王都の西、広い庭付き新店舗 1
雲一つなく晴れ渡った空を、広い草原に立って見上げている。
さわさわと涼しい風が頬を撫で、太陽を沢山浴びた草花の、どことなく香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
足首程度まである雑草に覆われた大地は、見渡す限り真っ平だ。
視線を動かすと、王都を囲う城壁が見える。
城壁に隣接していて、鉄柵に覆われた草原である。ただ、鉄柵は草原の端がまばらな森林になっているので、森林に覆われてしまいはっきりと見ることはできない。
「とうとう、地主になってしまったわ」
私は腰に手を当てて胸をそらせた。
風が吹くたびに、青い三角巾がひらひらと揺れた。しっかり首の後ろで結んであるけれど、今にも飛んでいきそうである。
「端とはいえ地価の高い王都の土地だし、シリル様の粋な計らいで所有権は譲っていただいたけれど、国有地扱いのままだから税金はかからないし、王家から謝礼金もたんまり出て貯蓄も潤っているし、むこう一年は遊んで暮らせちゃうかもしれないわね」
アストリア王国の至る所に異界の門が現れて、国中に魔物が溢れたのは数日前の話だ。
美少女錬金術師こと私、クロエ・セイグリットはとても頼りになる相棒と共に魔物と戦い、王都を守った。
という様な出来事があり、アストリア王家からお礼として、王都の西の端にある誰も使っていない広い国有地と、少なくない額の謝礼金を頂いたと言う訳である。
私は今、手に入れたばかりの広大な土地を眺めて、大地主としての感慨に浸っている。
「無駄口を叩いていないで、手伝え」
「はいはーい」
高圧的な口調の割に、甘さのある声音が私を呼んだ。
私は草原に仁王立ちするのをやめて、振り向く。それから呼ばれた方へとぱたぱたと走っていく。
広い草原に黒い羽を広げて寝そべるようにして体を低くし頭を下げている、細身で綺麗な飛竜がいる。
飛竜の前には、背の高く鍛え上げられた上半身を惜しみなくさらけ出した、金髪の男前の姿。
先日お金で買って、色々あって私の信頼できるパートナーとなったジュリアスさんと、ジュリアスさんの愛息子の飛竜のヘリオス君である。
金髪の男前。
我ながら秀逸な表現ね。ジュリアスさんを端的に表している。金髪の男前としか言いようのないジュリアスさんは、首元までの長さの艶やかな金色の髪を水に濡らし、ひきつれた傷跡の残る体に水滴を滴らせ、水も滴る良い男という言葉を全身を使って表現していた。
「挿絵付き語彙辞典があったら、今のジュリアスさんが挿絵を飾るに違いないわ」
「何の話だ?」
訝しげに、赤い義眼と青い瞳、左右色の違う瞳が私を見下ろす。
「水も滴る良い男、という風情だなと思いまして」
「俺がお前の好みの顔ということは知っている。くだらない事を言っていないで手を貸せ」
私はジュリアスさんの隣に並んだ。
目の前には、気持ちよさそうに金色の目を細めているヘリオス君の姿がある。
本日も、とびきりキュート。つるりとして光沢のある、鱗に覆われた体を泡塗れにして、大人しくしている。ジュリアスさんには基本的に従順なヘリオス君なので、なるだけ動かないようにじっとしているようだった。
「もう洗い終わりました?」
「終わった。……魔法が使えないのは、不自由だな」
ジュリアスさんが、自分の首の裏側に手を当てながら眉間に皺を寄せる。
片手には、デッキブラシを持っている。ジュリアスさんとデッキブラシ。足元のたらいには、泡がもこもこしている。
微笑ましくも似合わない姿である。
けれど、ジュリアスさんはちょっとどころではない男前なので、水に濡れても水も滴る良い男だし、デッキブラシも新手の武具に見えてしまわなくもない。似合わなさについて笑う事が出来ない程度には様になっている。
顔が良いと言うのは一般的にという話で、私の好みとかは――まぁ、あるんでしょうけど。
自分でも吃驚してしまうのだけれど、私はこの不遜で偉そうで、とても頼りになって、時々優しいジュリアスさんが、なんていうか、その、好きだったりするのよね。
人生とは分からないものだ。ついこの間までは、アストリア王国の第一王子シリル様の婚約者の公爵令嬢だったのに、今では美少女天才錬金術師で、元敵国の将だったジュリアスさんが隣に居るのだから。
なんて感慨深く思いながら、ジュリアスさんを眺めている場合ではなかった。
泡塗れのヘリオス君を、なんとかしてあげないといけないんだった。
「魔法が使えない生活って結構不自由な気がするんですけど、やっと不自由さに気づいたんですか?」
「魔法が使えれば多少は戦いが楽になるが、その程度だ。今は戦場に居る訳でもないし、生活に不自由はしていない。お前が魔法を使える。問題は無い」
ジュリアスさんの首の後ろ側には、角が二つある動物の骨のような模様が刻まれている。
