プエルタ研究院とフォレース探究所 4
私は膝の上に置いた手に力を籠める。
自分の事さえ、よく分からない。お父様は――私が悪魔に気付いてしまう事を、心配していたのだろうか。
悪魔の存在に気付いてしまえばきっと、私は悪魔に殺される。
そう、思っていたのかしら。もうお父様にそれを尋ねることはできない。ジャハラさんのお父様も、お亡くなりになっている。想像することしかできない。
今まで静かにジャハラさんの後ろに控えていた女性が、徐にフードを外した。
褐色の肌に紫色の瞳。嫋やかな黒い髪を持つ若い女性だった。
女性の首には、円柱状の器具が嵌められている。それはどうも首に刺さるように首と繋がっており、ぐるりと周囲を紐で結んでいるように見えた。
「……あ、……あ、……ぅ」
女性は私をじっと見つめて、何か言葉を発した。
音は喉から漏れているように聞こえた。彼女は困ったように眉を潜めると、自分の喉へと手を当てた。
『どうか、我が兄を助けて下さい。……兄は、優しい人でした』
今度は可憐な声が、喉から発せられた。
円柱状の器具を通して、声が出ているようだった。
「あなたは?」
私は女性を見つめる。私と同い年ぐらいだろうか。
女性は喉から手を離すと、ゆっくりと首を振った。もう、話すことはできないという意思表示に見えた。
「この女性は、刻印師の、ルト・イヴァンといいます。……フォレース探究所の、所長であるサリム・イヴァンの妹君で、あちらの施設からこちらに逃げてきて、保護しています」
「あの……、どうされたのですか、声が……」
これは、聞いても良いのかしら。
でも、見なかったふりをするのもなんだかわざとらしい。
ルトさんは大丈夫だとでもいうように、僅かに微笑んだ。
「……刻印師は、対象の体に刻印を刻み、その魔力を封じます。ジュリアスさんの首にあるそれと、同じように。魔力を封じるための刻印を刻むたび、体が犠牲になる。身を削り、刻印を施すのです。手や足を失う者もいますが、それは大抵の場合、喉に。喉が潰れ、呼吸ができなくなる。だからこうして、喉を開いて、呼吸のための空気孔をつくっています」
「ん」
ジャハラさんの説明の後、ルトさんは自分の首にある円柱状の器具を指さした。そこには穴があいているのだろう。
「刻印師は声帯に魔法をかけて、短い間話すことはできますが、体力を消耗するので長くは話せません」
ジャハラさんは何でもないことのように言った。
私には、それは残酷な話に聞こえた。けれど――こちらの国では違うのかもしれない。
「そうまでして、悪魔を連れて帰ってどうするつもりなんだ?」
呆れたようにジュリアスさんが言う。
ジュリアスさんには、ルトさんの状態に同情するような様子が一切ない。
「そうですね。目的は、多岐に渡ると思います。不死の研究、異界の秘密を探るための尋問、軍事力の増強。それぐらいは、想像できます。……あとは、飛竜の改良、でしょうか」
「異界と、飛竜の改良に、何のつながりがあるんだ?」
「ジュリアスさんはご存じかもしれませんが、純血の飛竜というのは極めて珍しいんです。ラシード神聖国では、昔は――飛竜をとても大事に扱っていました。それこそ神の使いだと、敬っていました。それがいつの日か、軍事力の増強のため、その体を作り替えて道具のようにあつかいはじめました」
「俺もそこまで、詳しいと言う訳じゃない。本で読んだ知識がほとんどで、ラシード神聖国に来たのははじめてだ。この国では、純血の飛竜を育てていると記憶していたが」
「勿論、そうして大切に命を繋いでいる飛竜飼育者もいます。けれど聖王家の方針で、より強く、育てやすく、飛竜は作り替えられています。……飛竜の体を作り替えるのに、悪魔の知識が使われているのだと、ルトが教えてくれました。そういった研究も、フォレース探究所で行われているのだと。今では、純血の飛竜の方が少ない。そうした飛竜飼育者も、心ある竜騎士も、中央から排斥されています」
「……忌々しい話だな」
ジュリアスさんは口元に手を当てて、不愉快そうに言った。
飛竜を作り替えるとは、どういったことだろう。
例えば王都にある飛竜トラベルの飛竜は、改良されたものだという。
ヘリオス君とは形が違う。もっと大きくて、なんというか、ずんぐりむっくりしている。
「危険をおかしていただくわけですから、その対価が情報と、ルトによる刻印除去だけでは物足りないでしょう。……プエルタ研究院の奥では、純血の飛竜も数頭保護しています。竜騎士の方や、飛竜飼育者の方々も匿っているのです」
