刻印師 3
シリル様からの親書と錬金義手の代金が届いたのは、翌日の事だった。
王家からの使者が届けてくれた手紙は二通。一通は、ラシード王国の異界研究機関『プエルタ研究院』の異界研究者である『ジャハラ・ガレナ』さん宛てである。
それから私宛。
シリル様から手紙を貰うのは随分久しぶりだ。婚約者だった時代は季節ごとや、私の誕生日などに良く手紙を下さったものである。
流麗な文字で綴られた手紙を、懐かしさを感じながら私は眺めた。
新居の寝室のベッドの端に私は座っている。ジュリアスさんは私の背後で横になって、目を閉じている。まともにベッドで眠る事のできない日々を送ってきたジュリアスさんは、今までを取り戻す様によく眠る。良い事だと思う。良質な睡眠は心の健康のために大切だと、私に錬金術を教えてくれた師匠のナタリアさんも良く言っていた。
元気だろうか、ナタリアさん。一体どこに行ってしまったのかしら。ナタリアさんの事だから、元気だとは思うのだけれど。
寝室に選んだ部屋は、壁も床も灰色の石で作られている。
赤と橙色に染色された羊毛で出来た大きな織物を敷くと、寒々しさは若干薄らいだ。
扉を開いて右側の壁には暖炉があり、左側の壁際にはダブルサイズのベッドが置いてある。
重厚感のある木製の枠組みだけ残っていたので、マットとシーツは新しく購入した。私の元々使っていたベッドは小花柄の可愛らしいシーツとクッションが並んでいて、どちらかというと少女趣味だった。
そのベッドで眠るジュリアスさんというのは中々にファンシーで微笑ましかったのだけれど、今回は流石にもう少し落ち着いた柄にした。シーツは白く、掛物は深い藍色である。枕とクッションは持参してきたので、相変わらずの小花柄で、そこだけは可愛らしい。
インテリアにこだわりのないジュリアスさんは、「寝られるんなら何でも良い」と言っていた。
サイドテーブルには星型の錬金ランプが置いてある。
天井からは、球体を三つほど繋げた形の、丸形錬金ランプが吊り下げられている。
奥の壁には窓が一つと、大きめのクローゼットが二つ。中央広場の家の寝室と、あまり変わらないといえば変わらない。暖炉があるかないかぐらいの違いしかない。
ジュリアスさんに「せっかく部屋が沢山あるんだから、別々に寝る事にしましょうか」と提案したら「別に今まで通りで良い」と言われてしまったので、こんな感じにおさまっている。
なんとなく照れてしまった私が「ジュリアスさん、さては私がいないと寂しいんですね」と冗談半分で聞いたら、「そうだな」と肯定されてしまったので、もうその話題には触れないでおこうと思う。
「何が書いてあるんだ?」
衣擦れの音と共に、姿勢を横向きにして私の方を見たジュリアスさんが口を開いた。
昨日はヘリオス君を洗ったし、錬金義手も作ったので、今日は閉店休業である。
ラシード神聖国に行くことが決まったので、私は準備のため、無限収納鞄を朝から錬成していた。もうすぐお昼ご飯の時間だ。ジュリアスさんはヘリオス君に食事をとらせるために、午前中は北の平原で小型の魔物を狩っていたようだ。
ヘリオス君が魔物を食べた場合、魔物は素材を落とさないらしい。残念だけれど、仕方ない。素材よりもヘリオス君のご飯の方が大切だ。
私が午前中いっぱいかけて錬成した無限収納鞄は、無限収納トランクと繋がっているとても便利な錬金物である。無限収納トランクに入れている物をいつでもどこでも取り出せるので、旅行にも最適。因みに製品化はしていない。悪用されたら怖いので。
城に連行された時に兵士に奪われてしまい、それから行方知れずになってしまった。
おそらく城の瓦礫の中ですり潰されてしまったと思う。外側の造りはただの布鞄なので、物凄く丈夫、というわけでもない。
「起きました? 読みます?」
私は手にしていた手紙をジュリアスさんに渡そうとした。
ジュリアスさんは受け取らずに、軽く首を振った。
「聞いているから、口に出して読んでくれ」
「あ。さては甘えていますね」
「声が聞きたい」
最近のジュリアスさんは、結構直球だ。
