選ばれし美少女クロエちゃん 1
大広間の中央にあるダンスホールでは、音楽に合わせて優雅に着飾った女性たちが舞い踊っている。
ファイサル様に手を引かれてホールに足を踏み入れた私に、女性たちの視線が突き刺さった。
突き刺さりすぎて肌が痛いぐらいだ。久々に受ける嫉妬の眼差しに、逃げ出したい拒否感を覚える。
苦手だわ、こういうの。
かつての私がいた世界はずっとこんな感じだったわね。嫉妬と、嘘と、建前。そればかりだった。
私もそうだったし、私の周りもそうだった。本当は違ったのかもしれないけれど――私は建前と嘘で取り繕う以上の信頼関係を、他者と築くことができなかった。
「不安そうだな。大丈夫だ、落ち着いて」
ファイサル様が私の手を引いた。
腰に片手が置かれて、体を引き寄せられる。
背中にぞわりと悪寒が走った。
ジュリアスさんに触られるのとはまるで違う、力強さの中に気遣いと優しさのある触れ方だった。
ジュリアスさんに乱暴に抱えあげられることは嫌ではなくて、最近ではロジュさんに暴れ馬にひかれるぐらいの勢いで抱きつかれることにも少し慣れてきたけれど、――やっぱり、駄目だわ。
ファイサル様は顔立ちは良いし優しいのだろうけれど、早く離れたい。
私はなるだけ内心の拒否感に気づかれないように、笑顔を浮かべた。
商売用の笑顔は得意なのよね。公爵令嬢としての経験も、錬金術店店主としての経験も役に立つことがあるだなんて、何事も経験だわ。
音楽に合わせて、ファイサル様の長い足がステップを踏む。
ファイサル様に身を任せておけば確かに間違いはなさそうだ。的確なリードに、背筋が曲がらないように気を付けながら、私も歩きにくい靴を久々に履いている足を踏み出した。
ドレスの赤いスカートが、ふわりと花のように広がる。
ファイサル様の邪魔にならないようにだろう、ホールにいた方々が広間の端へと戻っていく。
いつの間にかダンスホールには、私とファイサル様の二人きりになっていた。
「……随分と、慣れているように感じる。コスタリオ伯爵は、しっかりとした教育をされているようだな」
体を密着させているファイサル様が、私の耳元で囁く。
「ありがとうございます」
ラシード神聖国の音楽はアストリア王国の音楽とは雰囲気が違うけれど、基本的なダンスのステップは同じらしい。あまり突飛なことがなくて良かった。
私にとってはありがたいことに、ファイサル様の仕草はどことなく事務的だった。
シェシフ様に命じられて、私と踊ってくれているのだろう。
「我が兄の噂は耳にしているだろうから、不安もあるだろう。だが兄はあれでいて、優しいところもある方だ」
「不安はありません。私には、勿体ないことです」
大広間の中央には、大きくて豪奢なシャンデリアが釣り下がっている。
沢山の硝子が使われていて、シャンデリアの明かりが硝子に反射して輝いている。
明かりの燃料は、蝋燭でも固形燃料でも、オイルでもなさそうだ。
私が良く作るような錬金ランプの亜種だと思われた。
それにしても私の両手を広げても間に合わなさそうな巨大なシャンデリアを作るだなんて、凄いわね。
錬金術ではもともとの物質の質量よりも大きなものは作れない。まして、錬金窯よりも大きなものは作れない。
どうやって作ったのかしら。ラシード神聖国には、巨大な錬金窯があるのかしら。
私はくるくると回されたり、体を逸らせたりすると視界に入ってくるシャンデリアを眺めながら、そんなことを考えた。
「恐らくあなたは選ばれる。……兄は、数々の美しい令嬢がいるというのに、あなたしか見ていない」
ゆったりとした曲調に音楽が変わる。
ファイサル様が再び私の耳元で言った。私はファイサル様に抱きしめられるようにしながら、小さく頷いた。
「私の容姿が珍しいから、ですね」
「あぁ。……ラシードの令嬢たちは美しいが、……少々飽いているのだろう。我が兄は、美しい宝石を愛でるように、女性を扱うようなところのある方だからな」
ファイサル様は困ったように言った。
