アルシュタット聖王宮での妃選び 2
城での晩餐会というのは、シリル様の婚約者だった時代私も何度か参加したことがある。
今でこそこんな私だけれど、アリザがセイグリット家に来るまでは、セイグリット公爵家の娘としてきちんと育ててもらった。過去には当たり前だった礼儀作法や立ち振る舞いなどは、思い出そうとすれば案外思い出せるものである。
今の私は美少女錬金術師クロエちゃんではなくて、クロエ・コスタリオ伯爵令嬢。
そう思うと、背筋も伸びるし表情筋もやや硬くなる。
きちんと育てられたご令嬢というのは、口を大きく開けて笑ったりはしないので、表情筋が硬くなるのは仕方ないのよ。
今の状況が昔を思い出してしまって何となく気が沈んでしまうから、とかではない。
多少の心配はあったけれど、いざ王宮に来てみたら驚くほど落ち着いていた。改めて、私はもう大丈夫なんだなと理解することができて、ほっとした。
ざわついていた大広間が、不意に水を打ったように静かになった。
皆の視線が大広間の奥へと向けられる。
胸元で両手を組んで皆が頭を下げるので、私も皆に倣って慌てて頭を下げた。他人に頭を下げたりは絶対しなさそうなジュリアスさんも、きちんと皆と同じ所作をしていた。
この任務に飛竜の女の子が賭けられているのだから、ジュリアスさんも文句を言いながら真面目に取り組んでくれているようだ。
「皆、良く集まってくれた。顔を上げて良い」
良く通る声が大広間に響いた。
暗い夜空を連想させる、深みのある低い声だった。
顔を上げると、大広間の奥にある檀上に何人かのひとが立っていた。
中央で言葉を話しているのが聖王シェシフ・ラシード様だろう。筋骨隆々の偉丈夫を想像していたのだけれど、シェシフ様という方は長く美しい銀色の髪を持った、どちらかと言えば嫋やかな麗しい方だった。
褐色の肌に銀の髪が良く映えている。すらりとした長身で、金糸で縁取られたローブのような丈の長い白い服を身に纏っている。白い服の裾には、黒薔薇の紋様が描かれている。
頭にある繊細な金冠には、シェシフ様の瞳の色と同じ大粒の青い宝石が大小いくつも輝いている。
「私のためにラシード神聖国の各地から来てくれたこと、感謝する。皆も知っての通り我が父が病魔のため世を去ってまだ日が浅い。聖王としての私は未熟であり、皆の支えが必要だ」
シェシフ様は良く通る声で皆に言った。
集まっている貴族たちは感動したように、感嘆のため息を漏らしている。
ジャハラさんの話を聞いただけだったので、聖王とはどんなに恐ろしい人なのかと思っていた。
けれどゆったりとした口調で話をするシェシフ様は、その容貌と相まってとても優しそうに見える。
人格者に見えるのだけれど、こんな方が本当に悪魔に操られてプエルタ研究院の排斥を認めているのかしらと、不安になってくる。
「私は共にラシード神聖国を支えてくれる伴侶を求めている。しかし選ばれなかったものもまた、私とともに国を支える大切な家族の一員だと思って欲しい。どうか、今日はゆるりと過ごしていってくれ」
シェシフ様はそう言うと、会場の奥にある玉座へと優雅に座った。
シェシフ様と共に並んでいた王族と思しき方々も、それぞれの椅子へと座る。
右側にシェシフ様とよく似た色合いの、けれどシェシフ様よりはずっと男性的な印象の、それこそ筋骨隆々――とまではいかないけれど、体格の良い男性。
左側に、こちらもシェシフ様と風貌が似ている豪奢なドレスに身を包んだ美しい女性が座った。
今のところ、気持ち悪さも嫌な気配も感じない。アリザに感じていたような感覚はないので、彼らに悪魔が憑いている、ということはなさそうだった。
大広間からはシェシフ様の言葉に拍手が起こっていた。私も拍手をした。ジュリアスさんはしなかった。
