王都の西、広い庭付き新店舗 2
朝早くにヘリオス君の体を洗いたいと言ってきたジュリアスさんに協力したら、びしょ濡れになってしまった。
私は水魔法を使いヘリオス君の体に残った泡を落とした。
ヘリオス君は気持ち良さそうに晴れ渡った空から落ちてくる水を浴びたあと、突然思い立ったように空へと飛び立って、王都の上空をぐるりと旋回すると降りてきた。
それだけで、体の水分は大分乾いたらしい。
空から舞い戻ってきたヘリオス君は、私達から少し離れた乾いた草むらの上に体を伏せた。それから午睡でもするように、目を閉じた。
「寝ちゃったんですか?」
「久しぶりに洗ってやることができたからな。……俺の元に来たせいで、あれもかなりの苦労をしている。ああして、穏やかな顔で眠る姿を見たのは、クラフト公爵家に居た時以来だ」
「それじゃあ、寝かせておいてあげた方が良いですね。ジュリアスさん、ヘリオス君にはお布団とかは、必要じゃないんですか?」
「……あの巨体を包み込めるような布団を、お前の錬金術で作れるのか?」
呆れたように、ジュリアスさんが言った。
私に不可能は無いと言いたいところだけれど、流石にそれはできない。
ヘリオス君を包めるお布団の作成が万が一可能だとして、運ぶことができない。ヘリオス君の疲れた体をふかふかのベッドで寝かせてあげたい気はするのだけれど、そうすると、ヘリオス君の方に縮んでもらうしかない。
今一瞬、良い事を思いついた。
けれど草原のふかふかの草むらの上でも十分気持ち良さそうだったので、余計な事はしない方が良いかと、私は首を振ってその考えを打ち消した。
悠々と羽を伸ばして、体を乾かしているヘリオス君を外に残して、私とジュリアスさんは草原の真ん中にぽつんと建っている教会の中に入った。
見た目は教会だけれど、元々は孤児院だったので、生活に必要な物は全て揃っている家である。
白い外壁は所々剥がれがけている。入り口の木製の扉は少し重たい。屋根は青色で、暖炉からつながる煙突が四角く突き出ている。
入り口を抜けると小さな礼拝堂があり、ステンドグラスの下に金色の塗装が半分以上落ちて、鈍色にかわっているこぢんまりした聖像が鎮座している。
礼拝堂の奥に扉があり、生活空間はその奥に広がっている。
大きな食堂と調理場があり、部屋数は多い。
使わない部屋も多いのだけれど、なにかと物があふれる錬金術師にとって倉庫が広いというのは結構ありがたい。
王都の中央広場にあるクロエ錬金術店の、二階の居住空間は、私が一人で快適に暮らせるように時間をかけて少しずつ模様替えをしてきた。
けれど新しい家には引っ越してきたばかりなので、まだあまり手をかけることができていない。
そのうち時間があるときに、徹底的に部屋を作り変えようとは思っている。
濡れてしまった体をきれいにしようと、扉の並ぶ石造りのやや寒々しい廊下を歩き、私はお風呂場へ向かった。
同じく水も滴るジュリアスさんもついてきた。
お風呂に入りたいのだろう。私も同じである。
いつもなら先を譲ってあげるところだけれど、今日は私の方が被害が甚大だ。強い心でもって、お風呂に先に入らせてもらおうと思う。
もともと孤児院にあった広い浴槽を掃除して、お湯の湧き出す錬金物である温泉石を仕込み、いつでも温かいお風呂に入れる仕様にした自慢の浴室の間で、私はいちど足を止めた。
「ジュリアスさん、お風呂に入りたいです」
「見ればわかる」
ジュリアスさんは何を言っているんだ? みたいな顔をした。
私が何か間違っているかのような対応だった。
「残念ながら、お風呂はひとつきりなんです。私が先に入ります、可憐でか弱い美少女なので」
「俺も濡れた。同時に入った方が効率が良い」
「こ、効率は良いかもしれませんが……!」
「何か問題があるのか? お前の体など、お前に買われてから何度も見た。見慣れている」
しれっと、なんでもないようにジュリアスさんは言って、さっさとお風呂に入って行ってしまった。
