プエルタ研究院とフォレース探究所 1
王家の親書を受け取った翌日の朝、ジュリアスさんと私はヘリオス君の背中に乗って、王都の街をあとにした。
数日で戻る予定だけれど、中央広場のお店の入り口にはお休みの看板を掛けておいた。
瞳ちゃんにラシード神聖国に出かけたことを来訪するお客さんに伝える事を頼むと、『任せておいて、クロエちゃん』と言っていた。
アストリア王国の北に聳える魔の山の反対方向、南側にラシード神聖国は存在している。
久々に皆でお出かけするのが楽しいのか、雲間を縫うように、時々体を左右に傾けて高度を変えながら、伸び伸びとヘリオス君は飛んだ。
首を伸ばし大きく羽を広げて流線形の姿勢になって、あまり羽ばたかないヘリオス君の飛び方は相変わらず洗練されている。風を切る音だけが鼓膜を揺らす。王都の街はどんどん小さくなり、やがて眼下には緑の大地が広がった。
私はジュリアスさんの後ろで、アリアドネの外套に身を包んだその背中にくっつくようにして腰に捕まっていた。私は相変わらずのエプロンドレスと三角巾である。
隣国への旅なので服装を変えても良かったのだけれど、なんだかんだエプロンドレスが一番落ち着く。
ラシード神聖国は砂漠に囲まれた暑い国なので、気持だけでも涼し気にしようと思い青いエプロンドレスを選んできた。
因みにジュリアスさんのアリアドネの外套は温度調節機能が生地に施されているので、暑さ寒さは関係ない。いつか大金持ちになったら、私もアリアドネの糸でエプロンドレスをつくろうと思う。
――そんな贅沢、恐ろしくてできないかも、だけど。
国境に広がる森の上空を抜けると、景色ががらりと変わった。
一面黄色い砂が広がっている。それは砂の海に見えた。
どこまでも果てのない砂漠。
学園時代に地学や歴史の授業で習ったけれど、実際目にすると中々衝撃的だった。
どこまで行っても砂ばかりだ。ヘリオス君だから不安なく越えることができるけれど、歩いて移動することを思うと怖気がした。
「ジュリアスさん、砂漠ですよ。砂漠」
はじめて砂漠を見た感動をジュリアスさんに伝えようと、私は口を開いた。
「見ればわかる」
ジュリアスさんは私をちらりと振り返り、短く返した。感動が薄い。
「ジュリアスさんは戦争中に、ラシード神聖国に来てるんでしたっけ? 砂漠越えるの、はじめてじゃないですか?」
アストリア王国に来る前のジュリアスさんは、ディスティアナ皇国で将をしていた。
戦っていた相手はアストリア王国だけじゃなかったらしい。
ディスティアナ皇国が隣接する小国全てに侵略の手を伸ばしていたせいで、各地で転戦していたと言っていた。
「ディスティアナ皇国から、国境を少し過ぎた程度だな。ラシード神聖国の首都である聖都アルシュタットは砂漠を越えた先にある。皇国に竜騎士は俺一人だった。砂漠では騎兵は使えない。馬は砂漠の上を歩くことができない。歩兵は……、越えることができたとしても、聖都に辿り着く前に死ぬものの方が多い。ラシード神聖国には余程の暗愚でなければ、手を出そうとはしないのが普通だ」
戦争の事になると、ジュリアスさんはいつもよりも饒舌になる。
特に何の感情も含まれていない冷静な声音だ。昔を懐かしんでいるわけでも、悲しんでいるわけでもなさそうだった。
時々ジュリアスさんはそういう話し方をする。
「ディスティアナ皇国は普通ではなかったんですか?」
「皇帝オズワルド・ディスティアナを暗愚だと、あの国で口にすることはできない。どこからともなくそれが伝わり、異端審問官によって首が飛ぶ」
「異端審問官?」
「皇帝に、反意のあるものを処罰する機関のことだ」
「怖いですね、皇国。絶対に住みたくないです」
なんとなく怖い国だと思っていたのだけれど、思った以上に恐ろしい国なのかもしれない。
ディスティアナ皇国とアストリア王国は三年前に停戦協定を結んでいる。その後のことは良く知らない。
王都のひとが皇国に行ってきたとか、そういう話を聞いたことがない。
ジュリアスさんも時々ぽつぽつと過去について話してくれる程度なので、未だに知らないことは多い。
勿論ジュリアスさんが話をしてくれるのは嬉しい。だからといって無理に聞き出すほどに、知りたいとは思わない。
どちらにしろ、きっと行くことはないだろう。
ジュリアスさんにとっても、皇国は何もない場所、らしい。残してきたひとも、やり残してきたこともないのだと言っていた。