魔力を封じる効果のある、奴隷の刻印である。
ジュリアスさんの首にある魔力錠は対象を隷属させたり拘束したりするときに使用する魔道具の一種で、私の作る錬金物と違い魔力を持った者のみが使用できるものだ。
魔力錠は効力が使用者の魔力に依存する。隷属させたい相手の魔力が使用者より高ければ、案外簡単に拒絶できてしまう代物だ。それなので、奴隷を従わせるために魔力錠の効力が最大限に発揮されるよう、奴隷の刻印を刻み魔力を封じるのである。
元々敵国の将軍だったジュリアスさんは、三年前にアストリア王国に引き渡された。そして終わらない刑期を言い渡され、奴隷闘技場で奴隷剣士となった。
そのジュリアスさんを購入したのが、美少女錬金術師クロエちゃんこと私、というわけである。
「あいかわらずずるい……」
「何か言ったか?」
小さくつぶやいた私の言葉が聞こえなかったらしく、ジュリアスさんが聞き返してくる。
私はなんでもないと、首を振った。
魔法は私が使えるから大丈夫、だなんて、ジュリアスさんの事だから言葉以上の意味は無いんでしょうけれど、ずっと一緒にいることをさも当然のように言われたみたいで、照れてしまう。
照れてしまったのを誤魔化すために、私はなるだけ明るい声で元気よく言った。
「よし、それじゃあヘリオス君、私の魔法で泡を落としてあげますよ、目をつぶっていてくださいね!」
私は腰のベルトにひっかけていた杖を手にした。
先日、武器防具店の店主であるロバートさんに頂いた、千年樹を素材としたとても高級な杖である。
この間お買い物がてらロバートさんにお礼をしにいったら「お礼は良いから沢山買ってね、クロエちゃん」と言われた。
なので、ジュリアスさんのお気に入りの黒いフリーサイズのローブを何着か購入した。「ジュリアス君は見栄えは良いしなにせ元貴族なんだから、もう少し良い服を着た方が良い」と言われて、一着十万ゴールドする服をすすめてきたので、丁重にお断りさせて頂いた。
勿論ジュリアスさんが高い服が良いと言うのなら買おうかな、と思わないことも無かったのだけれど、「これが良い」と、安価なローブを欲しがるので、仕方ない。
ロバートさんには悪いけれど、責めるなら、オシャレに興味のないジュリアスさんを責めて欲しい。
「キュウ」
私の声に吃驚したのか、いままで目を伏せて大人しくしていたヘリオス君が、ぱっちりと目を開いて長い首をもたげて私を見た。
知性のある賢そうな金の瞳が、嬉しそうに輝いている。
どこか、悪戯っぽくぱちりと瞬きを一度したあと、先程までデッキブラシでジュリアスさんに擦られて泡塗れになっている羽を、ばさり、と羽ばたかせた。
「わわ……っ」
風圧とともに、羽に纏わりついていた泡がべしゃべしゃと飛んでくる。
あれよあれよという間に両足で起き上がって手の変わりにある羽と太い両足を使い体を起こし、細身で美しいけれど、小さな家ぐらいはある黒い巨体をぶるりと震わせた。
大量の水飛沫と、泡が、私に降りかかる。
私はいつものエプロンドレスをちゃんと着ていて、ジュリアスさんはヘリオス君を洗うので濡れる事を見越して上半身は服を着ていない。
当然、被害は私の方が上である。
「無事か、クロエ」
泡と水を滴らせながら、ジュリアスさんは邪魔そうに髪をかきあげた。
あんまり心配していなさそうな声音で、一応聞いてくれる。その口元には小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。びしょ濡れの私の姿が、面白くて仕方がないという表情である。
水も滴る良い男という風情を増大させているジュリアスさんの横で、濡れ鼠のようになった私は、恨みがましくヘリオス君を見る。
ヘリオス君は全く悪意のない無邪気な瞳で私を見た。ぱちぱちと瞬きをするのが可愛らしい。
「あまり、はしゃぐな。クロエを揶揄って遊びたい気持ちは、分からなくもないが」
ジュリアスさんが、ヘリオス君をそっと注意した。
飛竜愛好家のジュリアスさんは、ヘリオス君には優しい。
「ヘリオス君に、揶揄って遊びたいと思われてるんですか、私は」
「お前がお人好しの阿呆、ということぐらい、ヘリオスにも分かる」
「もっと良い言い方は無いんですか。例えば、可愛いとか、可憐とか、天使みたいなクロエちゃん、とか」
私は拗ねたように言った。
別に本気で可愛いとか言って欲しい訳じゃない。冗談のつもりだった。
ジュリアスさんは少し考えるように目を伏せた後、口を開いた。
「……天使に、見えなくもない」
「ヘリオス君、泡を流しますから大人しくしていてくださいな!」
ジュリアスさんがそれ以上何かを言う前に、私はヘリオス君に再び魔力増幅の杖を翳して、水魔法を使用してヘリオス君の上からシャワーのように水を降らせた。
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