異界の門討伐部隊 4
私たちの座るカウンター席のテーブルに、白い深皿になみなみと注がれた茶色みがかった透き通った色のスープで煮込まれた、牛頬肉の塊肉がことりと置かれた。
奮発しちゃうと言っていただけあって、それはかなり大きい塊だった。私の顔の半分ぐらいあるのではないかしら。山のようにそびえる塊肉に私はこくりと喉を鳴らした。
小さなバスケットに盛られたパンの量もやたらと多い。どうしよう、食べきれる気がしないわ。
私には冷たい紅茶を、ジュリアスさんの前には赤葡萄酒が、ビール用のジョッキに入ったものが置かれた。物凄く奮発してくれているのは分かるけれど、そんなに飲んで大丈夫かしらというぐらいの奮発ぶりだ。
「ロキシーさん、ありがとうございます」
「良いのよ、お姉さんからのささやかな心遣いよ。クロエちゃんの邪魔をする男たちの相手は私が引き受けてあげるから、ゆっくり食べてね」
ロキシーさんはそういうと、私達の前から離れてカウンター席の他の男性たちと話を始めた。
食堂でご飯を食べているときに滅多に話しかけられたりしないのだけれど、気を遣ってくれているらしい。
何だか気恥ずかしい気の遣われ方をしているようだ。
「……ジュリアスさん、今日はありがとうございました。沢山食べて下さいね」
ジュリアスさんはビールジョッキに入れられた葡萄酒を、奇妙なものでも見るようにしげしげと眺めていた。
「アストリア王国では、これが当たり前なのか?」
「いえ、違いますよ。それはビール用のグラスで……、ジュリアスさんお酒強いですか? 大丈夫でしょうか、あまり無理しないでくださいね」
「強いかどうかは知らない。酔うほどに飲んだことは無いし、そんな暇はなかったからな」
「……なんだか、私が抱いていたイメージと全然違いますね、ジュリアスさんて」
「お前は俺を何だと思っていたんだ? ……言葉を話しただけで随分と驚いていたのは、覚えているが」
「ジュリアスさん人の話ちゃんと聞いてるし、記憶力良いですよね」
ジュリアスさんは牛頬肉をナイフで切って口に入れ始める。
いつも思うのだけれどジュリアスさんは一口がかなり大きい。食べ方は綺麗なのに、物凄く速い。
私は自分のお肉を半分切って、そっとジュリアスさんのお皿に入れた。ジュリアスさんは私の行動を見ていたけれど何も言わなかった。食べてくれるということだろう。良かった。
私も小さく切ったお肉を口に入れた。臭みはなくまろやかなお肉の風味だけが口の中で溶けるように消えていく。よく煮込まれていてとても柔らかい。
ちぎったパンをスープに浸して口に含む。お肉の出汁と香草の味が染み込んだスープの味が口いっぱいに広がって幸せな気持ちになった。
「ええとですね、……なんていうか、物凄く強くて残虐な将軍っていうのは、こう、……酒と女を侍らせてふはははって笑ってる感じの、酒池肉林、みたいな」
「ああ、そういう人間も皇国には居たな。天幕から外に出ず、戦果だけを中央に報告するような屑だ。あながち間違っていないが、……例えば、今までの俺の話は全て作り話で、実際には俺もそんな人間だったかもしれない」
「ジュリアスさんは違いますよ。そんな風には思いません」
「何故?」
「ジュリアスさん、嘘をつくの苦手でしょう。正直ですよね。……それと、……もしそうだったら、嫌だなって、思います」
私はフォークでお肉の塊をつついた。
あまり褒められた行動ではなかったけれど、スープの中で浮かんだり沈んだりしているお肉を見ていると、話しやすい気がした。
「それは、俺が愚かだと嫌だという事か?」
「そうじゃなくて……、なんていうか、……美人を侍らせてるところを想像すると、少し嫌と言いますか……、自分でも良く分からないんですけど、もやもやすると言いますか……、ジュリアスさんが私の事を凡庸とか、普通の顔とか、可愛くないとか言うから、そういう気持ちになるんだと思います」
「可愛くない、とは言っていない」
「そうでしたっけ」
言われた気がするんだけれど、違ったかしら。
ジュリアスさんはお店に入るまでは不機嫌だった気がするけれど、私の気のせいだったみたいだ。
今は普通に話をしてくれるし、口元にも少し笑みが浮かんでいる。
やっぱりお腹が空いていたのかもしれない。傷だらけになって戦ってくれたのだから、それもそうだろう。お酒も体に入って、楽しい気持ちになってくれたのかしら。
そうだと、嬉しいのだけれど。
不機嫌なジュリアスさんよりも、楽しそうなジュリアスさんを見ている方が好きだなと思う。
できれば――ずっと、楽しそうでいて欲しい。
さっさと自分の分を食べ終えてしまったジュリアスさんは、葡萄酒を一口飲んだ。大きなジョッキで飲んでいるので優雅さには欠けるけれど、中々絵になる姿だった。
私は更に半分ほどになったお肉をぼうっと見つめた。お腹は空いていたけれど、だからといっていつもよりも大量に食べられると言う訳じゃない。
「クロエ。ヘリオスが俺以外を乗せて飛ぶのは、お前が初めてだ。中々、様になっていたな」
「ジュリアスさん、獄卒のケルベロスの背中の上で戦ってたのに、よく見れましたね。様になっていましたか? ヘリオス君、ぐるぐるまわるし、ゆらゆら揺れるし、落とされるかと思いましたよ」
