異界の門討伐部隊 3
王都に戻った私たちは、獄卒のケルベロスと戦ったせいで汚れた服を着替えるついでにお風呂に入った。
ジュリアスさんの傷は治療魔法で治したけれど、黒いローブはいろんなところが切れてしまっていた。捨てようとしたらジュリアスさんが嫌がったので、新しいのを買う約束をした。
余程お気に入りらしい。そんなに着心地が良いのかしら。
私は考え直して捨てるのをやめて、切れてしまった箇所を縫い直すことにした。
勿体ないので、私の寝衣にでもしようかと思う。あくまで勿体ないからであって、別にジュリアスさんがそこまで拘る何の変哲もない黒いフリーサイズの男性用ローブの、着心地が気になって仕方なかったわけじゃない。着てみたいなとか思ったわけじゃない。勿体ないからです。
ヘリオス君は王都の外れで指輪の中へと戻った。指輪に戻る前にきゅうきゅう鳴きながら、私の顔に大きな顔を擦り付けてくるのが可愛かった。
私たちは身支度を整えると、中央広場から少し奥にある食堂へと向かった。
今日はもうお仕事は終了したので私は頭の三角巾は外していて、エプロンドレスのエプロンも外している。
そうすると、地味ながらも青い普通のワンピースに見えなくもない。一応いつもの布鞄は肩から下げている。
ジュリアスさんは黒のローブが破れてしまったので、ロバートさんのお店で買ったロバートさんが選んでくれた男性用の普段着に身を包んでいた。
黒いシャツにベスト。体にぴったりした黒いズボンとブーツ。同じく黒い革ベルトを締めていて、帯剣をしている。黒い服を着ているからだろう、金色の髪と、左右目の色が違う瞳、首枷の金の小さな錠前と青い宝石の指輪が良く映えている。ジュリアスさん自身の素材が良いので、全身黒でも重たい印象にならないのだろう。
最近はきちんとご飯を食べているからだろう、髪や肌の艶も出会った時よりも良くなっていて、見目麗しさに拍車をかけている。飾り気のない私が隣に並んで歩いてると、気後れしてしまうぐらいには見栄えが良い。
そんなジュリアスさんは獄卒のケルベロス討伐後から少々機嫌が悪いようだった。
素直にお風呂に入ってくれたし着替えもしてくれたし、食堂に行くことも嫌がらなかったけれど、いつもよりも口数が少ないように思う。
元々ジュリアスさんはよく喋るというほうではないのだけれど、それにしてもご機嫌が斜めな気がする。ジュリアスさんは割と常時ご機嫌斜めだけれど、今日はヘリオス君と空をお散歩できて、それでもいつもよりはご機嫌だった気がするのに。
お腹が空いているのかもしれないわね。
最近豆のスープばかり食べていたし。
私はそんな風に思いながら夕暮れの王都の中心街を、寡黙なジュリアスさんの隣を歩いた。
私もお腹が空いていたし、ヘリオス君に乗って空を飛んだせいか少し疲れていた。飛竜に乗るというのはかなり体力を使うのかもしれない。
街で評判の美人であるロキシーさんの切り盛りする食堂デ・ザンジュは、およそ深夜十一時まで営業している食堂兼飲み屋さんである。人気店だけあって今日も繁盛していて、五つほどあるテーブル席は全て埋まっていて、私達はロキシーさんの正面のカウンター席に並んで座った。
私は基本的に一人で来るのでいつもカウンター席である。カウンター席の一番端っこでもくもくとご飯を食べるのがいつもの私なのだけれど、今日はジュリアスさんを連れてきたのでロキシーさんは元々大きな目をまん丸くして私を見つめた。
「まぁ、クロエちゃん! クロエちゃんが彼氏を連れてくるだなんて初めてじゃない!」
「こんばんは、ロキシーさん」
カウンターの奥のキッチンでお酒を作りながらロキシーさんが大きな声で言った。
ロキシーさんは二十代後半の女性で、黒い髪をお団子にして頭の上でまとめていて、長い睫毛に縁どられた少し垂れ目の薄紫色の瞳、目尻の黒子が妖艶なお姉さんである。紺色のワンピースの上に白いエプロンをつけている。大きめの赤い唇にはいつも明るい笑みを浮かべている。
ロキシーさんは早くに旦那さんを亡くしてしまったらしく、所謂未亡人だ。旦那さんのことがとても好きだったようで、もう二度と結婚しないと言っている。因みに子供はいないらしい。
王都中の男性たちがロキシーさんを狙っているぐらいに綺麗だし、彼氏がいない。
美人に厳しいジュリアスさんの審美眼にもきっと適うだろう。そう思って隣に座っているジュリアスさんをちらりと見たけれど、相変わらず不機嫌そうだった。
