落とされたるは地下迷宮 2
私は無限収納鞄から道標の光玉を取り出した。
それは両手で抱えることのできる程度の大きさの白っぽい丸い玉である。大きな卵に見えなくもない。
「暗闇を照らし、地上に案内してくださいな」
私の言葉と共に、道標の光玉が周囲を明るく照らす。
十分な光量を確保できたので、私は光魔法で作り上げた明りを消して、周囲を確認した。
地下牢の内部までは見えていたけれど、更に先までを光玉が照らしてくれている。
岩を切り開いたような通路が奥まで続いている。所々木枠で固定されているが、岩肌はよく切れるナイフでパンを切ったときのように、滑らかな平らに切り開かれているようだった。
私とジュリアスさんが並んで歩いても十分な広さがあるぐらいの、広い通路である。
通路にはいくつもの曲がり角があり、複雑な作りになっているように見える。
「まるで迷宮ですね。でも、ジュリアスさん。道標の光玉があるからご心配なく。一度行った場所なら正確に案内してくれる光玉ですけれど、はじめての場所でも、それなりに案内可能です。特にこういった洞窟のような形状の場所は、入り口から空気が流れ込んでいますから、そういったものを敏感に感じ取って連れて行ってくれるんですよ。優れものですね。なんと私が作りました」
「それはなによりだ」
ジュリアスさんが褒めてくれたので、私は得意気に胸を逸らせた。
ドレスは褒めてくれなかったけれど、準備をばっちりしてきたことについて褒めて貰ったので許してあげよう。
「ところでジュリアスさん、その扇はどうしました? レイラさんの物に見えますが」
「借りた。扇というか、鉄扇だな。もう不要なものだ。しまっておけ」
「てっせん?」
私はジュリアスさんから扇を渡された。
見た目よりもずっと重い。ずっしりしている。
しげしげ眺めた後、鞄の中にしまった。鞄とつながっている無限収納トランクへと鉄扇がしまわれていく。
レイラさんに会ったらきちんと返してあげよう。
「暗器の一種だ。骨組みに鉄が仕込んである。あの女もどうやら、ラシード聖王家について不信感を抱いているようだな。第二王子の婚約者だと言っていたが、協力を申し出てくれた。だが――お前や俺の立場が知られていた以上、手を貸したあの女も危険かもしれないな」
「……レイラさん」
レイラさんは公爵家のご令嬢だ。
そして、ファイサル様の婚約者だという。
思わず以前の自分を思い出してしまい、私は俯いた。
レイラさんは大丈夫だろうか。私たちに手を貸したことを裏切りだと指摘されて、罪に問われているかもしれない。
私もかつて、捕縛されて投獄された。レイラさんは私よりもずっと強い女性に見えた。私と同じだと思ってしまうのは申し訳ないけれど。
レイラさんを巻き込んでしまった。
私がジャハラさんの頼みを聞かなければ、レイラさんとも出会うことはなかっただろう。
本当に――余計なことをしているみたいだ。
「こんなところで心配していても時間の無駄だ。ここを出るぞ」
俯いた私の背を押すように、ジュリアスさんの素っ気ないけれど力強い言葉が心臓の奥へと響く。
私はジュリアスさんを見上げて、頷いた。
赤と青の瞳がいつものようにじっと私を見下ろしている。髪はまだ黒いままだった。
黒髪でもジュリアスさんは格好良い。美形は何をしても美形なのだろう。
とはいえ、同じ美形でもシェシフ様はなんだかねばっとしていて気持ち悪いし、嫌いだけれど。
「ジュリアスさん、久遠の金剛石は鉄よりも硬いので、鉄格子を切れると思いますけれど、刃こぼれしたら嫌なので魔法をのせます。……あ。ところで、ジュリアスさんも着替えますか? アリアドネの外套を出せますけど」
「面倒だ。このままで良い」
ジュリアスさんは執事服のベルトの部分に剣の鞘をさすと、黒い剣をずらりと抜いた。
私は少し離れた位置で、剣を構えるジュリアスさんの久遠の金剛石の剣の黒い刀身へと、鞄から取り出した杖を翳した。
「鋭利なる水の刃、清流刃」
詠唱と共に、剣に水の膜が張る。
目視できないぐらいに細かく振動する水の刃だ。水の攻撃魔法の初級魔法なので魔法単品では牢獄の鉄格子を切り裂くほどの威力はない。
けれど、それはもう高級な久遠の金剛石の剣とジュリアスさんなので、――まぁ、問題ないわよね。
ジュリアスさんは水を纏った剣で、鉄格子を一閃した。
夕食のスープにするために根菜を切るようにさっくりと、鉄格子の上下が切れてばらばらと床に落ちる。
水魔法の効果は消えて、ジュリアスさんは剣を鞘へと戻した。
道標の光玉が、ふわふわと浮かびながら私たちを先導するようにゆっくりと進み始める。
さっさとそれを追いかけていくジュリアスさんを、私も追った。
地下通路は嫌な気配が充満しているような気がしたけれど、多分雰囲気のせいだろう。
