黒太子ジュリアス・クラフト 4
私は出来上がった義眼を持ってジュリアスさんの元へ向かった。
ジュリアスさんの元へ向かったっていうのもおかしいわよね。あれは私の部屋の私のベッドなのに。なんかもうあの部屋の主がジュリアスさんみたいになってる。元将軍の貫禄のなせる業なのかしら。
ともかく、私は自分の部屋に入る。
ジュリアスさんは西日の差し込む部屋で規則的な寝息をたてている。どうしようか迷ったけれど、義眼をはめたい欲求の方がジュリアスさんを休ませたい欲求を越えてしまったので起こすことにした。
落としたら嫌なので、私はシャーレの中に入った義眼をいったんテーブルの上に置いた。
「ジュリアスさん、起きてくださいな。夜ですよ、夜。夜ご飯を食べるんですよ」
気安く声をかけながら近寄ってその顔を覗き込んだ私の、ジュリアスさんのローブを引っ張ろうとした腕が一瞬のうちに目を覚ましたジュリアスさんによって捻りあげられる。
冷酷に私を睨みつける瞳と目が合って、私はへにゃりと笑った。
「ジュリアスさん、おはようございます」
「なんだ、阿呆か」
「変なあだ名をつけるのをやめて下さいよ。クロエちゃん、もしくはご主人様とおよびなさい」
「不用意に近づくな、阿呆。殺しかねない」
ジュリアスさんは捻りあげた私の腕をぱっと離して溜息をつき、それから私のベッドの枕元に沢山重ねてある蝶々やお花柄の色とりどりのクッションに体を沈めた。ちょっとファンシーだ。
「ひとを阿呆阿呆と、馬鹿の一つ覚えのように呼ばないでくださいよ。たった三年で奇跡の天秤を作り上げたクロエちゃんは巷では天才錬金術師と評判なんですからね」
「生憎俺は錬金術には明るくなくてな。お前がいかに凄かろうが、どうでも良い」
「ジュリアスさんにクロエちゃん凄い天才素敵~、って褒められてよしよしされたいなんてこれっぽっちも思ってないので別にいいですよ」
私のベッドを占拠した美しいジュリアスさんが、可愛くないことを言うので私は唇を尖らせた。
別に口喧嘩をしにきたわけじゃないので、私は捻りあげられて痛む右手を摩りながら、テーブルの義眼を持ってきてジュリアスさんの前に差し出して見せる。
「見て下さいよ、ジュリアスさん用の錬金義眼です。真実のアナグラムの追加効果つきですよ! 真実のアナグラムの効果を発現するための真実の眼鏡は、北の洞窟にだけ生息する『全てを理解する者』を討伐しないと手に入らないちょうちょう貴重品で、非常にお高い素材なので、喜んでくださいね、ジュリアスさん」
「寝起きに騒ぐな。頭に響く」
「私の話聞いてましたか、ジュリアスさん。これ、一般的な冒険者の方なら泣いて喜ぶ特殊効果なんですよぅ」
「端的に話せ」
「なんですかジュリアスさん、上司ですか、私の」
「回りくどい」
「ジュリアスさんが端的すぎるんですよぅ。錬金術には沢山の素材が要りますし、発現した効果だってちゃんと説明してあげないとお客さんには伝わらないんですよ? つまり、お話しするのは大切。だって接客業ですから。ジュリアスさんには向いてませんね、接客業。でも見た目が美人だから、お店においておけば女の子のお客さんがきゃあきゃあ言って殺到するかもしれません」
それは良い考えだ。
クロエちゃんの錬金術店がまた儲かっちゃうわね。
私はにやにやした。女の子向けに可愛い自動点灯ランプをもっと沢山開発した方が良いかもしれない。
「……俺が店先に居たら、怖がられて客が来なくなるんじゃないか」
「黒太子ジュリアスさんの姿を知っているのなんて、従軍してた将軍の皆様とか、辺境伯とか、王家の方々ぐらいですよ。あと奴隷闘技場が好きな血気盛んなお金持ちもジュリアスさんを見たことあるかもしれませんけど。街中の女の子はジュリアスさんを見ても、やだー、良い男ー! としか思いませんて」
「俺の顔立ちがお前の好みだということは良くわかった」
ジュリアスさんは揶揄うように言った。
つまらなそうに話を聞いていたと思ったら、突然揶揄ってくるので、身構えていないといちいち吃驚してしまうわね。気を付けよう。
「一般的にという話ですよ。……で、私は義眼を嵌めにきたんですよ。大人しく嵌められてください」
「好きにしろ」
ジュリアスさんはクッションに体を預けたまま、少し上を向いて目を閉じた。
ベッドの横に立っている私は、ジュリアスさんの位置には当然手が届かない。
「ジュリアスさんもう少しこっちに来てくださいな。届きません」
「俺は疲れている。動きたくない」
「私はご主人様なんですよ。言う事を聞いてくださいよ」
「動きたくないが、それ以外はお前の好きにして良い。どうぞ、お好きなように、ご主人様」
なんてことなの。
ジュリアスさんを買ってきて一日目で既に私は手のひらの上で転がされていないかしら。
「噂では、残酷で、冷酷で、恐ろしい黒太子、なんて言われてましたけど、ジュリアスさんて結構普通に話が出来る人なんですねぇ」
「……会話もままならない男が、将として軍を率いて戦えるとでも思うのか?」
「そりゃ、まぁそうですけど。じゃあ噂は噂だったんですね」
