アルシュタット聖王宮での妃選び 1
数日間、プエルタ研究院にお世話になった。外を出歩いて、万が一にでも顔を見られたらよくないということで、軟禁状態だった。不自由はなかったけれど、多少窮屈ではあった。
とはいえ、プエルタ研究院には見たこともない錬金術や素材などについて書かれた文献が多くあったので、退屈するということはなかったのだけれど。
私が書庫で錬金術についての本を読んでいる間、ジュリアスさんも飛竜についての文献を漁っているようだった。窮屈な数日間だったけれど、案外充実していたように思う。
私達が見ることができる場所は限られていたけれど、それでも数日ではとても読み切れないほどの知識が書庫にはおさめられていた。
そして、プエルタ研究院を訪れてから数日後。
私達はプエルタ研究院が所持するずんぐりむっくりした改良された飛竜に乗って聖都に移動して、聖都アルシュタットにある聖王宮の大広間に来ていた。
聖都ではプエルタ研究院から派遣された侍女たちが待っていた。
彼女たちに言われるがままに、ジュリアスさんと私は、聖都の宿の一室で手早く身なりを整えた。
久々にコルセットに締め上げられた腹部が、ぎゅうぎゅうに圧迫されてそれはもう苦しい。
肉付きが良くなったというわけではないと思う。
セイグリット公爵家のご令嬢だった私は、色々あって食が細くて貧弱な体型をしていた。今はそこそこにご飯を食べて適度に運動もしているので、引き締まっている筈だ。
体重が増えたわけじゃなくて、以前よりもつくべきところにお肉がついてきゅっと引き締まったに違いないわ。そう思いたい。
私はコルセットで締め上げられた体に、これまた久々に、豪奢で質の良いドレスを身に纏っている。
足元まで隠す濃い赤色のスカートの中には白いレースが幾重にも重ねられている。まるでデコレーションケーキを身に纏っているようだ。華奢なヒールの赤い靴に、むき出しの首元には繊細な金の首飾り。
髪は短いので軽く結って、聖王家の紋である黒い薔薇の髪飾りをつけている。
聖王家に忠誠を示す証でもある黒い薔薇。
私以外の女性たちもドレスや髪飾りなど、どこかに身に着けているようだった。
ジャハラさんからの依頼を受けることにした私は、プエルタ研究員を秘密裏に支援しているコスタリオ伯爵家の養女という扱いになった。子供のいない伯爵家が迎え入れて、大切に育てられていたので滅多に外に出ることのなかった養女である。
という設定なので、ラシード神聖国の貴族事情にも詳しくないし、既知の方もいない。
ラシード神聖国の方々と肌の色が違うけれど、出自は孤児なのでわからない。養女だけれど伯爵令嬢なので妃選びに参加する資格はある。聖王家のお達しでは、十七歳から二十歳程度の女性の参加が求められているので、ぎりぎり大丈夫だった。
年よりも若く見えるんじゃないかなと自分では思っているので、ぎりぎりどころか完璧に大丈夫。
なんせ私は美少女なので。
アルシュタット聖王宮は、外観からは巨大な白亜の神殿に見えた。
砂漠の中に唐突に現れる広大な街。その中心にある白亜の神殿の屋根は金色に塗られていた。煌びやかな外観と同じように、妃選びの会場である聖王宮の大広間も派手な造りになっている。
壁も柱も天井も金色で、金色の塗装の上から黒い薔薇の模様が描かれている。美しいには美しいのだけれど、少々華美な印象を受ける。
私は華々しく着飾ったラシードの貴族令嬢の方々の邪魔にならないように、ぶつからないように気をつけながら、大広間のなるだけ壁際の方へと移動した。
私はここに妃に選ばれに来たわけじゃなくて、悪魔を探しに来たのである。ぐいぐい前に出てやる気を見せる必要はない。
まかり間違って、万が一にでも選ばれたら、困るし。
「……ジュリアスさんの違和感が凄い」
私の手を取ってエスコートをしてくれているジュリアスさんを見上げて、私は言った。
貴族のご令嬢のように着飾った今日の私の違和感も凄いけれど、ジュリアスさんの違和感ときたら、ちらりと見ただけで笑い転げそうになってしまう。
アストリア王国の公爵家長女だったけれど、あまり目立たなかった上に三年前に王都に捨てられただけの私とは違い、ジュリアスさんはディスティアナ皇国の将だった。
皇国はラシード神聖国の中枢まで攻め込むことはなかった。他の国に比べると戦う回数というのはかなり少なかったそうなのだけれど、ジュリアスさんの存在を知られている可能性は十分ある。
戦闘中のことなので、遠目に顔を見られた程度のようだけれど。
だから聖王宮には一緒に来なくて良いと断った。けれど、ジュリアスさんは了承してくれなかった。
魔法錠の制約に「私の傍を離れないこと」を再び付け足せとまで言うので、仕方なくついて来てもらったのである。
私を一人にすると、ろくなことをしないとジュリアスさんは思っているようだ。
信用されてないわね。私のせいなのだけれど。
ジャハラさんの提案で「ジュリアスさんは、それでは、クロエ・コスタリオ伯爵令嬢の従者、ということにしましょう」となった。