会場にはざわめきが戻り、会場の端に並んだ楽隊による音楽が奏でられはじめる。
私はジュリアスさんの服の裾を引っ張った。ジュリアスさんは小声でも話しやすいようにだろう、顔を私に近づけてくれる。
「聖王様、良い人そうでしたね」
私がそっと耳打ちすると、ジュリアスさんは無言で私を睨んだ。
「どこが良い人なんだ、お前の目は節穴なのか、阿呆」という顔だった。
「……何か、感じたか?」
私の話には取り合わずにジュリアスさんが尋ねてくるので、私は首を振った。
「まだ、なにも」
さて、どうしたものかしら。
悪魔が憑いているものが、王宮の奥にいるのなら、こんなところで立っていても見つけることなどできないだろう。
何か理由をつけて、奥に潜入するべきなのかもしれない。
「あの、ちょっとよろしいかしら」
どうしようかと思案していると、愛らしい声音で話しかけられたので私はそちらに顔を向けた。
壁際に沿って立っている私に並ぶようにして、私と同年代ぐらいの女性が近づいてきて立った。
女性は胸元に黒薔薇をあしらった青いドレスに身を包んでいる。長い黒髪を頭の上で結った白い肌の女性だ。
黒く透ける扇を手にしており、赤く肉感のある唇に香り立つような色香がある。釣り目がちの勝気そうな顔立ちの、綺麗なひとだ。
「はじめまして、クロエ・コスタリオと申します。コスタリオ伯爵の養女です。社交の場に出るのは今日がはじめてで、貴族の方々の名前と顔も、良くわからなくて……、失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
女性が目上の貴族だと想定して、私は先に名前を名乗った。
先に名乗っておけば失礼はないだろう。あまり目立つことはしたくない。スカートの裾を摘まんで軽く礼をすると、女性も会釈を返してくれた。
ジュリアスさんは一歩後ろに下がる。従者としては正しい態度だ。
「私は、レイラ・ファティマ。ファティマ公爵家の長女よ。はじめまして、クロエさん」
女性は口元に弧を描くような笑みを浮かべて、はっきりとした口調で言った。
「レイラ様……、お名前を聞くだなんて、失礼なことをしてしまって、申し訳ありません」
女性は、レイラさん。ファティマ公爵家のご令嬢。
私は頭の中で忘れないように反芻した。
公爵家なのだから、聖王家と血縁関係がある可能性が高い。貴族の中では一番高位である。私は恐縮したふりをして、身を竦ませた。
「見かけない方だと思ったけれど、コスタリオ伯爵の養女……、コスタリオ伯爵には嫡子が居ないのだと聞いたことがあるけれど、養女がいたのね。知らなかったわ」
「はい。孤児院から拾っていただいて……、私は礼儀作法に明るくなかったものですから、伯爵が心配をしてくださって。社交の場に出てつらい思いをしないようにと、外に出なくて良いように計らってくださっていたのです。今回に限っては、聖王宮からのお達しとのことで足を運びましたが、まず選ばれたりはしないでしょうから、こうして時が過ぎるのを待っているのです」
「あら、そうなのね。ここに集まった方は皆、シェシフ様に選ばれたくて必死な女性ばかりだと思っていたのだけど。あなた、シェシフ様のお顔を見るのもはじめて?」
「はい。名前だけは知っていたのですが……」
「見ての通り、玉座に座っているのがシェシフ様よ。確か、二十六歳だったかしら。良い年なのに婚約者もなく、ご結婚する様子も今までなくてね。たいそうな女好きだということは評判なのだけれど、遊びと結婚は違うのかしら。私には結婚しても良い未来は望めないような気がするのだけど」
「レイラ様、それはあまり言葉にしない方が良いのではないでしょうか……」
小さな声で私が言うと、レイラさんは「あら」と言いながら口元を黒い扇で隠した。