目を閉じたまま返事をしてくれるジュリアスさんに近づこうと、私はシャーレを片手に持ったまま、自分のベッドによじ登った。
毎日寝ている私のベッドなのに、驚くほどに不自由だ。上に乗るとふわふわするので、シャーレの中の義眼を落としそうになる。
「さて。俺はお前が命じればいつでも王の首をとってくることが出来る。どうだ、クロエ。お前の憎い人間たちを皆殺しにしてやろう」
「どっかの魔王みたいなこと言わないでくださいよ。なんでそう物騒な方向だと私の命令に従っちゃうんですか。物騒な方向にだけ忠実なのやめてくださいよ。私はそういうの求めてないですから」
「つまらない女だな」
「私の為に王家を皆殺しにして~! とか言う血生臭い女が好みのタイプなんですか、ジュリアスさん。変わってますね」
ジュリアスさんは嘆息したきり返事をしてくれなかった。
私の迫真の演技が滑ったみたいだからやめて欲しい。心なしか部屋の静寂が耳に痛い。
ジュリアスさんが目をつぶってくれていて良かった。滑った恥ずかしさに頬が赤く染まるのを感じる。
私は今ジュリアスさんの体の正面に近づくために、その膝の上に仕方なく跨っているので、頬を染めたりしていると男に慣れていないとかなんとか言われそうで嫌だった。
別にジュリアスさんに近づいたところで私は照れたりしないのだ。男にはもう懲りている。裏切り者のシリル様の顔を思い出して、何度枕を床にたたきつけたことか。錬金だって失敗して、闇の遺物を何回か作り出してしまったのだから。
「ちょっと痛いかもですよ。目に触りますからね」
私は片手に義眼をつまみ、ジュリアスさんの右目にあいた虚をもう片方の指でぱかりと開いた。
目の形にひらいた虚に、義眼を差し入れる。
義眼の目の虚に密着する後ろ側からするすると、視神経のような黄色い細い管が何本か伸びて、ジュリアスさんの体の中に入り込んでいく。つぷりと目の中に埋まった義眼は、綺麗な白目の中央に美しい緋色のルビーで出来た虹彩が輝いている。
目を嵌め込んで幾分かおさまった皮膚の引き攣れに、私は触れた。
目の上を覆うようにして片手を当てると、治療魔法を囁く。
「治癒の女神パナケイア、その力にて彼の者の傷を癒せ」
ジュリアスさんにあてた手のひらがほんのりと温かくなる。
緑色の光が私の手のひらから溢れて、ゆっくりと消えていった。
手を離し、ジュリアスさんの顔を確認する。紅い義眼の嵌った目の周囲の皮膚はよく見ると引き攣れが残っているものの、かなり綺麗に修復できている。長い睫毛も、瞼も、元に戻っているように見えた。
両目のあるジュリアスさんの顔を、その前髪をかきあげて私はじっくりと見つめる。
違和感はない。片眼がなくても綺麗な顔をしていたけれど、両目が嵌るとより一層美しい。並んだ目に違和感はない。私は自分の義眼の出来に大変満足した。
ぱちりと、ジュリアスさんが両目を開く。
くすんだ青い瞳と、義眼の紅い瞳と目が合った。
「どうですか、見えます?」
「ごく普通の女の顔が見える」
「でしょう、そうでしょう、私の錬金義眼はただはめ込むだけのお飾りの義眼とは違うんですよ。ちゃんと目の神経と繋がって、目として機能を果たしちゃうんです。回復魔法で顔も綺麗に修復できましたよ。ジュリアスさん、鏡、見ます?」
「いや、良い。お前の瞳に、俺の顔が映っている。もっとよく見せろ」
「ん?」
まぁ、至近距離で見ているので、映ることもあるかもしれないわね。
私はぱちぱちと瞬きをした。ジュリアスさんの綺麗な顔が近い。気づけば膝にまたがる私の腰は、ジュリアスさんの両手でがっちりと抱え込まれていた。
これはあれですか、まさか長らく奴隷闘技場に居たから、欲求不満とかそういうことでしょうか。
女ならだれでも良い的な? そういうやつなの?
「……クロエ。……ごく普通のお前の顔は見えるが、真実のアナグラムとやらの効果は良く分からん」
じっくりと私の顔をみつめたあとに、ジュリアスさんはぽつりと言った。
効果を確認していただけらしい。
紛らわしいのでやめて欲しい。
興味を失ったように私から手を離したジュリアスさんの膝の上から、私はさっさと退いて、ベッドの上から降りた。
「やっぱりジュリアスさん、義眼の効果について気になっちゃう感じじゃないですか。説明聞いちゃいます? 説明聞きたかったらベッドから降りて、ご飯を食べて下さいな」
「……先に効果を話せ」
「従います?」
「そうだな、ご主人様」
「人間素直が一番ですよ。今日のご飯は豆のスープです。で、真実のアナグラムの効果は、怨霊系魔物の本体を見破ることができます。怨霊系魔物には実体がないので神聖魔法でしか倒せないのが普通ですが、真実のアナグラムの効果で、ジュリアスさんでも倒すことが出来ちゃうんです。魔法が使えない人たちには大変重宝される、希少な効果なんですよ」
「……なんだ、その程度のものか」
「お高いんですからねぇ、その義眼! そのうちジュリアスさんはクロエちゃんに泣きながら感謝するようになりますからね。怨霊系魔物は洞窟に大抵蔓延ってるんですから」
ジュリアスさんは返事をせずにベッドから降りてきた。物凄く物凄く、可愛くなかった。




