ研究院に対する弾劾を知りながら、俺は今まで目を背けていた。お前の両親のこと、なんと言ったら良いか」
「怒りがないと言えば嘘になりますが、今は私情に流されている場合ではありません。……クロエさん、ジュリアスさん。こちらは、元ラシード竜騎兵隊長の、ラムダ・アヴラハ。飛竜を守るため、聖王家と袂を分かち追われていたところ保護し、こちらに匿っています」
ラムダさんは私たちに向かって、立礼をした。立派な立場にいたことが分かる、綺麗な所作だった。
私はぺこりとお辞儀をして、ジュリアスさんはちらりとラムダさんを一瞥した。
失礼だわ、と思った私は、ジュリアスさんの服を引っ張った。とはいえ、私が引っ張ったところでジュリアスさんの態度が変わるわけもなく、引っ張るだけに終わった。
「ここは、プエルタ研究院の心臓部にあたる、施設です。クロエさんたちに滞在して頂いた上階は、いわば張りぼての飾り。この場所が本当のプエルタ研究院だと思ってください。プエルタ研究院は、お二人を信頼し、歓迎します」
ジャハラさんは微笑んだ。
私の耳に、ジュリアスさんの舌打ちがはっきりと聞こえた。
この、全員信用していない感じ。まさにジュリアスさん。
かえってもの凄く、安心感があった。




