刻印師 2
魔力が強く、魔法の扱いに長けている者のことを一般的に魔導士と呼ぶ。
治療のみに優れていて療養所などで働く者のことは、治療士と呼んだりもする。
魔力を使い道具に魔力を込めた魔道具を作る者のことは、魔道具師。
魔力を帯びた道具を組み合わせ錬成を行い、誰でも使える錬金物を作る者は錬金術師。つまり私。
刻印師という職業を私は良く知らない。
「アストリア王国には、本来処刑制度はない。……セイグリット公爵については、特例だった。重罰を与える必要のある者を閉じ込める牢獄の役割を持っているのが、奴隷闘技場だ。奴隷闘技場というのはいわば仮称だな。本来は、懲罰房。昔は、あれは王家の管轄だった。……だが、何代前かの国王の妃が、血生臭い制度を嫌い、王家の管轄から外した。それ以来あの場所は、処刑人の家系であるグランド家に一任されている」
シリル様が言った。
こういった話を、私はクロエ・セイグリット公爵令嬢だったときにシリル様としたことがなかった。
貴族女性が奴隷闘技場に興味を持つだなんて褒められたことじゃないのは確かだし、当時の私の生きていた世界に、そんな場所は無かったのだ。あったのだけれど、目に入らなかった。
「私にジュリアスさんを売ってくれたムジーク・グランドさんは、ジュリアスさんの処遇は王家から一任されたと言っていましたよ。ジュリアスさんがあまりにも強いから、奴隷闘技場で一生を終わらせるのが惜しくなったとか、なんとか。そういうわけで、私がお買い上げさせて頂いたわけですが」
「まさか、ムジークも可愛くてか弱そうなクロエちゃんが買いに来るとは思わなかっただろうなぁ」
楽し気にロジュさんが言う。
確かに私が「ジュリアスさんをくださいな!」と言いに行った時、ムジークさんは驚いていたらしく、きつねにつままれたような顔をしていた。
きつねにつままれた顔というのを初めてみたのだけれど、まさにそうとしか表現できないような間抜けな表情だった。
「ムジーク・グランドもアストリア王家と敵対したい訳ではないだろうから、売る相手は選んだのだろうが、……クロエなら、大丈夫だと思ったんだろうな」
「これは、お人好しの善人だ。お前よりも、闘技場の主の方が余程見る目があるな」
ジュリアスさんが私の頭をぐりぐり撫でながら言った。
私はずれそうになる三角巾をおさえて、「痛いです、痛い、痛い」と文句を言った。
力が強すぎる自覚をジュリアスさんは持った方が良いと思う。
ジュリアスさんに責められたシリル様は、「そうだな」と溜息をついた。あまり責めると、折角少し元気になったシリル様がまた落ち込んじゃうのでやめて欲しいわね。
「……そういうわけで、我が国は奴隷の存在を許可しているわけではない。奴隷の刻印は、グランド家が罪人を扱いやすくするために――、それから、金儲けのため闘技場で戦い合わせるために、刻み始めたものだ。どの道外に出すことのできない罪人たちだ、金儲けの道具に使うことと、お互いに殺し合わせて罪人の人数を減らすこと。その両方の為に牢獄を闘技場へと変えたのが、今の奴隷闘技場と呼ばれるものだな」
「なんだか、あんまり良い話じゃないですね」
私の頭をぐしゃぐしゃにするジュリアスさんの手を、両手で掴んで押さえつけながら、私は言った。
物凄くじゃれあっているように見えるだろうけれど、私は必死だ。痛いし、折角整えた髪がぐちゃぐちゃになってしまうので。
「あの場所にいたのは、獣と同様の屑か、馬鹿ばかりだ。外に出してもろくな結果にならないような者だな。同情する必要はない」
ジュリアスさんが私を気遣ってか、私の感傷を否定した。
奴隷闘技場で三年間生き延びてきたジュリアスさんが言うのなら、実際にその通りなのだろう。
それでも、残酷な気はするのだけれど。
でも、罪人のひとに苦しめられたひとたちも沢山いて、だとしたら同情するのは違うような気もする。――難しいわね。
「必要悪というものだと、次期国王として育てられる中で、私は教えられた。だから、刻印師についても左程詳しいと言う訳ではない。あれは元々我が国には居ない存在だ。魔力錠の効力を高めるために闘技場では刻印を刻んでいるのだろう?」
「そうみたいですね。魔力錠は使用者の魔力に効果が依存しますから。魔力を封じられたら、自力で外すことは不可能なので。というようなことを、ジュリアスさんを買いに行ったときに、ムジークさんが教えてくれましたね」
奴隷闘技場の主であるムジークさんは、大きくて筋肉質な、強面の男性である。
話した感じでは、そんなに悪い人には見えなかった。