取り残された私は、濡れて重たい服を着たまましばらく立ちすくむ。
「なんだかわからないけど、負けた気がするわ……」
どういうわけか、ちょっと悔しい。
確かに私はジュリアスさんと暮らすようになってから、ジュリアスさんに女だと侮られて小馬鹿にされたくなくて、着替えなどはなるだけ堂々と行ってきた。
でもだからといって、慎みもそれなりにあるので、目の前で着替えたことなんてそこまでない。そんなにない。多分。
「うぅ、服が冷たい……」
床にぼたぼたと水滴が落ちる。
魔法を使えば乾かせなくもないけれど、泡だらけのべたつきまでは綺麗にできない。
私は負けられない戦いに向かう戦士のような心持ちで自分を奮い立たせた。
脱衣所で服を脱ぎ、一応タオルを体に巻く。これでも恥じらいはある。美少女錬金術師クロエちゃんの裸体は貴重なので、おいそれとさらけだすわけにはいかないのよ。
とかなんとか心の中で言い訳をしながら、私は浴室に入った。
かつては子供達を何人も同時に入れていたのだろう、かなり大きめな作りになっている。
ブラシでこすりやすく水捌けの良い、深い青色の石で出来た洗い場と、大きな石を重ねて色とりどりのタイルを張り、モザイク柄になったなかなか可愛らしい浴槽がある。
浴槽には既にジュリアスさんが浸かっていて、私を一瞥したけれど特に何も言わなかった。
私は何故かこそこそと小さくなりながら、浴槽の端へと体を沈めた。
温泉石から新しい温泉が湧き出し続けるため、お湯はいつでも新鮮である。冷えた体に心地良い。
「……何で無言なんですか、ジュリアスさん。可愛いクロエちゃんと混浴なんですよ、感想とかないんですか?」
無言と羞恥心に耐えかねて、私は口を開いた。
ジュリアスさんは、そんなに不機嫌そうでもないけれど、特に嬉しそうというわけでもない表情で、私をじろじろ見た。
ジュリアスさんはもっと遠慮した方が良い。
「貧相だな、クロエ。豆のスープばかり食べているからか?」
「もっと他に、言い方!」
私は腹を立てた。
腹を立てたついでに、思い切りジュリアスさんにお湯をかけてあげた。
ばしゃりとお湯がかかったジュリアスさんは、水も滴る以下略、となり、前髪をかきあげて楽しそうに喉の奥で笑った。
「ジュリアスさんが、笑った……」
笑い声というのを、聞いたことがあったかしら。
私は吃驚して、ジュリアスさんの顔をしげしげと眺めた。
ジュリアスさんは眉をひそめると、嘆息した。
「お前の顔を見ていると、気が抜ける」
「褒めてるんですか、それ」
「褒め言葉だ」
「……なら良いですけど」
誤魔化された気がする。
「ところでクロエ、店はどうするんだ。元の店から、完全に移動するのか?」
「気になっちゃいます? ジュリアスさんも商売人になりましたね。この調子で、目指せ大金持ちです」
「金は必要だ。飛竜は、……手に入ることは稀だが、比較的安価な雌でも一頭五千万ゴールドはする。底値でな」
「ジュリアスさん五人分じゃないですか」
王家から頂いた報奨金と、貯蓄を全額かきあつめても足りない値段だ。
ジュリアスさんは五百万ゴールド、装備品に五百万ゴールドなので、飛竜まで含めると、もしかしたら一億ゴールドぐらいの出費になるかもしれない。
一年間は遊んで暮らせると思っていたのに。儚い夢だった。
「ただで飛竜を飼えそうな土地が手に入ったのは僥倖でした。でも、五千万ゴールド……」
「早急に、店を開くべきだな」
「飛竜のことしか考えてないじゃないですか」
「お前のことも考えている。お前の店だからな、俺のものでもある。協力はするつもりだ」
「……わかりましたよぅ。えっと、一応お店は開いてるんですよ? 先日の異界の門の災禍で、王都も国も被害が凄いですから、なにかと入用ですし。ただ、お店の扉に細工をしていて……」
私が話し終わるより前に、お風呂場にまでよく通る『クロエちゃん、お客さんよ!』という可憐な声が響いた。