レイラさんが言っていた、シェシフ様が女好きという噂は本当なのだろう。
ファイサル様の口調からは気苦労が滲んでいた。
ふと、音楽が止まった。
ファイサル様は私からそっと体を離すと、大広間の奥の檀上にある玉座に視線を向ける。
玉座ではシェシフ様が立ち上がっている。ファイサル様はシェシフ様に向かって一度頷いた。それから私の手を引いて、玉座の前に向かった。
私は促されるまま、赤い絨毯の敷かれた階段をゆっくりと上り、檀上にあがった。
近くで見るシェシフ様は、女性的な作り物めいた美貌を持つ方だった。長い銀の髪に、金冠から額や髪に垂れている大粒の宝石がその美貌を飾っている。
宝石にも負けないぐらいの美しい顔に涼やかな微笑みを浮かべて、シェシフ様は私に手を伸ばした。
「兄上。クロエ・コスタリオ伯爵令嬢です。コスタリオ家の養女だそうで」
ファイサル様は私の手をシェシフ様に渡すと、一歩後ろに下がった。
シェシフ様の手はその見た目と同じように、女性のようにしなやかだった。ほっそりとした指先が、私の手を握る。体温が低いのか、ひやりとして冷たい。
本当は心底ジュリアスさんの元へ帰りたかったけれど、逃げ出すわけにもいかないので、私はひたすら我慢をしながら口元に営業用の笑顔を浮かべ続けた。
「はじめまして、美しい方。あなたを一目見たときから、あなたを私の伴侶にしようと心に決めていた。ファイサルが身分を確かめるというので我慢をしていたが、ファイサルと踊るあなたを見て、私の心は嫉妬と悲しみで張り裂けそうだった」
シェシフ様が、悲し気に微笑みながら、静まり返った会場に良く響く深みのある声音ではっきりと言った。
私は笑い出しそうになるのをなんとか堪える。
こんな――なんというか、舞台役者の方が言いそうなことを言われたのははじめてだ。
シェシフ様の言葉はどことなく空虚だ。手慣れていて、演技染みている。
なるほど、女好き。
というのも納得できる。数々の女性にこのような甘言を囁いてきたのだろう。
レイラさんの言う通りかもしれない。シェシフ様に選ばれて幸せな結婚生活を送るというのは、なんだか難しそうな感じがした。
私は恋愛経験が豊富にあるとか、男女の艶事に詳しいわけではないけれど、一応女なのでそれぐらいのことは理解できる。
「あなたを私の伴侶にしたい。クロエ、私の心は、あなたのものだ。だからあなたも、私に心を捧げて欲しい。ともに、ラシード神聖国を――幸福に満ちた国にしよう」
シェシフ様は美しく微笑みながら言った。
広間から、ぱらぱらと遠慮がちに拍手が上がった後、それは大きなうねりのように広がって、喜びの声と拍手が聖王宮を揺らすように響き、満ちる。
きっと誰も、私のような誰だかわからない者が選ばれることを歓迎してなどいないだろう。
拍手も喜びも、幸福も、欺瞞に満ちている。
とても懐かしい。この大広間には私の失った全てが詰まっているようだった。
取り戻したいなんて思わない。アストリア王国に帰って、いつもの日常に戻りたい。
でも、ここに来ることを決めたのは私なのだからと、自分を叱咤した。
飛竜の女の子に目が眩んだというのも、嘘ではないのだけれど。
――悪魔を見つけることが私にしかできないのだとしたら、私はジャハラさんを手伝うべきよね。
もしかしたらその悪魔は、取り逃がしてしまった悪魔、メフィストと繋がりがあるのかもしれない。
「さぁ、こちらに。あなたのことが知りたい。ゆっくりと話をしよう、クロエ」
シェシフ様は私の手を引いて、檀上の奥にある扉へと向かう。
広間に残してきてしまったジュリアスさんの方を見たかったけれど、何とか堪えた。あまり、不審な動きをするわけにはいかない。身分が知られてしまったときに危険なのは、私よりもジュリアスさんなのだし。
聖王宮の奥に一歩足を進めるごとに、足元から、ぞくりとした不安が這いあがってくるようだった。
シェシフ様は、怖い。
けれどその怖さは、アリザに感じていた怖さとはまた別の恐ろしさのように感じられた。