「どうせ誰も聞いていないわ。皆シェシフ様に夢中だもの。そろそろダンスが始まるわよ。蝶が舞うように、スカートを広げて美しさを競い合うのだわ。あぁ、嫌ね」
「レイラ様は、選ばれたくないのですか?」
「私には婚約者がいるもの。今日ここに来たのは、義務みたいなものよ。別に来なくても良かったのだけど……、話の途中だったわね。シェシフ様の隣に座っていたのが、第二王子のファイサル様と、妹君のミンネ様よ。ファイサル様は――」
楽隊の奏でる音が、音量を増したように大広間に満ちる。
華やかでありながらどことなく懐かしさもを感じる音色だった。アストリア王国の旋律とは違う。聞いたことのない音楽だ。
バイオリンに似た丸みを帯びた楽器、指ではじく平たい弦楽器と、フルートのような笛、手で叩く太鼓のようなもの。楽器の種類も違う。
集まったご令嬢の方々が、男性にエスコートされて大広間の中央にあるダンスホールで舞い踊り始める。
懐かしい光景だった。私もシリル様と、数回踊ったことがある。
レイラさんは何か言いかけた口を閉じた。それから視線をダンスホールに向けた。
「聖王様の花嫁選びではあるのだけれど、集まった方々は独身の貴族令嬢ばかりだから。シェシフ様に選ばれなかった時のことを考えて、それぞれ良縁を狙っているの。貴族の子息も集まっているからね。クロエさんはどうなの? コスタリオ伯爵から、何か言われていないの?」
レイラさんはため息交じりに言ったあと、私に視線を戻した。
私はレイラさんに怪しまれているのだろうか。
なるだけおかしなことを言わないように気を付けないと。
「私は、とくには何も……、失礼のないように、壁際で大人しくしているように言われました」
「そう。あなた、私達とは毛色が違うから、別の王国の血がかなり濃く混じっているようだわ。珍しいし可愛らしいから、先程から注目されているわよ。声をかけたそうにしている男が沢山いるから、私が先回りして声をかけたの。狼の群れの中にいる子羊に見えたからね」
「そんなことは、ないですけど……」
まぁ、美少女なので!
などと、内心鼻高々になる私。聞こえていますか、ジュリアスさん。可愛らしいと褒められましたよ――と、状況が許せば勝ち誇ったように言いたかった。
そんなことはできないので、表面上はしおらしく謙遜などしてみる。
レイラさんはにっこりと微笑んだ。
「でも、そちらの方が怖くて、皆怖気づいているのよ。とても美しいけれど、怖そうだもの」
そちらの方と、レイラさんは扇でジュリアスさんを示した。
やや高圧的な仕草だったけれど、身分を考えれば当然だろう。
「ジュリアスさんがですか?」
「ジュリアスさん?」
「あ、ええと……、ジュリアスさんは、私の護衛のようなものです。腕が立つのでコスタリオ家に雇われている方で、従者なのですけれど、護衛の役割もできるのですよ」
ジュリアスさんはレイラさんに覗き込まれるようにされたけれど、特に表情を変えずに一瞥したきりだった。
かなり失礼な態度なのだけれど、レイラさんは気にした様子もなく、「ふぅん」と短く言った。
ジュリアスさんの首輪と首後ろの紋様は隠れるような衣服を着ているのだけれど、無性に気になる。
レイラさんは意味ありげな笑みを口元に浮かべて、私をじっと見つめた。
もしかして、嘘がばれてしまったのかしら。レイラさんは気が強そうで、どこか抜け目のない方に見える。緊張が体に走った。
「……あなた、そちらの方ともしかして、良い関係なのかしら」
どこか確信めいた響きを持つ声音で、レイラさんが言った。
「い、いえ、そ、そういうわけでは……」
私は若干上ずった声で否定した。
予想とは違う詮索をされたので、やたらと動揺してしまった。




