プエルタ研究院とフォレース探究所 3
――魔性の者の気配が分かる?
私は首を傾げた。言われた意味がよく分からない。
「……その話は、聞く必要がある物なのか」
私の背後に立っていたジュリアスさんが、椅子に座る私の横へと一歩踏み出した。
テーブルに手をついて、ジャハラさんを威圧するように身を乗り出す。
ジャハラさんは臆した様子もなく、ジュリアスさんを見上げて一度頷いた。
「刻印師もそうですが、アストリア王国で起こった異変について、それから、セイグリット公爵が封じようとしていたものについて、クロエさんの持つ力についても、僕は語ることができるでしょう。お互いに、益になる取引だと思っています。そしてこれはきっと、運命、なのですよ」
「運命、ですか」
私は呟いた。
未来は――決まっていない。
いつだかお母様が言ってた言葉が、脳裏を過る。
「ええ。ジュリアスさんとクロエさんが出会い、そして僕の元を訪れた。これは、定められた運命。そしてあなたたちが僕に協力することも、定められた運命なんです」
「馬鹿馬鹿しい。異界研究者とはもう少し理論的に話をする者だと思っていたが、運命論者だったとはな」
「異界研究の最終的な目標とは、未来視です。僕の元にあなたたちが来ること、星の導きがあることは、分かっていました。そして、あなたたちが僕に協力してくれることも」
「……くだらない。帰るぞ、クロエ」
ジュリアスさんは私の手を掴んで立ち上がらせようとした。
私はもう片方の手でジュリアスさんの手を掴み返して、首を振る。
「ジュリアスさん。私は、……お父様の事、しりたいです」
ジャハラさんは、お父様について知っている。
アリザの中に巣食っていた悪魔を封じようとして、悪魔の計略によって処刑をされて異界に落ちたお父様の事を。
私はお父様の事をただ怖いばかりのひとだとずっと思っていた。だから、良く知らない。
今更かもしれないけれど、知りたいと思う。
悪魔についても、知っておきたい。私は逃げてはいけないような気がする。
救えなかったお父様や、そして、私を憎みながら手を伸ばし、助けてと叫び続けていた――アリザの為にも。
「厄介ごとに巻き込まれるのは目に見えている。帰るぞ、阿呆。俺の刻印はこのままで良い。不自由はしていない。お前たちの国の問題に首を突っ込む気はない。情報料としては高すぎる」
ジュリアスさんは冷静に言った。
確かにジュリアスさんの言う通りなのかもしれない。ジャハラさんの話を聞いたら、後戻りはできなくなってしまうような気がする。
――けれど、私は。
「ジュリアスさんは、飛竜が欲しいのでしょう? 今のラシード神聖国で、飛竜を手に入れるのは困難です。僕に協力することは、飛竜を救う事にもなるのですよ」
ジャハラさんが、静かな声音で言った。
「どういう意味だ?」
ジュリアスさんの表情が変化した。
僅かばかり、興味をひかれたように、ジャハラさんを見る。
飛竜愛好家のジュリアスさんが何を言われたら弱いのか、ジャハラさんは心得ているようだった。
まだ若く見えるのに、凄いわね。伊達にプエルタ研究院の長をしているわけではないのね。
私は感心した。ジュリアスさんの、私を掴む手の力が緩むのを感じる。
話を聞こうとしてくれているようだ。
「……僕を警戒する、ジュリアスさんの気持ちは分かります。クロエさんの身を危険に晒したくないのでしょう。僕としても、他国の人間であるあなたたちを、自国の問題で危険に晒す、ようなことをしたいわけではありません。クロエさんに頼みたいのは、とても簡単な事です」
ジャハラさんは、テーブルの上に両肘をついて、顔の前で手を組んだ。
真っ直ぐに私を見つめる瞳の奥に、懇願するような必死さがあるような気がした。
泰然とした態度を崩さないジャハラさんだけれど、――本当は、違うのかもしれない。
私はジュリアスさんの顔を見上げた。
私を見下ろしたジュリアスさんは、何も言わなかった。自分で決めろ、と言われている気がした。
「それは、私にできることなんですか?」
「クロエさんにしかできないことです」
「……私は、何をすれば良いんでしょうか」
ジャハラさんはほっとしたように、一度深く息をついた。
それからちらりと背後に控えている目深にフードを被って、全身をローブで隠した女性に視線を送る。
女性はこくりと頷いた。
「どうか……ラシード神聖国の為に、聖王宮に巣食う悪魔が誰なのか、見破って欲しい」
ジャハラさんは、秘密を打ち明けるように密やかな声音で言った。
静かな部屋にジャハラさんの小さな声が、はっきりと響いた。
「それって、私に出来る事なんですか?」
私は困惑して眉根を寄せる。
ジャハラさんは何かを確信しているように深く頷いた。
ジュリアスさんは話を聞く決心がついたように、僅かに嘆息しながら私の隣に座った。ついでのように頭を軽く小突かれた。
ジュリアスさんの大好きなクロエちゃんの頭を小突くとか、どうかと思う。「お人好しの阿呆」という感情が、その行動に全て含まれている。最早以心伝心である。私は心の中で謝った。
でも飛竜という単語が出てからジュリアスさんの心も揺らいでいる事を私は知っている。飛竜愛好家のジュリアスさんは、飛竜の為ならなんでもする筈だ。多分。
「どこから、話しましょうか。……ラシード神聖国の現状について少しだけお話しましょう。我が国は、異界研究が盛んな国だとは知っていますか?」
「はい。有名ですから」