いつだか案外普通の人だと評価したら、ジュリアスさんに物凄く呆れられた。
「ジュリアスに刻まれている刻印は、奴隷闘技場で使われているものだから、奴隷の刻印と呼ばれているが、実際の呼び名は魔封じの刻印という。奴隷の為に作られた魔法ではないと聞いたことがある」
シリル様が、記憶を辿るようにしながら言った。
「魔封じの刻印ですか。まぁ、確かに魔力を封じる効果しかないものなので、その方が的確な気がしますけど」
奴隷の刻印自体には、相手を隷属させる効果はない。
それはどちらかといえば、魔力錠の役割である。それなのに、刻印の方の呼び名に『奴隷』とついているのには、確かに違和感があった。
なるほど、と私が納得する横で、ジュリアスさんが「本来の名称などどうでも良い」と嘆息した。
「そうだな。余談だった。異界研究もそうだが、魔道の研究もラシード神聖国はかなり先に進んでいるようだ。錬金術や、魔道具、刻印師。これらは全て、あの国にまつわるもの。大本を辿れば、異界研究者に辿り着くようだ。異界研究から派生した技術だからだろう」
「またラシード神聖国ですか」
今日はその名前をよく聞く日だ。
飛竜も、錬金術も、刻印も。
全部、行った事のない国に関係している。
アリザを支配していた悪魔――メフィストという名前の、黒い四枚の羽をもつこわいものについても、ラシード神聖国に行けば分かるのだろうか。
「刻印については別にこのままでも構わないが、飛竜を手に入れるために行く必要はある。支度が出来次第、出かけるぞ、クロエ」
「気が早い、気が早いですよ! まだ新しい家に引っ越してきたばかりですし、そもそも五千万ゴールドなんて持っていないですし、行ったところで飛竜買えるかどうかもわからないじゃないですか」
もう会話に飽きたのだろう。
ジュリアスさんが私のエプロンドレスのエプロン部分の紐を掴んで私を持ち上げると、部屋から出ていこうとするので、私は慌てた。
じたばたしたけれど、ジュリアスさんの方が力が強いので持ち上げられた後小脇に抱えられた腕からは抜け出せないし、離して貰えそうになかった。
「野生の獣が、子供の首を噛んで運んでるみたいだなぁ」
ロジュさんが私達を微笑ましそうに見ながら、ほのぼのした表現をした。
私はこれっぽっちもほのぼのしていない。ロジュさんは五千万ゴールドを払って飛竜を買えと言われる気持ちを味わった方が良いと思う。
「少し、待ってくれないか。異界研究者も、刻印師も、飛竜繁殖者や飛竜に詳しい竜騎士などは、あちらの国では普通に訪れただけでは会う事ができないだろう。私が親書を書く。それを持って、アストリア王家と繋がりのある異界研究者の元を訪ねてみてはどうだろうか。上手くいけば、刻印師にも会えるかもしれない」
シリル様はそう言うと、眉間に皺を寄せた。
何だか心配そうな表情だった。
「……ただ、無謀なことはしないで欲しい。アリザに巣食っていたという魔性の者を倒すのは、私の責務だ。今はまだ、王国内に先の出来事で溢れた魔物が多く残り、義手を作って貰ったばかりでは足手纏いになるだろうから、共に行く、ということはできないが、……何か情報を得られたとしても、先走らないで欲しい。ジュリアスは強いとはいえ、クロエは、――三年前は、公爵家の令嬢だったのだから」
気遣うように言うシリル様に、私はジュリアスさんに抱えられながら胸を張って答えた。
「今は天才美少女錬金術師なので、大丈夫ですよ!」
「お前に気遣われる必要はない。クロエには俺がいる。さっさと帰って、二百万ゴールドと親書とやらを届けろ。お前にできる事はそれぐらいだ」
ジュリアスさんが私の言葉に続けて言った。
なんてことを言うのかしら、と私は目を見開いた。うちのジュリアスさんがごめんなさいという気持ちでいっぱいだ。
それでも、「クロエには俺がいる」とか言われたことについては、そう悪い気持ちはしないのだけれど。
私もごめんなさいという気持ちだ。
シリル様の気遣いを無下にしてしまったような気がしてならない。
「そうだな、随分長居して悪かったな。じゃあな、クロエちゃん、ジュリアス。ラシード神聖国については悪い噂は聞かないが、何せ俺も行った事がない国だからなぁ。行くとしたら、気を付けてな。困ったことがあったら、いつでも頼っていいから」
「城に戻り、親書を書いて届けさせよう。……気を付けて」
ロジュさんとシリル様は、そう言うと扉を開いて帰って行った。
扉の向こうには噴水のある広場の景色がひろがっていて、瞳ちゃんの『さようなら』という可憐な声が頭に響いた。




