異界の門討伐部隊 1
北の魔の山の山頂は遠目から見ると切り立った山岳に見えるけれど、近づいていくと私のお店のある王都の中央広場がすっぽりと収まりそうなほどに大きく、一面が雪に覆われている。
急降下するヘリオス君の背中の上から、空中に浮かぶ巨大な扉が見える。
扉は長方形で、中央から両開きになっている。扉の上方には苦悩する人の顔が彫刻のように刻まれて、扉自体は人の手や足が折り重なってできているように見える。全体的に薄い白色をしていて、それはまるで人の骨のような色合いだった。
私のお店が縦に二軒は入ってしまうぐらいには巨大な扉である。
開かれた扉の奥の景色はどこまでも真っ黒い深淵が広がっている。目を凝らしても何も見えないけれど、おぞましいほどに強い魔力が感じられて気持ちが悪くなった。
その門の前には、深淵から伸びる鎖に繋がれた三つの首を持った巨大な獣が立ちはだかっている。
獣は門を一回りぐらい小さくした程度の大きさで、二階建ての民家よりもずっと大きい。
凶悪な牙の生えた大きな口、鈍い金色の瞳。顔立ちは狼に似ているが、体に生える長い鬣は途中から大蛇へと姿を変えて一匹一匹が意思を持つようにうねり、爬虫類のものに似た長い尻尾が生えている。
赤紫色の体に、口からは真っ赤な舌がだらりと垂れていて、左側の顔の吐く息は炎に、中央の顔の吐く息は氷に、右側の顔の吐く息は毒霧のように見える。触れてみていないから分からないけれど、恐らくその吐息に触れるだけで無事ではいられないだろう。
三つ頭の獣の体が触れている地面の雪はぐずぐずと溶けて悪臭を放っている。
触れたものを腐敗させているように見えた。
獣の前には雪上に鮮やかな赤を散らす血溜まりの上に二人、人が倒れている。立派な防具を身につけているので、門を閉じるために門番の討伐に来た方達だと思って間違いないだろう。
二人を守るように、体と同じ大きさのありそうな鉄の塊に見える剣を構えている男性の姿がある。彼は空から舞い降りてくるヘリオス君の姿を、驚いたように見上げていた。
「ジュリアスさん、そのまま突っ込んだら危険ですってば……!」
「騒ぐな、うるさい」
一直線に、まるで落雷のようにヘリオス君は三つ頭の魔物に向けて飛び込んでいく。
ヘリオス君に気づいた獣が炎の息を吐くのを軽々と避けながら、三つの頭が生える首元へと落下するように飛んだ。炎に体が炙られるような熱さを感じた。
ジュリアスさんは慧眼のミトラの時もそうだったけれど、相手を倒すことができたら多少の怪我を負うことは構わないような戦い方をする。肉を切らせて骨を断つ、とかいうのかしら。
アリアドネの外套を着ている時なら熱も氷も防げるけれど、今日のジュリアスさんは普段着のローブだし私もいつものエプロンドレスなので、少しでも炎に触れたら体が焼け焦げてしまう。
私は肉を切られたくないので、布鞄から魔力増幅の杖を取り出した。
「三千世界の守護の風!」
片手でジュリアスさんの服を掴みながら杖を胸の前に掲げて詠唱を口にする。
ヘリオス君と私たちを包み込むように風の防護壁ができる。炎の息を弾くたびに、薄緑色に輝く防御壁にぴしりぴしりと歪みができた。
私は治療や守りの魔法は得意なのだけれど、異界の門番の力の前には付け焼き刃なのだろう、あまり長くは持ちそうにない。
ジュリアスさんは両手をヘリオス君から離すと、両腕で持った槍の穂先で炎を吐き出す獣の首を突き刺した。
鬣の蛇が噛みつこうとして口を開き襲いかかってくるのを避けながら、ヘリオス君は舞い上がる。
槍の鋒が獣の首に突き刺さったままヘリオス君が飛び上がったので、切先が真っ直ぐにその首を切り裂いた。
