納品と違和感 4
十五歳でご両親を亡くして戦場に立ったジュリアスさんは、確かに私とは違う。
私は食事の手を止める。半分食べかけのパンが、お皿の上に取り残されている。
お腹はいっぱいになってしまった。グラスのお水に口をつける。
「……本当に、裏切っていたんですか?」
クラフト公爵が敵国と繋がらなければいけなかった理由が、私には良く分からない。
ジュリアスさんはグラスの中の葡萄酒を、グラスを傾けるようにして揺らした。
「お前と同じだ。調べる手段はないし、調べてもいない。クラフト公爵家の唯一の嫡子だった俺は、皇国の奴隷として生かされた。皇国を裏切らず、国のために働けと皇帝に言われた。戦場に出て、命じられるままに人を殺す。……それが、俺に与えられた役割だった」
「たった十五歳の子供に、酷すぎませんか……?」
「兵も将も足りていなかった。軍を持てる資金力のある貴族は、そもそも戦うことを嫌う。やつらは領地に隠れ、戦場に出るのは金の無い貧民たちの志願兵やら、犯罪者あがりのごろつきばかりだ」
ジュリアスさんの少し低くてやや掠れた声が、静かな食卓に響いた。
後数週間もすれば気温が下がり、雪が降る。冬が来る前の涼しい空気の中、遠く虫の声が聞こえた。
「……そうですね。長く戦争は続いていて、……それでも私の生活はいつもと同じでした。セイグリット公爵家にいたときは、戦争について意識したことはありませんでした」
「そんなものだろう。距離が離れてしまえば遠い世界の話と同じ。対岸の火事に気付く者は少ない。心を痛める者も。……敵も味方も随分と屠った。女も子供も命令であれば。残虐で冷酷な黒太子だと呼ばれはじめたのは、戦場に出てから数年後のことだったか。命じられるまま各地で転戦し、最後は皇帝によって捕らえられてアストリア王国へと売られた」
「そうして、奴隷闘技場で三年間生き延びて、今は私の奴隷になったというわけですね」
「そうだな。思えば俺はずっと誰かの奴隷だった。……自分で自分の立場を選択したことも、しようと思ったこともなかった。……俺とお前は違う。……つまり、……俺はお前のように自分で道を切り開き、何かを考え生きようとはしてこなかった。……言葉が足りなかったな。お前を貶めるつもりの言葉ではなかった」
ジュリアスさんは考えるようにしながら、ぽつりぽつりと言った。
胸の奥があたたかくなる。ジュリアスさんは今日の私の態度を気にしてくれていたのかもしれない。
いつもよりも優しいジュリアスさんが奇妙だ。でも思えばジュリアスさんは偉そうだし皮肉屋だけれど、ずっと優しかったわよね。優しいと言っていいのかどうかわからないけれど、少なくとも無闇に暴力を振るったり怒鳴ったり、そういったことはしない人だった。
「……にやけるな、気持ち悪い」
「ごめんなさい、つい。……あの、ありがとうございます。……でも、ジュリアスさん。私だって今は巷で大人気の美少女天才錬金術師ですけれど、一人きりでお店を持てるようになったわけじゃありません。……三年前、投獄されて路地裏にぽいっとされた後、ぼろぼろだった私を師匠が助けてくれたんですよ」
「師匠?」
「はい。錬金術師の師匠です。半年ぐらい、錬金術を教わりました。このお店も、もともとは師匠のお店だったんですけれど、……私に譲るといって、ある日突然いなくなっちゃったんですよ。いなくなってわかったんですけど、師匠ってば働く気がなくてお店は借金まみれで税金は滞納しまくっていて、立て直すのに一年、黒字になるのに一年かかりました。で、今です」
「何故いなくなったんだ?」
ジュリアスさんは訝しげに聞いた。
私は師匠の顔を思い浮かべる。ナタリア・バートリーという名の私の師匠は、年齢不詳の絶世の美女だ。
艶めく黒髪に妖艶な赤い唇。半分胸の見える衣服に、剥き出しの足。青少年の目の毒になりそうな格好をしている師匠を追いかけていって、ローブを羽織らせるのは私の仕事だった。
路地裏で乱暴されそうになっていた私は師匠に救われて、この錬金術店で一緒に暮らすようになった。