うん、でも今に始まった事じゃないわね。一緒に暮らすようになった最初のころから、同じような事は言っていた気がする。言葉や表現が、分かりにくかっただけで。
私は頬が熱を持つのを感じながら、胸をおさえた。どうにも慣れない。妙に緊張してしまう。
嫌な緊張では、無いのだけれど。
ジュリアスさんが好きだなぁと思うだけで、些細な日常のひとつひとつが、特別なものになったような気がする。
「……良いですよ、じゃあ聞いていてください」
「あぁ」
私は手紙に目を落とす。それから口を開いた。
『クロエ、昨日は義手をありがとう。試しに鎖の練習をしてみたが、中々に大変そうだ。付き合ってくれたロジュに、実践ではまだ絶対に使うなと何度も言われた。ところで、親書と義手の代金を送らせて貰う。あまりクロエに会いに行くと、ジュリアスの機嫌が悪くなるだろうから、今回は手紙だけにした』
「それは正しい判断だな」
「ジュリアスさん、シリル様が嫌いですもんねぇ」
「そうだな。あれがお前と話しているのを見るのは、不愉快だ」
「……ええっと」
私は手紙の続きを読むことにした。不愉快な理由はもう知っている。恥ずかしいやつなので、そっとしておこう。それが良いわね。
『ところで、謝らなければいけないことがある。先の件でクロエとジュリアスに無実の罪をきせようとした、コールドマン商会のエライザ・コールドマンと、マイケル・コールドマンを、事情聴取のために捕縛し貴人用の牢に投獄していたのだが、昨夜牢からいなくなっていた、と連絡があった』
「……アストリア王国の兵士は、使えない者ばかりだな」
「まぁまぁ。お城も壊れちゃったし、王都もあちらこちらぼろぼろで、人手が足りなかったんですよ、多分」
嘆息するジュリアスさんを、私は宥めた。
コールドマン商会はアストリア王国の中では一番大きな商家なので、私兵もいる。
何かしら、逃亡する手段はあったのだろう。
『コールドマン家を探るつもりではいるが、恐らく遠くに逃げているだろう。金は有り余っている家だからな。宝石商として、他国とも取引を行っている。もしかしたら、他国に逃げている可能性もある。エライザはジュリアスを自分に売らなかったクロエが全て悪い、という様なことを言っていた。もし何か身辺に異変あったら、すぐに知らせて欲しい』
エライザさんは、ジュリアスさんがそこまで好きだったのだろうか。
一目会っただけなのに。私の事を恨むぐらいに、ジュリアスさんが欲しかったのかしら。
恋心というものは、分からないものだ。確かに、一目惚れというものは、あるのだろうけれど。
「面倒なことだな。たかが商家の人間に、何か出来るとは思えないが、一人でうろうろするな、クロエ」
ジュリアスさんが溜息交じりに言った。
私は手紙をサイドテーブルに置くと、振り向いてジュリアスさんの綺麗な顔を覗き込んだ。
「心配してくれているんですか?」
「お前を守ることが、俺の生きる意味だと今は思っている」
真摯な瞳と目が合って、私は狼狽えた。
手を引かれて、抱き込まれる。規則正しい心音が耳に響いた。
「……明日、朝にはラシード神聖国に向かいましょう。飛竜が購入できるかどうかはわかりませんが、異界研究者の方に会って、それで、できれば刻印師の方を紹介して貰って、ジュリアスさんの刻印を消したいですね」
「俺はこのままでも構わないが」
「私が嫌なんですよ。ジュリアスさんに奴隷の刻印がずっと刻まれてるとか、嫌です。それに、魔法が使えるジュリアスさんは今よりももっと強いでしょうから、魔物討伐が捗っちゃいますし、……もしかしたら、悪魔と戦わなきゃならない日がくるかもしれませんし」
「そうだな。あの不快な悪魔とやらの羽を全てむしり取れば、さぞ良い値で売れるだろう」
「商魂逞しいですね、ジュリアスさん。売る気ですか」
「金はいくらあっても良い。飛竜を買うためだ」
ジュリアスさんらしい返答に、私はくすくす笑った。
知らない場所にいくことも、不穏な知らせも、怖くない。
ジュリアスさんがいてくれると思うと、私は本当に最強天才美少女錬金術師のクロエちゃんに、なれるような気がした。




