シリル様とロジュさん 1
王都の中央広場にあるクロエ錬金術店の店の入り口は、鳥かごがさげられている。
鳥籠の中には子供の頭ぐらいの大きさのあるまん丸い、『目』が浮かんでいる。防犯用錬金物である混沌の眼差し――『瞳ちゃん』は、多少の知能を持っている。
知能といっても自分の考えを話すようなことはできないのだけれど、お店に誰かがくると挨拶をしてくれたり、明らかな悪意を持った者を判別して瞳ちゃんビームで撃退してくれたり、主人である私が命令をすることは可能だ。
美少女を彷彿とさせる愛らしい声で脳内に直接話しかけてくれる仕様になっている。
お客さんの来訪を告げる瞳ちゃんの声がしたので、私は慌ててべたべたの頭や体を洗うと慌ただしくお風呂場を出た。お客さんを待たせるわけにはいかない。お客さんは大切だ。
もうジュリアスさんに見られてるとか一緒にお風呂に入っているとか、気にしている場合じゃない。
羞恥心を放り投げてわたわたとお風呂を済ませてお風呂場から出ていく私を、ジュリアスさんはゆったりお湯につかりながら無言で見ていた。
ジュリアスさんの首には魔法錠がまかれている。それは黒い紐の先に小さな南京錠がついた首飾りの形をしている。
かつて魔法錠によって『私の傍を離れないこと』『私の嫌がることはしないこと』の二つの制約でジュリアスさんを縛っていたけれど、今は『私の嫌がることはしないこと』のみの制約が為されている。
以前と違って別行動は可能なので、私はジュリアスさんをお風呂場に残して、温風魔法を使ってぶわっと体と髪を乾かし、黒いエプロンドレスへと着替えた。
赤と青と黒のエプロンドレスしか着ない私である。特に色に拘りがあるわけじゃない。手にしたものが今日はたまたま黒だったので、黒にした。
以前は黒いエプロンドレスは街の人々から不評だったのだけれど、最近はそうでもなくなってきている。
というのも、王都を災禍から守ってくれたジュリアスさんの通り名が『黒太子』だからだ。
奴隷闘技場からジュリアスさんを購入したすぐあとぐらいから、ジュリアスさんは私の恋人だと思われていたのだけれど、ジュリアスさんが『黒太子ジュリアス』だと知っているひとは少なかった。
元々敵国であったディスティアナ皇国の将だったジュリアスさんである。黒太子ジュリアスといえば、王国民にとっては恐怖の対象だった。
けれど、先日の異界の門の災禍からアストリア王国を守った英雄として、アストリア王家により私とジュリアスさんは大々的に王家から表彰をされた。
私のお父様、――三年前に処刑されたセイグリット公爵は無罪であること。
そして、戦争によって数多の王国民を殺めたジュリアスさんは、その罪を許すという恩赦が与えられること。
中央広場の噴水の前で、私達が国王シリル様と、王弟ジーク様にお言葉を頂いているのを、大勢の街の人々が見ていた。
それなので、『黒太子ジュリアス』として、ジュリアスさんは街の人々に認識されるようになったのである。
つまり、黒太子ジュリアスの恋人である美少女錬金術師クロエちゃんが、黒いエプロンドレスを着ているのは、仲良しでとても良い、ということになりました。なってしまったのです。
以前は黒いエプロンドレスを着て歩いていると、みんなに黒は駄目だとがっかりしたように言われたものだけれど、今は「今日もおそろいだね」と言われる。良いんだか悪いんだかである。
正直、逆に恥ずかしい。
まぁ、それはおいておいて、今日は黒だ。大人っぽいので黒もそれなりに気に入っている。私ももう二十歳なので、真っ赤なエプロンドレスというのは多少の恥ずかしさを感じる年齢になりつつあるのだ。
着替えを済ませると、私はぱたぱたと礼拝堂に向かう。
礼拝堂の扉は入り口にひとつと、奥に二つ。左右ある左側の扉が、今私が出てきたお風呂や調理場などがある居住空間で、ステンドグラスと聖像を挟んで右側にある扉の奥は孤児院を運営していた方々が使っていただろう政務室となっている。
政務室からは裏庭に出る事のできる扉がある。同じく、居住空間の奥にある扉からも裏庭にでることができるので、政務室側の扉と、クロエ錬金術店の扉に錬金術でもって細工を施したのである。
端的に言えば、クロエ錬金術店の扉を開いて中に入ると、孤児院の政務室に来ることができるという仕組みになっている。
政務室はかなり広いので、商品と錬金窯、両方おくことができる。
新店舗として政務室を改装することに決めたので、中の精製水を抜いて乾かした錬金窯は、ジュリアスさんに頼んで運んでもらった。
かなり重いものだけれど他の荷物と共にヘリオス君の背中に乗せて、王都の道をヘリオス君と三人で歩いて引っ越しをしたので左程大変ではなかった。
当然かなり目立った。
クロエちゃんは街の人気者なので、手伝いにきてくれる人や、見物する子供達で、ちょっとした騒ぎになったのはつい最近の話だ。