急降下してから数秒もたたない間のことだ。あまりに素早い一撃すぎて、何が起こったのか分からないほどだった。獣の切り裂かれた首から白い骨が見える。どくりどくりと、どろどろとした赤黒いものを、切り裂かれた首から獣は地面へと垂らした。
ヘリオス君は再び上空まで高度を上げる。
獣は飛ぶことができないようで、大きく首をもたげて、氷と毒の吐息を空に向かって撒き散らした。
「……クロエ。吸い込んだら死ぬのか、あれは」
赤黒い液体がこびりついた槍を一振りして液体を払うと、ジュリアスさんは言った。
「死ぬかもです、吸い込んだことがないのでわかりませんが」
「近づけば殺せるが、近づけない。なんとかしろ」
ジュリアスさんは淡々と言った。それはまるで、私なら当然なんとかできるとでも思っているような口ぶりだった。
ジュリアスさんは錬金術師をなんでも屋さんだと思っているに違いないわね。
でも戦えないと思われてぽいっと投げ捨てられるよりは、信頼されている方が嬉しい。
「……なんとかします……!」
氷の礫を軽々とヘリオス君は避けたが、毒霧の中へは飛び込めないのだろう。
低い地響きのような唸り声をあげる獣の上をヘリオス君はぐるりと旋回する。
私は「毒、毒かぁ……」と呟きながら、布鞄の中をごそごそと漁った。
以前作っておいた対猛毒系魔物用浄化錬金物の存在を思い出す。さすが私。天才だわ。そして準備が良い。
「こんなこともあろうかと、猛毒のヒュドラの毒さえ浄化できちゃう錬金物、浄化空間・フローラルの香りを作った甲斐がありました! 聞いてくださいジュリアスさん、この浄化空間・フローラルの香りはですね、ある一定区間の毒を全て浄化しちゃう優れものでして、過去には猛毒のヒュドラの毒に侵された水辺の都マチルダを救ったこともあるという、素晴らしい錬金物で」
「うるさい、話が長い、さっさとしろ」
「わかりましたよぅ」
折角作ったんだから説明したいじゃない。
私はジュリアスさんに怒られたので、渋々手にした透明なピラミッド型の物体を「えいっ」と獣の方へと向かって投げた。
錬金物の使用方法とは単純なもので、大抵が対象に向かって投げつけるだけである。
あとは錬金物が勝手になんとかしてくれる。使い方が難しい錬金物は錬金物である必要性がないと私は常々思っていて、簡単な使用方法で絶大な効果を発揮してこそ、素晴らしくも実用的な錬金物と言えるのである。
「浄化空間・展開!」
発動するための言葉を伝えると、透明な三角形は紫色の毒霧が立ち込める獣の頭上でぐるぐると回り始めた。
瞬く間に手のひら大の透明な三角形の中へと毒霧を吸い込んでいく。視界が晴れ、霧の中に隠れていた獣の姿が現れる。浄化が終わると仄かなフローラルの良い香りがする。こうした気遣いを忘れないところが、クロエちゃんの繊細さなのである。
フローラルの香りがしている間は、浄化空間の浄化能力が毒霧に勝っているという証拠だ。
とはいえものには限度があるので、臨界点を突破する毒を飲み込んでしまった場合、透明なピラミッド型の浄化空間は粉々に砕け散ってしまうので気をつけなくてはいけない。
「毒、なんとかしました! このまま倒しちゃってください、ジュリアスさん」
私の言葉と同時に再びヘリオス君が急降下を始める。
獣が地面を蹴った。体と門を繋いでいる胴体に直接突き刺さった太い鎖と共に、覆い被さろうとしてくる。
ヘリオス君はジュリアスさんの意思を全て理解しているように、獣の剥き出しになった腹の下を低い位置で飛んだ。
羽ばたかないで飛ぶことのできるヘリオス君だからこその低さだろう。地面にぶつかりそうなほどに低い地で飛ぶヘリオス君の上で、ジュリアスさんは槍を天上へと掲げた。
剥き出しの腹が一文字に切り裂かれる。
腐臭と共に飛び散る体液が地面を腐らせていく。
