落とされたるは地下迷宮 1
視界が真っ黒に染まり、一瞬の浮遊感の後に地に足がつく感触がある。
落下したというよりは、転移したという感覚だろうか。
錬金物を使用し空間を繋げることはあるけれど、私の作る錬金物は繊細さと細やかな気遣いに定評があるので、空間を歪めるとしても体への影響は極力減らすようにしている。
けれど、――サリム・イヴァンの使った、おそらく魔法による空間転移は、乗り物酔いしたように頭がぐらついた。強引に別の空間に引きずり込まれたようで、気配りがまるで足りない。
足元に穴をあけて落とすとかも、あんまり印象が良くないわね。私の緊急転移陣の方が余程性能が良い。
私ってば、もしかして悪魔よりも賢いかもしれないわ。悪魔の叡智さえ凌駕する、天才錬金術師クロエちゃん。
などと考えながら、私は右も左も上も下も分からないぐらい真っ暗な空間に光を灯すべく、光魔法を使った。
「光よ、照らせ」
光魔法による明りは魔力消費が無駄に激しいので、ずっと使うわけじゃない。
簡易な呪文で小さな光を灯す。
ようやく景色を確認することができた。
私が立っているのは、石櫃のような場所だった。黄土色の岩壁に覆われた、狭い空間である。
側面を岩壁に覆われていて、前面には鉄格子がある。牢獄のようだ。
鉄格子を両手で握っていたジュリアスさんが振り向いた。
小さな明りに照らされたジュリアスさんは、未だ不機嫌そうに私を睨んでいる。そんなに怒らなくても。こんな状況になってしまったのは、どう考えても全面的に私が悪いのだけれど。
「ええと、その……、ごめんなさい。こんなことになるとは思わなくて、ですね……」
「あの男に、何かされたか」
「されてませんよ! とんだ女好きの困った王様ですね、シェシフ様という人は。まぁ、クロエちゃんは美少女なので、つい嫁に貰いたくなっちゃう気持ちも分かりますけど。逃げるために思い切り蹴りましたので、大丈夫です」
怒っているというか、心配してくれていたみたいだ。
私はジュリアスさんを見上げて、口元を緩めた。ドレス姿は褒めないくせに、心配はしてくれるらしい。そんな場合じゃないのだけれど、にやにやしちゃうわね。
「サリム・イヴァンが悪魔か」
ジュリアスさんは私の一連の自画自賛を全部無視して話題を変えた。
ちょっと恥ずかしい。できれば何か言って欲しかったのに。無視はいけないわ、無視は。
「ジュリアスさんも分かりました? ジュリアスさんにも悪魔の気配が分かるんですか? 私だけじゃないんですね、良かった」
特別な何かがあると言われると、落ち着かないものだ。
安堵した心持で尋ねると、ジュリアスさんは首を振った。
「お前の顔を見ていればわかる。サリムから何かを感じたということはない。俺には、ただの魔導士に見えた」
「エライザさんもぴったりくっついていましたしね。エライザさん、男運がないんじゃないでしょうか……、ジュリアスさんに一目惚れした後に、シェシフ様に騙されるとか……。コールドマン商会は宝石を多く扱っていましたから、ラシード神聖国との取引があったとしてもおかしくはないですが、それにしてもですよ」
「くだらない話をしていないで、ここを抜けるぞ。鉄格子はどうにもならないが、側面はただの岩壁だ。魔法で天井に穴をあけろ、クロエ」
「エライザさんの男運、心配じゃないですかジュリアスさん」
「人のことを言えるのか、お前が」
呆れたように、ジュリアスさんは嘆息した。
それもそうだわ。私の頭にシリル様の顔が浮かぶ。私はジュリアスさんをまじまじ見つめながら、「そうですね」と深く納得した。
窓も何もない牢獄の中で、私たちの声は反響して大きく響いているようだった。
鉄格子の先は通路になっているのだろうが、暗闇が続いているだけである。
照らそうと思えば先まで照らせるのだけれど、魔力が勿体ないのでやめておいた。
「ともかく、悪魔はみつけました。サリム・イヴァンは――なんというか、悪魔が憑いているというよりは……、なんだか凄く、怖くて。もっと何か別の……、でも、とりあえずあとは、これを報告するだけです。飛竜の女の子が手に入りますよ、良かったですね、ジュリアスさん」
「ここがどこなのかは分からないが、外に出る道さえできれば、ヘリオスに乗って逃げることは可能だろう。それぐらいの魔法は使えるだろう、クロエ」
