地下迷宮からの脱出 2
――それはまさしく、砂漠に咲いた巨大な赤い花だった。
肉厚な花弁の中央に抉れるようにしてひらいている穴には、たっぷりと消化液が溜まっている。
ぼこぼこと粟立つその液は、花が体を揺らすたびに溢れて零れ、黄色い砂の海に落ちる。
消化液が零れた大地からはしゅうしゅうと煙があがり、ぽっかりと丸く黒い穴があいた。
飛竜の体を持つ花には足がない。その代わりに、何本もの太い蔦が体からのびている。
胴体は腰から下のあたりが砂に埋まっていて、胴体の下側から太い根が絡まるようにはえて、大地を貫いている。
太い根は、目視できないけれど、砂の下へと張り巡らされているのだろう。
ヘリオス君は食虫花が獲物を捕らえるかのように向かってくる、先端が口のようにぱっくり開いた形状になっている蔦を、ひらりひらりとかわしながら、ジュリアスさんの指示を仰ぐように、理知的な瞳をちらりとこちらに向けた。
私はジュリアスさんの邪魔にならないように、鐙の後ろ側へと移動する。
空の上で体を動かすのは不安定で、まだ心許なさはあるものの、これで数回目なのでだいぶ慣れてきた。
「あぁ……、ちょっと見ない間に随分と大きくなって……」
巨大な人食い花もどきのあまりの巨大さに、私は一瞬現実逃避したくなって、子供の成長に驚く近所のお姉さんのようなことを言った。
「気に入らないな。あの品の無い首と、胴体を切り離す」
ジュリアスさんが眼下で揺れる人食い花を見下ろしながら、忌々しそうに言う。
「人食い花も好きであんな形状になったわけではないでしょうし、品が無いとか言ったら可哀想な気はしますけれど……! ジュリアスさん、上品とか下品とか気にするのですね、やっぱり育ちが良いですねぇ」
「クロエ、蔦は植物だったな。邪魔だ」
「残念なお知らせがあるのですけれど、超強力除草剤のストックはもうありません……、売れ筋商品ですし、最近作り足しができていなかったので、売り切れです」
「……仕方ない。刈り取るか」
「はい、刈りましょう。雑草を許すな、です!」
胴体しか残されていない飛竜の女の子は――もう、元の飛竜には戻れない。
人食い花は本能に従い捕食し、生きているだけだ。
きっと、倒すしかないのだろう。
「炎の乱舞、火嵐獄……!」
私はジュリアスさんの槍の穂先に向かい、杖を向ける。
黒い穂先が炎を纏い、熱したばかりの鉄のような色合いに変化する。
ヘリオス君は私たちの会話を聞いていたのだろう、ジュリアスさんが軽く手綱をひくと、空に舞い上がり、人食い花に風を切り裂くようにして向かっていく。
私たちを絡めとろうとしてくる蔦を、ジュリアスさんがヘリオス君の背中に膝をつき、半分ほど立ち上がるような姿勢で槍を振るい軽々と切り裂いた。
人食い花と比べてしまえば、私たちなんて花にたわむれに来た蜜蜂程度の大きさしかない。
空の上から見下ろした時はもう少し小さく見えたけれど、切り裂くにはその胴体は大きすぎるように思える。
「まるでお城と戦っているみたいですね……」
「地下にどれほど、改造に使われた飛竜がいたかは分からないが、地中から、栄養を取りこんでいるようだな」
ジュリアスさんによって焼かれ、切り裂かれた蔦が、みるみるうちに元の形状へと戻っていく。
花には目がないのだけれど、まるで私たちの姿を見ているかのように、花は私たちの方へと花弁を傾ける。
ぼたぼたと、大粒の雨のように消化液が空から落ちてくる。
ヘリオス君は花と飛竜がつながっている首の部分すれすれを、円を描くようにして飛んだ。
突き刺した槍の刃は花の側面を切り裂き、肉々しい赤い断面がのぞく。
けれどそれも切り裂かれたすぐあとから、元通りに繋がってしまった。
「ジュリアスさん、一度引きましょう……! 流石に大きすぎて、不利です。少し、考える時間を下さい!」
ぼたぼたと零れ落ちてくる消化液から、私は再び『災害用パラソル』を広げて頭上を守りながら言った。
災害用パラソルよりも消化液の方が強力なのだろう、私の渾身の――まぁ、売れなかったので、失敗作である災害用パラソルに、みるみるうちに穴があいていく。
強度不足だわ。
しかも頭上しか守れないとか、確かに使い勝手が悪い。
もっとこう、球体状の形で、全方位の危険から守ってくれるような錬金物を作るべきだったわね。
ジュリアスさんは案外素直にヘリオス君の手綱を引き、再び上空へと飛び花の傍から離脱をした。
私たちの眼下には、あまり気持ちの良くない花の姿がある。
