納品と違和感 3
ジュリアスさんに腕を引かれて、私はクロエ錬金術店のある王都の中心広場まで戻ってきた。
ジュリアスさんは無言だったし、私も話しかけなかった。
どうにも今日は調子が狂う日だ。
納品もできてお金も手に入って、良い日な筈なのに。
空は晴れ渡っていて、心地の良い風が吹いている。昼時の中心広場は賑やかで、楽しげに寄り添って歩く若い男女や、親子連れの姿が多く見られた。
天気も良いしお散歩日和だし、ジュリアスさんと外で食事でもしようかと思っていたのだけれど、そんな気になれなくて私はずっと俯いていた。
ジュリアスさんに促されるようにして、私は錬金術店の鍵を開いて家の中に入る。
「お前の情けない顔を見ていると不愉快だ」
私の腕を離したジュリアスさんは、苛立たしげに言った。眉間に深い皺が寄っている。怒っているようだ。
「な、なんですか、それ! 私だってたまには落ち込んだりしちゃうこともあるんですよ! ジュリアスさん、エライザさんにやけに優しかったじゃないですか。コールドマンさんちはお金持ちですし、家も大きいですし、ジュリアスさん私じゃなくてコールドマンさんに買われた方が幸せだったかもしれないですね!」
あぁ、言いたくないことが感情と共に口からあふれてくる。
喧嘩なんてしたくないのに。
ジュリアスさんは困っていた私を見かねて、コールドマンさんの屋敷から連れ出してくれたのに。
私は唇を噛んで俯いた。
「……ごめんなさい。私、今すごく、嫌な女でした」
頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
昔の私と、嫌な思い出と、エライザの言葉と、今の私。全部がごちゃごちゃに混ざっているみたいだ。
『シリル様って優しいんですね、お姉様! 今度私と一緒に遠乗りに行ってくださるんですって。お姉様は馬が怖いから、一緒にいけなくてお可哀想!』
いつかアリザに言われた言葉がぐるぐる頭を回った。私は何も言い返せなかった。
今日も、同じだった。
私は強くなったはずなのに、美少女錬金術師クロエちゃんのはずなのに、あの頃からなにも変わっていない。
「頭を冷やせ、阿呆。傲慢なただの小娘に泣かされるとは、お前はやはり子供だな」
「ジュリアスさんに何がわかるんですか? 私だって、……なんでもありません」
私は言おうとしていた言葉を飲み込んで、錬金部屋へと向かった。
ジュリアスさんは私の後をついてこなかった。
階段を上がる音がする。たぶん部屋へと戻ったのだろう。
何人かのお客さんがやってきて、錬金ランプや護身用錬金物が売れた。
お客さんの相手を終えて、夕方には店を閉めた。
私は錬金部屋で、売れた商品の補充のために錬金釜の前に立って作業を開始した。
けれどまるで集中できずに、失敗作の塵をいくつか作ってしまい、材料を無駄にしてしまった。
材料を無駄にした分赤字になってしまうので、私は作業をやめて長椅子に寝転がった。
「お腹すいたなぁ……」
本当なら食堂にでも行って、久々に豪華な食事をしていたはずなのに。
空腹のせいか、悲しい気持ちになってくる。
「ジュリアスさんのばーか、ばーか」
小さな声で呟いてみる。分かっている、馬鹿なのは私だ。勝手に動揺して、怒って、感情的になって、八つ当たりしてしまった。ジュリアスさんの言う通り、子供じみた態度だった。
でもジュリアスさんだって二階から降りてきてくれたら、仲直りできるかもしれなかったのに。
自分から部屋に戻る勇気が出なくて、私は空腹を誤魔化すために目を閉じた。
錬金のために魔力を使ってしまったし、精神的にも疲れた。睡魔がゆるやかに忍び寄ってくる。
またあの、最低な夢を見るのだわ。
きっとそう。
絶対そう。
でも、自分ではどうしようもない。
私は投獄されていた牢屋から連れ出された。
馬車に乗せられて、王都の薄汚れた路地裏へと放り出された。ドレスは汚れ、体には擦り傷ができた。
繊細な靴のヒールは折れて、薄い絹靴下には穴が空いた。
私は無力だったし、自分の力で立つような勇気もなかった。
「……可哀想に、怯えている」
兵士の一人が言った。
「極悪人のセイグリット公爵の娘だ。同情する必要はない。好きにして良いと、王子からは言われている」
もう一人の兵士が、品のない笑みを浮かべて私に近づいてくる。
私は裸足で転がるように逃げた。長かった髪が掴まれる。激しい痛みとともに、髪がぶちぶちと抜ける音がした。
「いや、いや……!」
叫び声も、助けを呼ぶ声も、誰にも届かない。
私はひとりだ。お母様が死んでしまった日から、ずっとひとりきりだった。
いつの間にか、兵士たちの他にも王都に暮らす庶民なのだろう、強面の男たちが私の周りに集まっていた。皆楽しげで、残酷な笑みを浮かべている。
私は空を見つめる。馬鹿みたいに青くて、綺麗な色をしている。
「……おい。起きろ、クロエ」
はっとして、目を開いた。
私はきょろきょろと辺りを見渡す。いつもの錬金部屋だ。葡萄の形を模して作った錬金ランプに、橙色の光が灯っている。