「革命軍のつもりか?」
「プエルタ研究院は、聖王家に反旗を翻すつもりはありません。僕たちは王家に忠実です。ですから、どうにかして中央に巣食う悪魔を見つけ出したいのです。ルトの兄も聖王家も、悪魔の手中にある。悪魔さえどうにかすればきっと、元のラシード神聖国に戻る筈です」
「短絡的だな」
ジュリアスさんは小馬鹿にしたように嘆息した。
私はジュリアスさんの服を引っ張る。国の現状を憂いている方々に対して、流石に失礼だと思う。
「なんとでも言ってください。……クロエさんが悪魔を特定してくれさえしたら、後は僕たちでなんとかします。報酬は、純血の飛竜でいかがでしょうか。まだ若い飛竜も、何頭かいるのですよ」
ジュリアスさんの眉がぴくりと動いた。
明らかに心を揺さぶられているわ。なんて短絡的なの。人のこと言えないわ、ジュリアスさん。
「あの、ジャハラさん。あのですね」
私は口を挟んだ。
これはとても重要な事なので、きちんと確認しなければいけない。
「ジュリアスさんは、ヘリオス君っていうそれはそれは可愛い飛竜を息子のように可愛がっているのですけれど、……実を言えば、お嫁さんが欲しくて、ですね。独身の雌の子は、いますか?」
「確か、いると思いますよ。こんな状況ですからね。飛竜の子供を育てる事は困難です。まだ雄と番わせていない雌の飛竜も、何頭かいた筈です」
ジャハラさんが言うと、ルトさんもこくりと頷いた。
「私がジャハラさんたちに協力したら、可愛い雌の独身飛竜を譲ってくれたりしますか? ただで」
「はい。協力して頂いた報酬なのですから、勿論、お金は頂きません。国の為に協力して下さった方々からお金をとろうとは思いませんよ」
「……やった」
私は小さく手を握りしめた。
超高級品で更に言えば物凄く希少な飛竜の女の子が、無料で手に入ってしまう。
なんてことなの。
何だか色々と大変な話を聞いた気がするけれど、私は完全に飛竜の雌に目がくらんだ。
隣に座っているジュリアスさんが「おい、阿呆」とはっきり口にするほど、完全に浮かれていた。
「何を喜んでいる。……わざわざ危ない橋を渡ろうとしているのを、理解しているのか、お前は」
ジュリアスさんが徐に私の耳を引っ張った。
言っている意味は分かるけれど、暴力反対である。ジュリアスさん的にはちょっとじゃれているだけ、なのかもしれないけれど、結構痛い。自分の大きさを理解していない、加減を知らない大型犬みたいだ。
「理解してます。大丈夫ですよ、私は天才美少女錬金術師ですし、ジュリアスさんもいますし。飛竜を購入するお金がないなぁと思っていたのに、あの人が悪魔ですよってジャハラさんに教えるだけで、飛竜の女の子が頂けるんですよ、ただで。こんなに良い話はありません。これはきっと、運命に違いありません。飛竜運が良いですよ。今日の運勢絶好調です」
「……お前。……この胡散臭い男の話を、まともに聞いていたのか?」
ジュリアスさんは深い溜息をついた。
耳を引っ張るのをやめて腕を組みなおすジュリアスさんは、けれど無理やり帰ろうとはしなかったので、やっぱり多少は心を動かされている筈だ。ジュリアスさんもひとのこと言えない。
「この通り、ジュリアスさんも、飛竜のためなら頑張ってくれると言っていますので、協力しますよ、ジャハラさん。その代わり、飛竜をくださいな。約束ですよ」
「ええ。勿論。クロエさんの協力で、国を救う事ができるかもしれません。どうか、宜しくお願いします」
ジャハラさんは胡散臭いと言われたことを別に怒っていないようだった。
胡散臭い自覚があるのかもしれない。
ルトさんが深々と頭を下げてくれた。ルトさんの事情は詳しく知らないけれど、ジュリアスさんの刻印を消してくれると言うのならきっと良い人だろう。悪い人には見えない。
「それで、聖王宮にはどうやって入り込めば良いんです? まさか、誰でも入れます、なんてことはありませんよね」
「……聖王宮では今、第一王子シェシフ様が妃を探しています。数日後に行われる即位の儀と合わせて行われる晩餐会で、各地の貴族から適齢の女性が集められる予定になっています。クロエさんには、そこに参加して頂きます」
「……まさか、それは私が近年稀にみる美少女だからですか?」
生真面目なジャハラさんに、私も生真面目に返した。
ジュリアスさんが無言で私の手の甲をつねった。結構痛かった。