何もできなかった私をひたすらにこき使い、自立させてくれたのは師匠である。いなくなってしまってからは、何回も税務官は来るし借金取りは来るし、家は差し押さえられそうになるし、私は嫌われ者のセイグリット公爵の娘だったし、大変だったのだけれど。
「何故いなくなったのかは、良くわかりません。私は師匠……、ナタリアさんのことは良く知らなくて。でも、助けてくれたから恩人です。ナタリアさんはお店も錬金釜も素材も、私にくれるって言ってました。それで、ふらっといなくなっちゃったんです。まるで最初からそんな人はいなかったみたいにして、お店にも街にもナタリアさんの足跡は残っていなくって。私は幻でも見ていたんじゃないかなって、時々思うんです」
「有名な錬金術師だったんじゃないのか」
「ナタリア・バートリーのことを詳しく知っている人は、いないんですよ。……ナタリアさんは働く気がなくて、滅多に部屋から出ませんでしたし、今では綺麗になっているクロエちゃんのお店ですけれど、最初は廃墟みたいだったんですよ。王都の中心にある謎の廃墟、みたいな存在でした。中にナタリアさんがいることを知っている人は少なかったんじゃないかな」
「……お前がその錬金術師に拾われたのは偶然だろうが、お前が店を繁盛させているのはお前の努力だろう。お前はよくやっている」
「ジュリアスさん、今日はやけに優しいですね。……明日は雪でしょうか」
私は食べかけのパンの乗った皿を、カウンターの奥へとずらした。
もう食べられそうになかったので、もったいないけれど捨ててしまおう。
「お前が何について拗ねていたのかを、一人になって考えていた。……俺は昔から人の気持ちを察することが得意ではなくてな。まともな話し相手はヘリオスぐらいしかいなかった。だから、……クロエ」
名前を呼ばれて、私はジュリアスさんを見つめる。
ジュリアスさんは、何故か少し困っているように見えた。
「俺は、……お前に買われて良かったと思ってる。お前の傍は、居心地が良い。王国に引き渡されたときに抉られた目も、俺の半身だったヘリオスも、お前のおかげで取り戻すことができた。感謝している。……だから、迷うな。俺はお前の側にいる。首輪の契約がある限り、俺はお前のものだ」
「……はい」
ジュリアスさんがとても素直に、私にお礼を言った。
それは時々ジュリアスさんが紡ぐ、明らかに演技の甘い口調の言葉とはまるで違う真摯なもので、私は思わず照れてしまって両手で顔をおさえた。
多分、真っ赤になってしまっている。見られたくない。
これではまるで、私がジュリアスさんのことが好きみたいだ。
そういうんじゃないので、落ち着くのよ私。ジュリアスさんがいつもと真逆の素直さを見せてきたから、吃驚してしまっただけなのよ。私は男には懲りている。恋愛はしないし、信じられるのはお金だけだ。
心の中で深呼吸を数回繰り返した。
「……それに、今日会った小娘。香水と化粧の匂いがきつくて、声も甲高くてうるさかった。あんな者に四六時中纏わりつかれたらと思うと、死にたくなる。お前が早々に俺を買ってくれて良かった。一歩間違えたら俺はあの家にいたのかと思うと、最悪だな」
「ジュリアスさん、エライザさんに優しかったのに、そんなこと考えていたんですか?」
「あれはお前の依頼主だろう。一応は、弁えている。……俺を愛玩動物のように欲しがった時は、縊り殺したくなったが」
「そうなんですか? 私はてっきり、ジュリアスさんはコールドマン家にいたいのかな、と」
ジュリアスさんの言っていることが本当だとしたら、思い込んで不安になったり悲しくなったりした私は、馬鹿みたいじゃない。
ジュリアスさんは私の残していた干し肉サンドの皿を自分の方に引き寄せる。
「だからお前は阿呆なんだ。そんなわけがないだろう。……お前が金目当てで首輪の契約を解いて俺をあの家に売ろうとしたら、お前を抱えてヘリオスを呼び、さっさと逃げ出していた」
「私は連れて行くんですか?」
「当然だ。お前は俺を買った。責任を果たせ」
ジュリアスさんは当然のようにそう言って、私が残していたパンを一口で食べてしまった。
私は一瞬唖然としたけれど、なんだか幸せな気持ちになって、ジュリアスさんを見ていた。
口元が緩む。注意されるかと思ったけれど、ジュリアスさんは何も言わなかった。