「クロエ、手綱を握っていろ。握っているだけで良い」
ジュリアスさんが言った。
返事をしようとしたけれど、ヘリオス君が急な角度でぐるりと向きを変えたので、返事は小さな悲鳴へと変わった。
「え、うわ……っ!」
風を切る音と共に、ひらりと宙返りしてヘリオス君は飛ぶ方向を変える。世界が一瞬反転したけれど、錬金鞍のおかげか落ちるということはなかった。
氷の礫を避けながら獣の真上まで飛んだヘリオス君の体から、ジュリアスさんはひらりと飛び降りる。
主人の居なくなったヘリオス君の上で、私は慌てて手綱を握りしめる。
ヘリオス君はどういうわけか左右に揺れたりぐるぐると空中で回ったりした。私は「あわわわ」などと言いながら、必死に手綱を掴み鞍にしがみついた。
振り落とそうとしている動きに思えたけれど、ただはしゃいでいるだけのような気がする。「キュイ」と楽しそうな鳴き声がするので、多分はしゃいでいる。そういえばヘリオス君は若いんだった。
若いというか、長命の飛竜の年齢ではヘリオス君はまだ子供だろう。
そんなことをしながらもひっきりなしに氷の礫は飛んでくるし、蛇は顔を伸ばして噛みつこうとしてくるし、爬虫類の尻尾はヘリオス君を叩き落とそうとしてくるのだけれど、ヘリオス君はまるで戯れているかのように軽々と全ての攻撃を避けた。
振り回される私は涙目だ。けれどそんなことよりも飛びおりたジュリアスさんが心配だった。
私の眼下では、ジュリアスさんが獣に飛びのり襲いかかってくる蛇の頭を切り裂きながら、毒を吐く獣の首へと槍の切先を突き刺していた。
低い唸り声と共に首が地面へと沈む。
そのまま最後の首に向かい恐ろしいぐらいの身の軽さで飛び上がる。天高く突き出された刃が、獣の纏う冷気で凍りついた。そのまま武器を振るったら、凍った刃が砕けてしまいそうだ。久遠の金剛石で作った槍なので高いので、それはやめて欲しい。絶対にやめてほしい。
「クロエ!」
ジュリアスさんが再び私の名前を呼んだ。なんとかしろ、ということだろう。
武器が凍ってしまったジュリアスさんに向かって背中の蛇が攻撃を仕掛ける。槍の柄の部分で蛇の頭を捌きながら避けるジュリアスさんの体に、時折攻撃が掠めて傷がつき始めている。
そういえば、ロバートさんは久遠の金剛石で作った武器は魔力に対する感受性が高いと言っていた。
私は何の魔法を詠唱するべきか一瞬迷った。異界の門の門番に対する有効な魔法。
そんなものがーーあったかしら。
「……クロエちゃん、破邪魔法を使え!」
低い男の人の声が、私の名前を呼ぶ。
私は驚きながらも頷いて、呪文を構築するためにジュリアスさんの槍に魔力増幅の杖を向けた。
「熾天使セラフィム、全ての悪しきものに裁きを下せ! 神罰の雷霆!」
破邪魔法は神聖魔法と近しいけれど、神聖魔法の更に上位互換と呼ばれている。
使い道があまりない魔法なので、魔法学の授業で習ったことはあるけれど実際に使用したことは一度もない。
詠唱してみて駄目だったら、神聖魔法を使ってみようと思っていた。
私は魔導師じゃないし、そこまでの魔力量もない。
けれど熾天使セラフィムの名前を口にした途端、ふわりと体が軽くなるのが分かった。
天からひらひらと、白い羽が舞い降りてくる。青空を切り裂いて、凍りついていた槍に雷が一直線に落ちた。
ジュリアスさんの手の中の久遠の金剛石の槍が、真っ白に光る。
魔力増幅の杖とジュリアスさんの持つ槍を交互に見ながら唖然とする私を尻目に、ジュリアスさんは落ち着いた様子で槍を振りかぶると、絡み付こうとする蛇へと一振りした。
蛇の体が内側から光るようにして弾け飛ぶ。ジュリアスさんはそのまま獣の背中を蹴って飛び上がり、残った最後の獣の、氷の頭へと輝く槍を突き刺した。