とはいえ、私の容姿がラシード神聖国の人々とは毛色が違うことに加えて、ジュリアスさんまで、というのは目立ちすぎる。
そんなわけで、ジュリアスさんの髪は今、ルトさんの魔法によって黒く染められている。
ラシードの方々は黒髪が多い。肌の色は褐色から他国の血が混じって白い方もいるそうなので、「黒髪にしておけば大丈夫だと思います」とジャハラさんは言っていた。
容姿を変化させる魔法というのは初めて見た。刻印師というのは極めて魔力量の強い方が身を犠牲にしてさらに強力な、封魔の刻印魔法を使えるようにしている存在なのだという。
つまりルトさんは刻印師でもあり強力な魔導士でもある。ラシード神聖国は魔道の発展している国なので、私の知らない魔法もかなりあるのだろう。
金髪ではなく、黒髪さらさらのジュリアスさんは、私の従者なのでかっちりとした執事服を身に纏っている。
黒いベストに、胸元には黒薔薇を模したピンを止めている。金糸の縁取りがある黒いジャケットを着こんで、白い手袋をはめていた。
ジュリアスさんは顔立ちもスタイルも良いので、何を着ても似合うのだけれど。
だらりとした黒いローブばかり着ているジュリアスさんを見慣れている私にとって、今のジュリアスさんは違和感の塊である。黒髪はそんなに気にならないのだけれど、服装が、面白い。
「……お前もな」
私の横に真っすぐに立って、大広間に視線を送っていたジュリアスさんは、私の方に視線を向けた。
こういった場所ではあまり大きな声を出すのはマナー違反とされている。
ジュリアスさんも心得ているのか、いつもよりも密やかな声で言った。
「着飾ったクロエちゃんの溢れ出る美少女の魅力に屈服しましたか、ジュリアスさん」
緊張感を和ませてあげようと思い、私は得意気に胸をそらせて言った。
ジュリアスさんは無言だった。無言、良くない。
私が本気で自分の容姿が優れていると言っている勘違い女みたいな雰囲気になるので、恥ずかしい。
「……服装の話は良いです。それよりジュリアスさん、見たことないご飯がたくさんありますよ。食べます?」
白いテーブルクロスのかけられた丸テーブルが大広間には並び、豪華なお食事や飲み物がどうぞお好きなだけお召し上がりください、とでもいうように、沢山置かれている。
聖王シェシフ・ラシード様の妃に選ばれたいと望んでいるご令嬢の方々はご飯を食べるどころではない筈だ。
付添人の――おそらく、ご両親やご兄妹だろうか、立派な身なりをした妙齢の方々は、お酒を飲みながら歓談し、食事をとっている。
因みにコスタリオ伯爵は一緒には来なかった。会ってもいない。万が一私がプエルタ研究院に通じていると知られてしまった場合、危険が及ぶのを危惧してのことである。
「つまり、クロエに単身聖王宮に乗り込ませるつもりだったのか?」と言うジュリアスさんに、ジャハラさんは「ジュリアスさんは一緒に行くと言うと思っていたので」と、悪びれもせずに言っていた。
「あれ、なんでしょうね。串にささってるの。羊かなぁ、羊のお肉かもですよ。食べますか、ジュリアスさん。お肉多いですね。白いソースがかかってるお肉、初めて見ました。砂漠だから、野菜も魚も少ないのかな。でも、トマトと玉ねぎはあるみたいですよ」
「少しは静かにできないのか?」
ジュリアスさんに睨まれたので、私は渋々口を閉じた。
プエルタ研究院では、私たちに気を使ってか、アストリアでも見たことのある食事がほとんどだった。
パンとか、豆のスープとか、内臓のトマト煮込みとか。
なので、大広間に用意されているラシード神聖国のお料理はどれも新鮮に目に映る。
できれば少しづつ食べて、調理方法や味などを覚えて帰りたい。
食堂のロキシーさんに教えてあげたら、喜んでくれるはずだ。
「食べたいけど、コルセット、苦しいんですよね……、もう胸がいっぱいで……」
私はため息をついた。羊のお肉、食べたい。
「ただで高級食材を食べることができる滅多にない機会なのに、こんな格好のせいで」
「苦しいほどに締めるものなのか、コルセット、というのは」
「それはもうぎゅうぎゅうですよ。あ。太ったわけじゃありませんからね」
「知っている」
何で知っているのかしら。
私はジュリアスさんをじっと見つめた。ジュリアスさんはそれ以上何も言わず、特に表情も変えずに、注意深く会場に集まった方々を観察しているようだった。
ちらちらと、お集りの方々が私たちの方を見ている。
着飾った私があまりにも美少女だから見ている――というわけではなさそう。
どちらかといえば、ジュリアスさんを見ている。
ジュリアスさんは目立つから、ディスティアナのジュリアス・クラフトだと気づかれてしまったのかしらと一瞬思ったけれど、ジュリアスさんに視線を送っているご令嬢の方々の熱い視線はそういったものではなさそうだった。
コールドマン商会のエライザさんに道を踏み外させた、黙っていれば完璧な容姿が、ここでもまた被害者を作ろうとしている。
罪深いわね、ジュリアスさん。
どういうわけか、ちょっと腹が立った。