「クロエちゃん、誰なの、クロエちゃん! 今までどれ程男に求愛されても気づかないふりをしていたクロエちゃんの心を射止めたその男はいったい誰なの、お姉さんに教えなさい!」
「……ロキシーさん、声が大きいです……」
食堂中にロキシーさんの声が響き渡り、お客さんたちがざわざわしながら私たちに注目しているのを感じる。
私はお店の常連さんだし、ロキシーさんのお店に集まるような戦いが趣味の血気盛んな男性たちの間では割と有名な錬金術師のクロエちゃんなので「クロエちゃんに恋人?」などと小さな声が聞こえたり、視線が突き刺さるのが恥ずかしい。
ジュリアスさんとはそういう関係ではない。かといって大声で「奴隷です!」とも言い辛い。ジュリアスさんの身分について軽率に話すなと言われていたし、なんだかいたたまれない気持ちになった。
「……ええと、ジュリアスさんです。ジュリアスさん、ロキシーさんですよ。美人でしょう?」
「お前に求愛するような物好きがそれほどいるのか?」
ジュリアスさんは私の顔を値踏みするようにじろじろ見ながら、小馬鹿にするように言った。
「いませんよ。食堂に来る男の人たちはロキシーさん目当てですよ。ロキシーさん美人ですから」
実際その通りだし、私はこの三年求愛された記憶なんて無い。
ロキシーさんはカウンターの方に身を乗り出す様にして私に近づき、小さな声で言った。
「クロエちゃん、ジュリアスさんって私がこの間クロエちゃんに教えてあげた、例の、あのジュリアス?」
「そうです、そうですよ。ロキシーさんが教えてくれた、ジュリアスさんです。とっても強くて頼りになるんですよ」
ジュリアスさんが奴隷闘技場のジュリアスさんだと他のお客さんに知られないように、ロキシーさんなりの配慮をしてくれているらしい。
それなら最初から大声を出さないで欲しいのだけれど、仕方ない。
私も小声で返事をすると、ロキシーさんは優しく微笑んだ。
「そうなの、良かったわね。それで、注文は何にしましょうか?」
ロキシーさんはそれ以上ジュリアスさんについて尋ねるのをやめてくれたようで、食堂の女主人の顔に戻って落ち着いた声音で言った。
「ジュリアスさん、何が食べたいですか? 何でも良いですよ、一番高いのでも良いですよ。なんせ今日は私一人じゃ到底手に入らない素材が手に入ったので、お酒も沢山飲んで良いですよ」
私はジュリアスさんの前に、紙に書かれたメニュー表を差し出して見せる。
今日のおすすめは魚介のパスタ。牛頬肉の煮込み。もう少しお安いものだと、内臓のトマト煮込みなんかが美味しい。
「……お前と同じもので良い」
ジュリアスさんは興味がなさそうに言った。
「ジュリアスさん、もっと食事に興味持ちましょうよ。ロキシーさんのご飯、どれもこれも美味しいんですよ。私が作ったご飯なんか不味くて食べられなくなっちゃうぐらいに美味しいんですよ? ほら、この子羊の香草焼きとかどうですか? お魚の方が好きですか? ジュリアスさん、何が好きなんです?」
「お前が作った……、あれは、何だったか。薄いパンに野菜と肉が入っているやつ、あれは美味かったな」
考えるようにしながら、ジュリアスさんは答えてくれる。
それは多分、節約のためにパンの代わりに小麦粉を薄く焼いた生地に、適当な野菜と加工肉を挟んだやつだ。節約料理なのでお恥ずかしい限りです。
「ええと、あ、あの、ありがとうございます……」
料理について褒められたのは初めてだわ。
私は照れてしまって、口ごもった。耳が熱い。どうしてこのタイミングで私の料理を褒めてくれるのかしら、食べている時に褒めたことなんて一度もないのに。
「あらあら……」
ロキシーさんが口元をおさえてにやにやしている。
そういうんじゃないので。そういうのじゃないわよね、私。
ジュリアスさんが私を珍しく褒めたので、吃驚してしまっただけなのよ。うん、多分。
だんだん自信がなくなってきてしまったけれど、――多分、そう。
「そ、それじゃあ、……お肉に、しましょうか。ちゃんとしたお肉、高いので、買わないので……、せっかくなので……、食べます?」
「あぁ、それで良い」
「ロキシーさん、牛頬肉の煮込みを二つ下さいな。あと、私は冷たい紅茶で、ジュリアスさんに何かお酒を出してあげてくださいな」
「分かったわ、任せておいて。クロエちゃんに恋人ができたお祝いに、お姉さん奮発しちゃうわね」
ロキシーさんはぱちりと片目を閉じてウィンクしてみせた。
それは女の私もどきどきしてしまうぐらいの、可愛らしい仕草だった。