そう、思いたい。
道標の光玉の後を追っていくつかの曲がり角をまがり、歩いていく。
起伏のない道である。階段もなければ窓もない。
ただ、通路の側面に、光源に使用していたようにみえる錬金ランプが等間隔で並んでいた。
私が作るような、きのことか、ぶどうとかの形をした錬金ランプとは違う。
そういう遊び心も可愛げもない、長方形のランプである。
良く見るとかなり古かったり、ところどころ破損していたり、蜘蛛の巣が張ったりしている。もう力を失っているように見えた。
「シェシフ様は、どうも――サリム・イヴァンが悪魔だと知っているようでしたよ。老いも死もない理想の世界を作るのだとか。悪魔の叡智を利用している、とかなんとか言っていましたね」
「死なないことが理想か。権力者の考えそうなことだな」
誰もいない回廊はあまりにも静かだ。
足音はもとより、呼吸さえ耳にうるさく響いている気がする。
気を紛らわすためにジュリアスさんに話しかけると、ジュリアスさんは吐き捨てるように言った。
「偉い人って死にたくないって思うんでしょうかね。それは、私だって死にたいとは思いませんけれど、……なんというか、ずっと若いまま生きて居たいなんて思ったことはないです」
「お前の言う美少女という自己評価が心意気だとしたら、お前はずっと美少女なのだろうしな」
「そうやって冷静に分析されると、ものすごく恥ずかしいのでやめてくれませんか。さらっと流して良いんですよ、そういうのは」
ジュリアスさんがあまり表情が変わらない顔で面白いことを言っている。
笑って良いのかしらと首を傾げながら、私は文句を言った。
「聖王が悪魔と手を組んでいるとしたら、異界研究院の運命論者の望みは叶わないだろう」
「ジャハラさんって言えば良いのに。人名より長くなってますよ、肩書き」
「ジャハラ・ガレナは悪魔さえ殺せばなんとかなると、夢見がちなことを言っていたが、そううまくいくものでもないだろう」
「そうですね、……どうすれば良いんでしょう」
「自らが王として起つ意思があれば問題はない。反乱とは、そういうことだ」
「ジャハラさんは聖王家に逆らいたいわけじゃないって言っていましたよ」
「それなら、余計なことをするべきじゃない。俺も、ディスティアナ皇国に歯向かおうとは、かつては思わなかった。そこまでの感情はなかった。戦場に出てさえいれば、ヘリオスと共にいられたしな。竜騎士としての俺の力を、皇帝は買っていたようだ」
「それはそうでしょうね、ジュリアスさん、強いですし。ディスティアナ皇国の皇帝って、私のお父様ぐらいの年齢でしたっけ、確か」
「あぁ。オズワルド・ディスティアナ。まだ生きていれば、それぐらいだろうな」
「最近はずっと静かですよね、ディスティアナ。戦争、やめちゃったんでしょうか」
「さぁな。だが、度重なる遠征のせいで、国力が疲弊していたのは確かだ。何を考えているのかは知らない。ディスティアナ皇家の連中も、貴族たちも愚かだ。それだけは確かだな」
ジュリアスさんは心底どうでも良さそうにそう言った。
それから、ぴたりと足を止める。
私は訝し気にジュリアスさんを見上げた。それから、視線を通路の先に送る。
細い通路が続いていたけれど、先に見えるのは今までの景色とは違う開けた場所だった。
そこにはいくつかの巨大なガラスでできた筒状の物が並んでいる。
天井まで伸びているようにもみえる背の高い筒である。筒の上には管があり、その管は天井に張り付くようにして更に奥へと続いているようだ。
筒状の大きな水槽は、錬金窯の中に入れているものと同じ、蒸留水で満たされているように見えた。
その中心には、見たこともない動物が浮かんでいる。
「……飛竜か」
小さな声で、ジュリアスさんが言った。
私は眉を顰める。
それはヘリオス君とはまるで違う形をしている。飛竜にしては随分と不格好だ。
他の動物と組み合わせて、つぎはぎをしたような形をしている。
それに、飛竜とはもっと大きい。水槽に入っているのは、ヘリオス君の半分以下ぐらいの大きさしかなかった。
「飛竜には見えませんけれど……」
私が疑問を口にしたのとほぼ同時に、天井からぱらぱらと細かい石が落ちてくる。
激しい地響きと共に、唐突に天井が崩れた。
大きな石が轟音を立てながら崩れ落ちてくる。土煙をあげながら、それは床に突き刺さるようにして落ちる。
私はジュリアスさんにエプロンドレスを掴まれて、通路の端へと引きずられるようにしながらそれを避けた。
投げ飛ばされなくなったのは、ジュリアスさんの私に対する好感度があがったからなのかしら。
崩落した天井に押しつぶされるのを免れながら、私はジュリアスさんと一緒に過ごすようになったばかりの頃の、懐かしい日々を思い出していた。