飢えているのだろうか、舞い上がるヘリオス君を蔦が執拗に追ってくる。
ジュリアスさんが蔦を切り裂くのは容易だけれど、すぐさま再生されてはきりがない。
晴れ渡る空の雲の合間に身を隠すようにして、私達は一度巨大な花から離れた。
「あの花は、食料がなければ枯れるのでしょうか」
私が尋ねると、ジュリアスさんは少し考えるようにしたあとに首を振った。
「飛竜の性質を持っているとしたら、あれは動くことができる。今はまだ、地下から養分を吸収しているが、空になれば動き出し、街を襲うだろうな」
「それは良くないですね。やっぱり、動かない今のうちに退治した方が良いです。……人食い花も、本来は森の奥でひっそり生きていて、近づかなければ無害な動物と植物の中間のような生き物なのに、酷いことをするものですね……」
「同情するよりも、あれを倒す方法を考えろ」
冷静な口調で、ジュリアスさんが言う。
飛竜に対してだけは情熱を持ったジュリアスさんである。
内心穏やかではないだろうけれど、それでも冷静さを失わない。
戦い慣れ、しているのだろう。
「切り落とすと、再生してしまいますから、……根っこまで、燃やしてしまうか、凍らせてしまえば良いのでしょうけれど……」
「お前の魔法は?」
「私、魔導士としては本当に大したことないんですよ。破邪魔法は得意みたいですけれど、あれは特殊ですから、生き物やら普通の魔物にはあまり有用じゃないんです。胴体は飛竜ですが、飛竜と戦ったことはありません」
「飛竜の体は、どんな魔法も弾くとは言われている。ヘリオスで実際試したことはないが」
ジュリアスさんの発言に腹を立てたらしく、ヘリオス君が珍しく「キュイ!」とジュリアスさんを咎めるような声をあげた。
ジュリアスさんは宥めるように軽くヘリオス君の首をぽんぽんと叩く。
「……弱点らしい弱点は無いように見えますが、……唯一外にむき出しになっているのが、消化液が溜まっている花の真ん中ですね。消化器官があるとしたら、あそこは内臓に繋がっている筈で……、そうですね、試してみましょう」
「あぁ、分かった」
ジュリアスさんはいつもそうなのだけれど、私が何をしようとしているのかを深く尋ねたりしない。
信頼されているのだと感じることができて、嬉しくなる。
「はい! なんたって私は希代の美少女天才錬金術師なので、任せておいてください!」
うん。
大丈夫。
何とかなる気がするわ。
私はなるだけ自信に満ちた声を出した。美少女とは心意気である。気にしてはいけない。
そろそろ、美女、に変えるべきなのかしら。
でも、美女というのは、私の師匠であるナタリアさんのようなひとのことで、私は美女と名乗るには色気が足りない気がするのよね。
ヘリオス君は私達を花の真上へと連れて行ってくれる。
「消化液も、基本は液体ですもんね……、凍らせて、かためちゃえばあとは砕くだけなので……」
私はぶつぶつ言いながら、鞄の中から手のひら大の氷の結晶の形をした錬金物をあるだけ取り出す。
両手いっぱいの氷の結晶を手にした私は「なるだけ花の中央に近づいてください!」とジュリアスさんにお願いした。
「これは、全ての液体を凍らせる、氷結結晶です。元々、水害の多い街の方々の悩みを解決するために作ったもので、水が出たときに川や湖にむけて結晶を投げ込むと、瞬く間に凍らせて、水があふれるのを防いでくれる、というもので……、凍らせたあとの氷はゆっくりとけていくので、水害から街を守ることができるという素晴らしい優れものです」
「凍らせたあとに、砕けば良いんだな?」
「はい、そうです! どこまで凍るかわかりませんが、消化器官を凍らせてしまえば栄養が体に行きわたらずに、再生能力が失われるはずなので……!」
折り重なり絡みつき、先端の口を開いてヘリオス君を捕食しようとする蔦をジュリアスさんが切り落としながら、花の中央、真上までヘリオス君が滑空する。
私は両手に抱えていた氷結結晶をぼこぼこと気泡をあげている消化液の中に、ばらばらと全て落とした。
花弁が大きく震え、私たちを食べようとして、口を閉じるように中央に向かって閉じていく。
合わさっていく花弁の隙間から、ヘリオス君は大きく一度羽ばたくと、滑るようにして脱出した。
日差しの強い砂漠の気温が、不意に下がったような気がする。
花に、霜が降り始める。霜は瞬く間に花を包み込む氷へと姿を変えていく。
飛竜の体が、身をよじり始める。
蔦が苦しそうにじたじたと暴れ、地面を叩くように幾度も打ち、砂塵を巻き上げた。