ジャハラさんの話がはじまると、ジュリアスさんはあまり興味が無さそうに、置きっぱなしになってすっかり冷めてしまったジュリアスさんの分のお茶へと口をつけた。
甘さがお気に召さなかったらしく、一口飲むと眉間に皺を寄せて、カップをテーブルの上に戻してしまった。
それから腕を組んで、目を伏せる。
相変わらずの態度の悪さ。これでも私より余程きちんと話を聞いているのだから、不思議だわ。
「異界研究者というのは、大きく二つに分かれています。天上界を研究し未来視を目標とした我がプエルタ研究院。それから、異界の下層――いわゆる、冥府を研究する不死を目標とした、フォレース探究所」
「……冥府、ですか」
異界には上層と下層があると言われていると、学園で習った。
罪を犯した人々が落ち、その怨念や未練が魔物に姿を変えると言われている場所が、下層。――冥府。
罪を許された人々が登ることができる楽園が、天上界。天使が住まうと言われる場所だ。
「そもそも、刻印師というのは、フォレース探究所からうまれました。それは、封魔の力に特化した魔導士のことです。フォレース探究所の研究員は、冥府に降りる事を繰り返しています。そこで出会った悪魔を従え連れて帰るために、刻印師という存在をつくりあげました」
「悪魔を連れ帰る……?」
私はメフィストの姿を思い出す。
黒い四枚羽を持った悪魔は、とてもひとの力で御することなどできそうにない、禍々しく強い力をもった存在だった。
そしてとても、歪んでいる。他者の苦しみを糧にして、それを喜ぶような、最低なもの。
それを、冥府から連れてくるなど、危険でしかない気がするのだけれど。
「異界とは、魔力の満ちる場所です。悪魔は、魔力の塊のようなもの。魔力を封じてしまえば、――ただの、ひとと変わらない。そうフォレース探究所では言われています。プエルタ研究院は反発しました。そんな研究は危険であると。……そしてそれは、案の定国を脅かすものになってしまいました」
「悪魔とやらが、逃げたか?」
ジュリアスさんが薄く目を開いて、ぽつりと言った。やっぱり話をちゃんと聞いている。
「恐らくはそうなのでしょう。僕には探究所の詳しい内情までは分かりませんが。フォレース探究所は聖王の信頼を勝ち取り、プエルタ研究院を中央から排斥しました。今から数年前の事です。やがて、その研究は苛烈になっていった。危険視した僕たちは幾度か探究所と争い止めようとしましたが、勝つことはできなかった。……そうしたことを繰り返し、プエルタ研究院には今、職員が殆ど残っていません」
「殺されたか」
「はい。フォレース探究所の危険を訴えた者たちは、皆、暗殺されました。元研究長であった僕の父も、母も」
「そんな……」
私は俯いた。
ジャハラさんは一度黙った後「僕の事情は、良いんです」と気を取り直したように言った。
「在りし日の父の話では、フォレース探究所とプエルタ研究院は、かつては同朋のような関係であったそうです。聖王ミシャル・ラシード様も、穏健な方で、暗殺などという非道を許したりはしなかった。……けれど変わってしまいました。父の話では、……フォレース探究所も聖王宮も、悪魔に操られているのではないか、と」
「……私の妹に、悪魔が巣食っていたように、ですか?」
私が尋ねると、ジャハラさんは頷いた。
「ミシャル様がご病気で亡くなり、聖王宮では近日中にシェシフ・ラシード様の即位の儀が行われることとなっています。けれど、プエルタ研究院の職員は顔を知られていて、聖王宮に近づくことはできません。近づいたところで、誰が悪魔なのか、……誰が、聖王を操っているのか、分からないのです。操られているのは聖王自身かもしれない。だから」
「悪魔が誰なのか、探し出したいわけですね」
「はい。……クロエさんは、悪魔の気配が分かる筈です。故セイグリット公爵の話では、あなたは――聖なる加護を受けている、と」
「私が……?」
「はい。……僕にはそれが、どういう意味かまでは分かりません。公爵と直接話をしていたのは、僕の父でした。クロエが真実に気づいてしまう前に、あれを封じる方法をみつけなければと、公爵は言っていたそうです。……だから僕は、あなたには悪魔の気配が分かるのだと、推測しました。……悪魔の傍に行くと、何か感じるのではないですか? 彼らは完璧に、ひとに擬態しています。誰も気づくことができないように」
私は混乱しながらも、アリザについて思い出してみる。
――私は、最初からずっと、アリザが怖かった。
理由は分からない。本能的な怖さを、ずっと感じていた。
魔力の異様に強い魔物に出会った時と、それは似ている。
こわいものを見てはいけないと、お母様は言っていた。こわいものからは逃げなさいと、教えてくれた。
それは、つまり、それは――
「……恐ろしい魔力の気配を感じると、気持ち悪くなったり、怖かったり、寒気がしたり、します。けれど、それは皆感じるのではないですか?」
ずっと、そう思っていたのだけれど、違うのかしら。
「皆、ではありません。知性のない魔物と違って、悪魔は巧妙に自分の気配を隠します。……シリル・アストリア王子も、僕の記憶が確かなら、かなり魔力量のある方です。それでも、悪魔が巣食っていた少女と契りを結んだのでしょう? クロエさんのように感じていたのなら、そんなことはしません。実際、王国では誰も、悪魔の存在に気付いていなかったのでしょう?」
「……そうですけど」
私は小さな声で言った。
何だか、奇妙だった。まるで実感がわかない。そんな風に、自分について考えたことは一度も無かった。