ジュリアスさんは相変わらず、私に頼めば大概のことは何とかなると思っている。
私は魔導士じゃなくて錬金術師である。最近破邪魔法が得意だと判明したけれど、他の魔法については中の下か、中ぐらいの実力しかない。
「安心と信頼と実績のあるクロエちゃんにお任せを! と、言いたいところですけれど、この狭さで天井や壁に魔法で穴をあけるのは危険ですよ。地下牢に見えますけれど、どの程度深い場所かはわかりませんし。場合によっては天井が崩れて生き埋めになります。生き埋めは嫌です、苦しそうなので」
「生き埋めになる前に、お前を抱えて脱出する」
「脱出するために、一か八かの身体能力に賭けないでも大丈夫ですよ! なんと、クロエちゃんは天才の上に用意周到なので、こんなこともあろうかとしっかり準備をしてきています」
「準備?」
訝し気にジュリアスさんが言った。
「はい。ええとですね、今から見られると困ることが起こりますので、絶対にこっちを振り向かないでくださいね、約束ですよ?」
私はジュリアスさんを見上げて、真剣に言った。
これは大切なことなのだ。主に私の羞恥心にとって、とても大切である。
「説明しろ」
ジュリアスさんが眉間に皺を寄せる。
「脱ぐので」
そうです、脱ぎます。
別にふざけているとかじゃない。ドレスは邪魔だし、靴も履いていない。これをどうにかするためには、脱がなければいけないのだ、私は。
「……今更お前の着替えを見たところで、どうとも思わない」
「私がどうかと思うんですよ! ジュリアスさんも少しはどうかと思ってください! ともかく、見ないでくださいね!」
ジュリアスさんはめんどくさそうに舌打ちをしたあと、私から視線を逸らしてくれた。
私は既に乱れに乱れているドレスに手をかけて、さっさと脱いだ。足元にすとんと、ドレスが落ちる。ドレスはお高いだろうけれど、仕方ない。これはここに置いていこう。邪魔だし。
ドレスの下にはコルセットが嵌められている。コルセットの紐を引っ張って解くと、これでもかと締め付けられていて内臓が口から出そうになっていたのが、ようやく楽になった。
コルセットの下に腹部や胸に巻き付けるようにして、無限収納鞄を仕込んであって良かった。
無限収納鞄は一見して何も入っていない布鞄なので、質量に乏しく薄っぺらい。
私にドレスを着せてくれた方に「どうして布鞄を服の下に?」と不思議そうに言われたので、説明が面倒だった私は「胸を大きく見せるためです」と元気よく答えておいた。
特に不思議がられなかった。胸が必要以上に大きくなくて良かった。
そんなわけで、ドレスを着ていた私の胸は、いつもより多少大きく見えていたのである。どうでも良いことだけれど。
「はー、すっきりした。何かあるんじゃないかと思って、無限収納鞄を持ってきていて良かったです。目立たないように、コルセットをぎゅうぎゅうにしめてもらっていたんですよね。おかげでご飯が食べられませんでしたけど。流石はクロエちゃん。天才。美少女」
自分の用意周到さに満足しながら、私は布鞄からいつものエプロンドレスを取り出す。
さっさと着替えてブーツを履くと、とてもしっくりくる。ドレスは煌びやかだけれど動きにくい。エプロンドレスこそ最強である。
「……クロエ。お前は、……例えば俺が、自分のことを美少年だと言って褒めたらどう思う?」
ジュリアスさんが珍しくおかしなことを言った。
ジュリアスさんは美青年ではあるけれど、二十五歳だし、そんなに若く見えないので、美少年ではない。
「ジュリアスさん、美少女とは……、心意気のことですよ」
「そうか。なら良い」
ジュリアスさんの言いたいことが大体わかったので、私はちゃんと教えてあげることにした。
私だって本気で自分を美少女だと思っているわけではない。
ジュリアスさんは納得したのだかしてないのだか分からないけれど、ともかく短く言って、私に視線を戻した。
完璧に元通りの姿に戻った私は、ジュリアスさんに久遠の金剛石の剣を「はい!」と差し出した。
多分きっと、とても得意気な顔をしていたと思う。
ジュリアスさんが無言で私を撫でてくれたので、褒められたと思った私はもっと得意気な気分になった。