目尻が暖かい。泣いてしまったことを誤魔化すために、私はごしごしと目を擦った。
ジュリアスさんが私の顔を見下ろしている。私は慌てて長椅子の上で起き上がって、居住まいを正した。
見られてしまっただろうか。あれはただの過去だ。怖かったし、辛かったけれど、もう終わったことだから私は大丈夫なのに、眠ってしまうと心が無防備になってしまうのだろう。時々こうして、泣きながら目覚めることがある。
「……ジュリアスさん、おはようございます」
声が少し掠れた。
ジュリアスさんは溜め息をつくと、腕を引っ張って長椅子から私の体を起こした。
「いつまで拗ねている。夕食を作れ、クロエ。俺は食わなくても問題ないが、お前は食事を摂れ。貧相な体が余計に貧相になる」
「……今何時ですか」
「夜の十時だな」
「……夜九時以降にご飯を食べると、太るってお母様が言っていたので」
「一日一度はヘリオスを飛ばしてやりたい。飛竜に乗るのには体力を使う。食事の量が増えたところで問題はない。それよりもろくに食わずに飛竜に乗る方が問題だ。空腹のせいで飛竜酔いを起こして胃液を吐くことになるぞ」
ジュリアスさんは私の腕を掴んだまま言った。
ジュリアスさんと吐く吐かないの話をするのはこれで二度目だ。私は一応女の子なのだけれど。
「……わかりました。夜食、作りますから一緒に食べましょう。それともジュリアスさん、作ってくれます?」
「……食えないほど不味くても良いなら」
ジュリアスさんは少し考えた後に言った。
私はいつも通りのジュリアスさんの様子にホッとして、くすくす笑った。食べられないほどに不味い料理を作るジュリアスさんが簡単に想像できてしまい、少し面白かった。
ジュリアスさんは口の端に笑みを浮かべると、私の頭を乱暴に撫でた。
寝ていたせいでずり落ちていた三角巾が完全に外れて床に落ちる。髪はぐちゃぐちゃになってしまったし、ちょっと痛かった。
「いたた、何するんですか……、取れちゃったじゃないですか」
私はジュリアスさんの手から逃れて、床に落ちた赤い三角巾を拾った。
それからもうお仕事は終わりなので、外しても良いかと長椅子の上にぽいっと放り投げた。
「お腹が空いたから私を起こしに来たんですね? 待っていてくださいね、ご飯すぐできますから。お腹が空くと眠れませんもんね、嫌なことも考えちゃうし……、よくないですよね」
「お前は見た目は凡庸だが、お前の作る飯は悪くない。食事の提供も奴隷の主の仕事なんだろう?」
「そうですね、そうでした。ご飯作らなくて、ごめんなさい」
私は気合を入れるために自分の頬を軽く叩いた。
それから二階にある調理場兼食卓へと向かった。ジュリアスさんは当たり前のように私の後ろをついてきて、私が干し肉を削いで軽く焼き、パンにソースを塗って野菜を挟むのを、調理場のカウンターに設置してある丸椅子に座って見ていた。
今日のお詫びに特別に葡萄酒をグラスに注いで出してあげると、何も言わずに口をつけた。
ジュリアスさんの所作は、もともとの出自もあるのだろう。とても洗練されている。
私はパンに焼けた干し肉を挟みながら、ジュリアスさんの故郷には私にシリル様がいたように、婚約者の方がいたのかしらと考えていた。
「はい、できましたよ。クロエちゃん特製干し肉サンドです。夜食にしてはちょっと重たいですけど、昼からご飯食べなかったから良いですよね。豆のスープもありますよ」
カウンターの上に、お皿に乗せた干し肉と野菜を挟んだパンを出して、毎日恒例の豆のスープをスープ皿にすくって横に置いた。
「お前は?」
「食べます。食べますよ。ちゃんと自分の分も作りました」
寝る時間なのにご飯を食べるとか背徳的だわ。
でもいつも通りのジュリアスさんと話をしていたら、空腹を強く感じた。
私も自分の分のご飯が乗ったお皿をカウンターに置くと、ジュリアスさんの隣に座った。
ぱくりと、一口パンを齧る。炙った干し肉の旨味と、野菜の爽やかさとパンの香ばしさが口の中に広がった。
私が半分も食べ終えないうちに、数口で干し肉サンドを食べ終えて、豆のスープまで食べ終わったジュリアスさんは、葡萄酒に口をつけながらご飯を食べる私を暫く無言で見ていた。
ジュリアスさんは暇になると良く私を見ているので視線が向けられることには慣れてしまったけれど、ご飯を食べているところを見られるというのは恥ずかしいものだなと思う。
今更マナーも何もないのだろうけれど。昔は、一口づつナイフで切って食べるとか、音を立てないとか、ものすごく気を付けていたのだけれど。
「……俺は十五で公爵家を継いで戦場に出たと言っただろう」
ぽつりと、ジュリアスさんが言う。
私は口の中にパンが入っていたので、もぐもぐしながら軽く頷いた。
「俺の父は、公爵という立場でありながら他国と通じていたという謀反の嫌疑がかけられて投獄されてな。そのまま処刑になった。母は父の後を追うように自死し、残された俺が家督を継いだというわけだ」
ジュリアスさんはどこか他人事のように、訥々と話をした。