「国境にある、国境を守る砦を落とすだけで限界だった。砂漠が自然の砦のようなものだからな、あの国にとっては国境の砦などどうでも良かったんだろう。監視台、程度の役割の場所を落としたところで、何もならない。それから……俺ではない将が、命に従い兵を砂漠に向かわせて、殆どが死んだ。愚かだな」
「……砂漠で、死んじゃったんです?」
「あぁ。だから、この砂漠には、沢山の人骨が埋まっている。そう、言われている」
「……うう」
嫌な事を聞いた。
黄色い砂はさらさらと滑らかで、風の残した複雑な模様が陰影を描いて、とても美しく見える。
それなのに、恐ろしい。
砂に埋まってしまったら、きっと誰にもみつけて貰えないだろう。
「絶対に、絶対に、落とさないでくださいね」
「……俺がお前を落とすことはないが、お前が自分から落ちる事はありそうだな」
「そこまで私は間抜けじゃありませんよ。こんな恐ろしい場所に自分から落ちたり絶対にしませんから」
「お前はそういう愚かなことをする阿呆だと、前回の件で身に染みている。落ちたとしても必ず拾いに行くから、心配しなくて良い。ヘリオスにはお前の匂いが分かるからな。果てのない砂漠でも見つけることができる」
私は反論できなくて口を噤んだ。
それにしても、私の匂い、とは。
毎日お風呂に入っているし洗濯もきちんとしているので、多分大丈夫だと思うのだけれど、なんとなく気になるわね。
一体どんな匂いがするのかしら。ヘリオス君がお話できるのなら、是非聞いてみたいわね。
できれば良い香りだと良いのだけれど。
豆のスープの香りが身に沁みついているとか言われたら、立ち直れない。うら若き二十歳の乙女にとって、それはちょっと残酷だ。
薔薇とかそういう良い感じの花の香りが良い。今度香水でも買ってみようかしら。
「その節は大変ご迷惑をおかけしました。なんだかだんだん、本当に落下して砂漠で迷子になる気がしてきました」
「別に構わない。落ちたら拾う、それだけの話だ」
「ありがとうございます、頼りにしてます!」
私は多少照れながらも、元気よく言葉をかえした。
砂漠から内陸に進むほどに、日差しが強くなってくる。
照りつける太陽の光は、アストリア王国よりもずっと強い。それでも季節が冬に向かっているせいか、そこまでの暑さは感じない。体にあたる陽光は暑いけれど、吹き抜ける風は涼しかった。
聖都アルシュタットは、砂漠の真ん中に突然現れた大きな街だった。
アルシュタットよりも更に内陸には、乾いた大地に、それでもはえている木々の緑がちらほらと見える。
切り立った山脈や丘があり、乾燥しひび割れた大地に街道が敷かれている。
木々が密集してはえている中心に、唐突に現れたような湖が広がっている場所もある。
アストリア王国の上空とはまるで違う景色だ。
国境を越えるだけでこうも違うのかと感心しながら、私は眼下を見下ろしていた。
プエルタ研究院があるのは、聖都アルシュタットよりも更に東にある、星見の丘と呼ばれている小高い丘の上だ。シリル様のお手紙に場所を示した地図が同封されていた。
ラシード神聖国は乾いた平たい地面が続いていて、遮る物が少なく見晴らしが良い。
示されている方角に向かうと、歩いて登るのには苦労しそうな切り立った山のような丘の上の平たい土地に、白い寺院が見えた。
建物のつくりもアストリア王国とは違うようだ。
白い土壁で出来ていて、屋根が丸くて低い。上空からだと、いくつかの円が連なって出来ているように見えた。
ヘリオス君の手綱を、ジュリアスさんが軽く引いた。高度がゆっくりと落ちていく。
知らない国の知らない場所に向かっているのだと思うと、少し緊張した。
ラシード神聖国の人々は穏やかな方が多いと学園では習ったし、親書もあるし、きっと大丈夫よね。
地面が近づき、ヘリオス君は軽々と丘の上に降り立つ。
小高い丘の上からは、真っ青な空と乾いた大地の境目の地平線が見えた。
目の前に、白い寺院が聳え立っている。建物のわりに小さな入り口の扉が中央にあり、塔がいくつか連なっているような造りだった。
塔の上には、先程上空から見下ろした丸い屋根がある。
中央の建物はひときわ大きく、丸い屋根がなんとなく美味しそうだった。たぶん、マカロンに似ているからだろう。
ジュリアスさんはヘリオス君を指輪の中へと戻した。知らない土地でひとりで待たせるのが心配だったのだろう。私も心配なので、指輪の中に居てくれた方が安心である。
私は肩から下げた無限収納鞄の中から親書を取り出すと、きゅっと握りしめた。
それから、さっさと中央の扉に向かって歩き始めたジュリアスさんの背中を追いかけた。