政務室の――というか、新店舗の扉をあける。
錬金窯と無限収納トランク、それから錬金ランプが少しだけ飾られていて、空っぽの本棚が壁に並び、立派な机と椅子がある部屋である。
まだ閑散としているのは、引っ越したばかりで手をかける時間がとれていないからだ。
奥にある裏庭に続く木製の扉を開くと、扉の向こう側に見えるのは中央広場の噴水のある景色だ。
瞳ちゃんも、入り口にかかっている。『クロエちゃん、お客さんよ』と、瞳ちゃんの瞳がこちらを向いて、頭の中にもう一度声が響いた。
扉の前に立っていたのは、王都にある傭兵団の団長であるロジュさんと、国王でありかつて私の婚約者で――婚約破棄のあと私の妹であるアリザと結婚したばかりで、先日の出来事でアリザを失ってしまった、シリル様だった。
「クロエちゃん、久しぶりー!」
傭兵団の団服、鷹の紋様が入った軍服を着たロジュさんが、満面の笑みを浮かべて私に抱き着いてくる。
筋肉の鎧に覆われた大柄なロジュさんに抱き着かれて、私の体は暴れ牛にひかれたぐらいの衝撃を受けた。
ロジュ・グレゴリオさん。銀色の逆立った髪に褐色の肌、金色の目をした、右目の目尻に傷のある強面の男性だけれど、口を開くと明るくて快活な人だ。
久々に親戚の子供に会ったような気安さでぐりぐりと私の頭に顔を擦りつけてくるロジュさんを、シリル様が唖然とした表情で見ていた。
シリル様は、癖のある長かった金髪をばっさり切って短髪になっている。涼し気な灰色の目をした、品の良い美丈夫といった姿である。
どういうわけか、シリル様も傭兵団の団服を着ている。手首から先を失ってしまった右手を、首から布でつっていた。布に覆われているため見えなかったけれど、腕の先は無い筈だ。
先日の出来事の時、私を助けようとしてくれて切られてしまった手である。あれから少し時間が経って落ち着いて考えることが出来るようになった今、改めてその姿を見るとずきりと胸が痛んだ。
「ロジュさん、シリル様、いらっしゃいませ」
「クロエちゃん、良い香りがする。髪の毛から」
「今、色々あってお風呂に入ってたので。待たせちゃいましたよね、ごめんなさい」
「お風呂に……!」
どういうわけか、ロジュさんが色めきだった。
背後で唖然としていたシリル様の眉間に皺が寄った。
「ロジュ。若い女性にそのように触れるのは、失礼だろう」
「俺とクロエちゃんは仲良しだから良いんだよ。ね、クロエちゃん。それにクロエちゃんは俺の天使だ。むさくるしい傭兵団で、むさくるしい傭兵たちの相手ばかりしている俺の、唯一の癒し。今日も可愛い。あぁ、癒される」
癒されてくれるのは有難いのだけれど、そろそろ離して欲しい。
ロジュさんのことは嫌いではないけれど、抱きしめられると力が強すぎて痛いし苦しいし、ともすれば若干の嫌悪感でぞわぞわしてしまう。
明らかに態度に出したりはしないけれど、男性は、あまり得意ではないのよね。
「離せ。それは俺のものだ。無断で触れるな」
私の背後から、低い声が聞こえた。
俺のもの、とか言わなかったかしら。
空耳よね。そうに違いないわ。そういうことを言うひとではないわよ。
声音は苛立っているいつものジュリアスさんだけれど、なんだか言葉がとてつもなく甘い。
私は両手で顔をおさえた。恥ずかしい。
ロジュさんが仕方なさそうに、私からぱっと手を離した。
顔をおさえた手の指の隙間からちらりと後ろを見ると、お気に入りの安価な黒いローブをゆったりと着こなしたジュリアスさんが、タオルで濡れそぼった髪を拭いていた。
ジュリアスさんは魔法が使えない。いつもは温風魔法で私が乾かしてあげているのだけれど、今日は急いでいたのでお風呂場に置いてきてしまった。なので、金色の髪はまだしっとりと濡れている。
ロジュさんは私とジュリアスさんの姿を交互に見た後、顔を赤くした。
「お風呂って、そういう……、ご、ごめん、邪魔した」
上ずった声でロジュさんが言う。
「すまない、出直そう」
シリル様も、やや焦ったような声音で続けた。
ロジュさんとシリル様がそっと私達から視線を背けるので、私は何か大変な勘違いされていることに気付いて、慌てた。
「ち、違いますよ、何が違うのかはよく分かりませんがともかく違います! さっきまでヘリオス君を洗っていたんです、もう終わったので、大丈夫なので……!」
おろおろしながら弁解する私を後目に、表情も変えずに新店舗に置いてある椅子に優雅に座って足を組むジュリアスさんが恨めしい。
ジュリアスさんのせいでなにか大変な勘違いをされているのだから、助けてくれても良いと思う。
私の話を聞いて、ロジュさんはほっとしたように溜息をついた。
「……そ、そうか、飛竜を洗って……、そ、それなら良いんだけど、……俺はてっきり」
「ロジュ、それ以上は口に出すな」
シリル様がロジュさんを咎めた。
二人はとても気安い友人のように見えた。




