捕縛・連行・しばらくのお別れ 3
どれぐらい、時が経っただろうか。
窓の外を眺めるのをやめて、私は硬いベッドに座って時間が過ぎるのを辛抱強く待っていた。
本当なら今頃は、異界の門番の落とした素材を使って新しい錬金物を錬金しているところだったのに。
小さく溜息をつく。
扉の鍵が開く音がしたのは、そんな時だった。
「……シリル様」
「クロエ……!」
部屋に入って来たのは、シリル・アストリア国王陛下だった。
三年前、まだ王太子殿下だった時よりも少し大人びただろうか。癖のある金髪は背中の方まで伸びていて、一つに縛られている。灰色の瞳が真っ直ぐに私を見据えている。
国王様らしい白い服に、王国の紋章の入ったマントを身に纏っていた。
部屋に入ってきたシリル様がどういうわけか私の方へと駆け寄ってくるので、私は身を竦ませた。
「クロエ。縛られているのか、痛いだろう。今、外す」
シリル様は私の後ろ手に縛られていた縄を、小型のナイフを腰ベルトから取り出して外してくれた。
私は痛む手をひらひら振った後、手首にできている赤い跡にふうふうと息を吹きかけた。くっきりと縄の跡が残り、血が滲んでいる。
てっきり顔を見た瞬間罵倒でもされるのかと思っていた私は、シリル様の態度に戸惑う。
まるで婚約者であったときに戻ってしまったように、妙に優しい。投獄して、王都に捨てたくせに。
シリル様はベッドに座る私の前に、膝を突いて私と視線を合わせてくれた。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
真摯な眼差しが私を見つめている。
私は困ってしまって、眉根を寄せた。
罵倒されたらいくらでも言い返せるのに、その準備をしていたのに、シリル様の態度は予想の真逆だった。
優しい言葉をかけてくれるひとに、なんと言えば良いのかよくわからない。
怒りの矛先を向ける相手を見失った感じだ。
だけど心配してくれるなら、何故捕縛したのか尋ねなければ。
「シリル様の命令で、私はここに連れてこられたんですよね? 無実の私を縛るとかどういうつもりですか? 痛かったですよ!」
私はシリル様に初めてきちんと文句を言った。
うん。ここぞとばかりに、大きい声が出たわ。
良いわよ、私。この調子よ。
「悪かった、クロエ。お前の捕縛と、ジュリアスの投獄を命じたのは私ではない。……アリザだ」
三年前よりも幾分か落ち着きと威厳のある話し方で、シリル様は言った。
昔は俺って、言っていたわよね。
急に大人びてしまったみたいだ。
「アリザちゃんが? アリザちゃんに騎士団を動かす権限があるんですか?」
「私の名前を使い、動かしたようだ。コールドマン商会からの証言だけで、君を捕縛するなどあり得ないことだ。……三年前、私たちはアリザの話を鵜呑みにした。……セイグリット公爵の罪を信じ、言われるまま、処刑を」
シリル様は苦しげに言った。
私は視線を膝の上に置いた手に落とす。喉に言葉がつかえて出てこない。
こんなときジュリアスさんがいてくれたらと、思ってしまう。
先程の勢いはどこへやらだ。
駄目ね、私。
「私は牢にいたから、よく知りませんけど……、お父様は悪いことをしていたんですよね?」
「そう、信じていた。処罰を決めたのは、国王である私の亡くなった父だった。君の放逐を決めたのは、アリザだ。……私は、ただ言われるまま流され、従い、君を守ることをしなかった」
「分かりません。シリル様、わけが分かりません。それなら、お父様は無実なのですか? 無実なのに、処刑を?」
「あぁ。……今となっては証明できるものはないが、セイグリット公爵は寡黙で気難しいが、誠実な方だった。……しかし私は長い間、アリザの言い分だけを信じていた。……クロエ、すまない」
シリル様は私の手を握ると、縄の跡の残る手首を指先で撫でる。
背筋にぞわりと悪寒が走る。
私はシリル様から逃げるように、手を引っ込めた。
「……終わったことをいくら責めても、何が変わるわけじゃありませんけど、折角第二の人生順調だったのに、シリル様とアリザちゃんのせいで、今頃ジュリアスさんが激怒してますよ。謝っても許してもらえませんよ、絶対」
「クロエ、ジュリアスとは恐ろしい男だ。……君には、相応しくない」
「うるさいですよ、シリル様。もう、私とシリル様は赤の他人ですので、心配してくれなくても大丈夫です。あ。国王様にうるさいとか言ってごめんなさい」
私が言い返すと、シリル様は驚いたように目を見開いたあと、少し笑った。
それから、眉根を寄せてやや深刻な表情をつくる。
「クロエ、……アリザとはなんなんだ? あれは、人ではないのか?」
「アリザちゃんのことはシリル様の方がよく知っているんじゃないですか? ……シリル様、なにかありましたか?」
ジュリアスさんがいたら、多分関係ないとか、関わるなとか言って怒るだろうなと思う。
けれど、無関係とは言い切れないし、ここまできたのだから最後まで知りたい。私は逃げないと決めたのだから。
「……コールドマン商会からの連絡を受け、アリザがお前の捕縛を命じたのは、今朝早くのことだ。どういうつもりかと問いただそうと、アリザの部屋に向かった。……そうしたら、アリザしか居ないはずの部屋から話し声が聞こえたんだ」
「話し声ですか」
「……男の声だった。俺は不義を疑い、聞き耳を立てていた。……声は、……邪魔なクロエを殺す、と」
「私を?」
「あぁ。扉の隙間から部屋を覗くと、アリザの足元から、影のような……、人の形をした、異形の姿が。……あれは、アリザなのか? 私はひとではないものを信じ君を貶め、契りを結んだのか……?」
「シリル様……」
シリル様は自分の胸元を強く握った。
ぐしゃりと、白い服と胸元を覆うマントに皺が寄った。
「異形を見たからか、ようやく目が覚めたようだ。……私は、どうかしていた。だから、アリザを部屋に閉じ込め、君の元へ来た。……あれがなんなのかは分からないが、今は無事に、クロエをこの場所から逃がすべきだな」
シリル様は立ち上がると、私の手を取ろうとした。
私はシリル様の手を借りずに、一人で立ち上がる。
全てを理解することは難しいけれど、逃がしてくれると言われた以上、ここから出るべきだろう。
シリル様の話が本当だとして、今の私は杖もなければ錬金物を取り出せるいつもの布鞄もない。
扉に近づこうとすると、胸がつまるような気持ち悪さを感じた。
ぬめりけのあるものが足先から這い上がってくるような、不快感。
怖い。
怖いものだ。
ぬるりと近づいてくる、こわいもの。
ーー私はずっと、アリザが怖かった。
私は気が弱くて、アリザは真逆で。
でも、それだけじゃないなにかが、そこにはあって。
怖いものからは逃げなさいとお母様が言っていた。
けれど私はもう、逃げたくない。
シリル様が私を庇うように一歩前へ出る。
ひたひたと、闇が近づいてくる。




