天使、来りて 3
崩壊した王城は、瓦礫の山に姿を変えている。
地上では騎士団の方々や宮廷魔導師の方々が異界の門から溢れた魔物と戦っている。
シリル様が指揮を取っている姿も遠目に見えた。
空に空いていた虚のように至る所にあった異界の門が、メフィストが去ったからだろうか、次々と閉じて霞のように消えていく。
シリル様の元へと向かうと、シリル様の右手は手首から先がなくなってはいるものの、治療魔法をかけたのか傷口は綺麗に閉じていた。
「クロエ……! 無事で良かった」
私に駆け寄ってこようとしたシリル様は、私と共にヘリオス君から降りてきたジュリアスさんの姿を見て足を止めた。
ヘリオス君がアリザの体を地面に横たえる。
腹には風穴が空き、血がすっかり抜け落ちた蒼白な、けれど美しい顔をしている。
シリル様はすっかり変わってしまったアリザの姿を見て、沈痛な面持ちで口を開いた。
「救護兵、アリザを連れていけ。治療の必要はないが、……弔うため、遺体は丁重に扱え」
シリル様の命令を聞いて、何人かの兵士の方々がアリザの体をどこかに運んでいった。
それから、私たちに向き直り深々と頭を下げる。
「クロエ。……すまなかった。私が愚かだったばかりに」
「シリル様、今は反省も後悔も、している暇はありませんよ。溢れた魔物をぱぱっとやっつけましょう。色々考えるのは、それからです」
「あぁ、そうだな。こちらは兵が足りている。できるなら、王都の加勢に行ってくれないか?」
「はい、勿論です。ジュリアスさんは強いので、王都の魔物なんて一網打尽ですよ。ね?」
私はジュリアスさんを見上げた。
不機嫌そうな表情のジュリアスさんが、シリル様を見据えて口を開いた。
「騒乱に紛れてお前を殺したいが、……クロエがお人好しの阿呆だったせいで、命拾いしたな、シリル・アストリア」
「ジュリアスさん、どうしてそういうこと言うんですか。今はそれどころじゃないんですから。無闇に人を威嚇したら駄目ですよ」
「黙れ、阿呆。お前の妹も、あれも同罪だ。妹は死んで罪を贖ったが、あれは生きている」
私が咎めると、ジュリアスさんは平静な声音で言う。
冗談でも、怒りに激昂しているわけでもない。その瞳は冷静そのものだ。本当にそう思っているようだった。
「そうだな。その通りだ。……此度のことは全て私の責任だ。多くの人が命を失っただろう。私も、贖罪のための生き方を考える。しかし、今はまだ待っていてくれ。必ず、贖う」
「シリル様、気にしないでください、だなんてことは言えませんけど、今は一人でも多くのひとを助けるために、魔物を倒すのが先です。私たちは王都に向かいます、シリル様もお気をつけて!」
私はジュリアスさんの手を引っ張って、ヘリオス君の元へと戻る。
再び舞い上がったヘリオス君は、王都の噴水広場へと向かった。
広場には何人もの傭兵団と思しき武装した方々が倒れている。その真ん中で傷だらけになりながらもしっかり立っているロジュさんが、空を飛ぶヘリオス君の姿に気づいたのか大きく手を振っている。
「クロエちゃん、ジュリアス! 信じてた!」
ヘリオス君の背中から、ジュリアスさんが私を抱えて広場へと降り立つと、泣きそうな笑顔を浮かべてロジュさんが駆け寄ってくる。
私とジュリアスさんをがばっと抱きしめようとしてくるロジュさんから、ジュリアスさんはひらりと身をかわした。私は身をかわせなくて捕まった。
ものすごく力の強い抱擁だった。内臓が口から飛び出るかと思った。
ロジュさんは「死ぬかと思った。今回ばかりはクロエちゃんだけじゃなくてジュリアスも天使に見えちゃう」と言いながら私を離してくれた。
案外元気そうで良かった。私から体を離して大剣を構えるロジュさんと、ジュリアスさんが並ぶ。
私は一歩下がって、治療魔法を詠唱した。
ロジュさんと、ジュリアスさんの傷が塞がっていく。
本当は倒れている兵士の方々の治療もしてあげたかったけれど、無理そうだった。
いつも以上に今日は魔法を使っているせいで、魔力切れを起こしそうだ。破邪魔法も、あと一、二回が限度な気がする。
それでも、絶望はない。まだ大丈夫だと思える。
私にはジュリアスさんがいてくれるから、だから大丈夫。
頼もしい背中を見つめながら、私は杖を構えた。家々に囲まれた路地の至る所から、魔物のおぞましい魔力の気配がする。
「五秒で片付けるぞ、クロエ」
ジュリアスさんが振り向きもしないで私に話しかける。
「はい!」
五秒は無理だと思うけれど、私は大きな声で返事をした。
ジュリアスさんなら、できてしまうような気がする。
ロジュさんが「良いなぁ、仲良し」と羨ましそうに呟く声が聞こえた。
――五秒は、無理だったけれど、体感的にはそれぐらいだったのかもしれない。
王都の魔物を掃討するころには、景色は夕暮れの橙色の光に支配されていた。だから実際には、数時間といったところだろう。
けれど、あっという間だった。
王都の魔物はジュリアスさんと私、ロジュさんや傭兵の皆さん、お城の魔物を片付けて加勢に来た騎士の方々のおかげで全て倒された。
怪我人を救護兵の方々が仮設の診療所へ連れて行ってくれるころには、街の人々がちらほら戻ってくる姿を見ることができた。
魔力切れを起こした私は、魔力増幅のお高い杖を本当に杖のように突いて体を支えていた。
私の隣には、剣を鞘に戻したジュリアスさんが、幾分か髪を乱れさせて、けれどいつもどおり真っ直ぐ立っている。
遠くから「クロエちゃん!」と名前を呼んでこちらに走ってくるロキシーさんや街の人たちの姿が見える。
私はジュリアスさんを見上げた。
ジュリアスさんは、私の頭をやや乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる。
いつの間にか、頭につけていた三角巾はどこかに行ってしまった。髪も顔もぼろぼろだろう。
けれど、それがとても誇らしく感じる。
王都の橙色に染まる空をヘリオス君が優雅に飛んでいるのを見上げた。
――相変わらず空はどこまでも広くて、自由だった。