「あれは、遊んでいたんだろう。……ヘリオスはまだ十五歳にも満たない。飛竜の雄は五百年は生きると言われている。だからヘリオスは体は成熟しているが、まだ人間で言えば幼い子供みたいなものだ。育てた俺を、父親だと思っている。……おそらく、お前の事は母だと認識している」
ジュリアスさんが何でもないことのようにそう口にした。
私は言葉の意味を心の中で反芻する。
私の顔に大きな顔を擦りつけるヘリオス君の姿を思い出して、胸が切なくなった。可愛い。何て可愛いの。それにしても。
「お、おかあさん……、私が、ですか……」
心臓の音がうるさい。顔に熱が集まるのが分かる。
そんなことをさらっと言ってくるジュリアスさん、狡い。時々優しいのとか、時々驚くほどに甘ったるい事を無自覚に言うところとか、狡いと思う。
ジュリアスさんのことだから、言葉にそれ以上の意味なんて無いのだろう。そう思ったからそう言った、それだけの事に違いない。
私にしてみたら、ジュリアスさんがお父さんで私がお母さんだとしたら、それってつまり、なんていうか、結婚しているみたいだなぁとか思ったり、して。
物凄く、動揺してしまう。
今更ながら、ジュリアスさんの左手の薬指の飛竜の指輪を意識してしまったりして。
それはジュリアスさんとヘリオス君の愛の証、とか思っていたのに。
ジュリアスさんは頬をおさえて俯く私の前に置かれているお肉の残った皿を指さして「食わないのか?」などと聞いてくる。動揺している私が間抜けみたいだわ。
「もう食べられません……」
「貰うぞ」
ジュリアスさんは自分の方にお皿を引き寄せると、私が残した分を数口で食べてしまった。
何だかわからないけれど、そういうのも狡いと思う。
此方に向けられている視線に気づいてはっとして顔をあげると、ロキシーさんとカウンター席の男性たちが私たちの方を見てにやにやしている。因みに全員知っている人たちだ。親しくは無いけれど、顔見知りではある。
やめて欲しいわね。甘酸っぱい恋愛に飢えたおじさんたちは暇に違いないわ。
これ以上の醜態を晒すと良い酒の肴にされてしまう気がして、私は表情を引き締めた。
ご飯食べ終わったし、帰りましょう。それが良いわ。そうしましょう。
「クロエちゃん、居た!」
帰ろうかなと思っていた私の耳に、低くて大きい声が突き刺さった。
食堂の扉から騒がしく中に入ってきたのは、まだ日の高いうちに北の魔の山の山頂で別れたばかりのロジュさんだった。
ロジュさんは昼間に見た時と同じ傭兵団の軍服を着ている。
一人きりらしい。他に連れの人はいないようだ。
「錬金術店にお礼に行ったらいなくてさ、近所の人たちが食堂に行ったんじゃないかって教えてくれたんだよ。来て良かった、会えてよかった!」
「ロジュさん、いらっしゃいませ。やかましいですよ」
ずかずかと食堂の中に入ってきて、私の隣の席に座ってにこにこ私を見つめるロジュさんを、ロキシーさんが咎める。
お客さんには基本的に優しいロキシーさんが珍しく怒っている。ロジュさんの大声が余程うるさかったのだろう。
「ロキシーさん! 俺にもビールをください! で、今日は世話になったんで、クロエちゃんとジュリアスの飯代は俺が奢るんで、よろしく」
「え? 良いんですか?」
私もロジュさんのことをうるさいなぁと思ったのだけれど、ご飯を奢ってくれるというので、全面的に許すことにした。
私の横ではジュリアスさんがロジュさんを忌々しそうに睨んでいる。
ジュリアスさんはうるさい人が嫌いなので、ロジュさんのことも嫌いなのだろう。
ロキシーさんはジョッキに入ったビールを、ロジュさんの前に無言で置いた。「ロジュさん、邪魔だわ」と小さく呟く声が聞こえた。
ロジュさんの登場で、先程よりも更に食堂のお客さんたちからの注目を集めてしまっている気がする。皆暇だわ。
「いやぁ、会えて良かった。ちゃんと礼を言おうと思ったのにクロエちゃんたちがさっさと帰っちゃうから、慌てて王都に戻ってきたんだよ」
「それにしても随分早いご帰還ですね。どうやって戻ってきたんです?」
「部下たちが、大怪我を負っていたし、回復魔法も薬草も底を尽いていたから、クロエちゃんにずっと前に作って貰った帰還の鍵を使ったんだ。高かったけど、作っておいて貰って良かった。血塗れだった二人、居ただろ? 二人とも死にかけてたからなぁ」
「回復魔法かけてあげれば良かったですね……、ごめんなさい」
あの時はロジュさんが私を抱きしめたまま離してくれなかったし、ジュリアスさんは私を抱えてヘリオス君に乗ってしまうしで、それどころじゃなかった。
確かにかなりの出血量だった気がする。私は回復魔法を使えたのだから、言ってくれたら良かったのに。
「良いんだよ。俺一人残して先に死にかけるとか部下失格だから、死にかけたら死にかけのまま頑張って貰うぐらいじゃないと。今はちゃんと療養所で休んでる。まぁ、大丈夫だ、生きてるから」
「そうですか……」
ロジュさんは人が良さそうな顔をしている割に、結構部下に厳しいのね。
傭兵団の団長さんなのだから、多少は厳しくないといけないのだろうけれど。
私にはよくわからない世界だわ。私は、ジュリアスさんが怪我をしていたらすぐに治してあげたいと思うもの。
ちらりとジュリアスさんを見ると、不機嫌そうに黙り込んだまま葡萄酒を半分ぐらい飲み干していた。
大丈夫かしら。お酒、強いと良いのだけれど。




