納品と違和感 2
王都の東地区にあるコールドマン商会は、隣国との貿易や鉱山の採掘、宝石の売買によって大きくなった王国で一番大きな大商会である。主人であるマイケル・コールドマンさんは宝石王とも呼ばれていて、王都に流通する宝石の大多数はコールドマン商会によって売買されている。
貴族や王家にも装飾品を多く売っているので、私がセイグリット公爵家にいた時からその名前だけは知っていた。
最近は宝石だけでなく絵画や美術品も扱い始めたので、真実のモノクルが欲しいという依頼だった。
下級貴族の屋敷よりもずっと大きい敷地の奥に聳え立っている、コールドマンさんの屋敷を訪れた私とジュリアスさんは、使用人の方の案内で中に通された。
大きなホールを抜けて、一階の奥の部屋に通される。
コールドマンさんの執務室のようだった。大きな机と、ソファセット。宝石王の名にふさわしく、硝子ケースには金や宝石で作られた豪奢な首飾りやティアラなどが飾られている。
コールドマンさんは商人らしい笑顔と愛想の良さで私たちを出迎えてくれた。
大商人故に情報通なコールドマンさんはジュリアスさんのことは知っているのだろう、私の背後で静かにしているジュリアスさんをチラリと一瞥したけれど特に何も言わなかった。
私のお父様と同じ年齢ぐらいに見える恰幅の良い紳士であるコールドマンさんに、私は依頼の品を渡した。
「少し遅くなってしまいました。材料を手に入れるのが困難で。真実のモノクルは眼鏡のようにかけていただいて、対象の商品を見るとそれが贋作だった場合、絵画は破れ、陶器は破損し、宝石は石ころの姿で見えます。例えばこちら、お持ちしたダイヤモンドを模したただの硝子の指輪ですが、見てみてください」
コールドマンさんに、私は錬金物の使い方を説明する。
眼鏡をかけていただいて、持参した硝子の指輪を見てもらう。コールドマンさんは「おぉ」と感嘆の溜息をついた。
おそらく石ころのついた指輪に見えているのだろう。
「流石は腕利きだと評判の錬金術師、クロエさんだ。かつてセイグリット家の御令嬢だった時代は、あまり目立たず地味で大人しい方だという印象でしたが、今の方がずっと溌剌としていて美しい。私の息子の嫁に欲しいぐらいですな。随分とご苦労をされましたね」
コールドマンさんはセイグリット家にも出入りしていたのだろう。
継母やアリザが来てからの私は、もともとあまり活発な方ではなかったのだけれど、尚更目立たないように大人しくしていた。誰にも邪魔だと思われないように、息を潜めて生きていた。
コールドマンさんの私への印象は正しいけれど、ちくりと胸が痛んだ。
私は商売をしにきたのであって昔話をしに来た訳では無いので、顔にお仕事用の笑顔を貼り付ける。
「コールドマンさんの息子さんはもうご結婚をされているでしょう? 商会を継ぐ次期当主として有望だと街では評判ですよ。商売の役に立つ道具もご依頼があればお作りしますので、何かあればまたよろしくお願いします」
私の背後でジュリアスさんが静かに腕を組んで立っている。
あまり良い態度ではない。苛々しているのが背後から雰囲気で伝わってくる。
会話が長引くと尚更態度が悪くなりそうだったので、私は早々に話を切り上げた。
コールドマンさんは、一万ゴールドを十ずつ分けた貨幣の束を、五束皮袋に入れた。
商品を渡し、代金の入った袋を受け取る。私は袋の中身を確認し、布鞄に入れた。きっちり五十万ゴールド入っている。問題はなさそうだ。
短い商談を終えてお金を受け取ったので、さて帰ろうかとした時のことだった。
部屋の扉が慌ただしく開いた。
「お父様! 街で評判の錬金術師の方が来ているのだとか! まぁ、随分と素敵な方ですのね、こんにちは!」
華やかな薄紅色のドレスに身を包んだ可愛らしいご令嬢が、部屋の中へと入ってくる。
コールドマンさんによく似たミルクティー色の髪の毛はよく手入れされていて、艶々と輝いている。手入れを怠ってややパサついている私の髪とは大違いだ。
煌びやかな宝石があしらわれた繊細な金の頭飾りをつけていて、少女が動くたびにきらきらと光った。
髪も肌も、爪の先まで美しく磨かれている、まさに御令嬢といった様相の少女だった。
私よりも少し年下だろうか。好奇心に見開かれた薄緑色の瞳が愛らしい。ぷっくりと膨らんだ唇には、桃色の紅をさしている。そういえばお化粧もずっとしていないわね。
美少女錬金術師クロエちゃんは化粧なんてしなくても可愛いのだけれど、久々に本物の御令嬢と会ってしまったせいかなんとなく気になった。
「私、エライザ・コールドマンですわ! 初めまして、素敵な方」
恐らくコールドマンさんの娘さんなのだろう。
エライザは私ではなく、ジュリアスさんに向かって挨拶した。
ジュリアスさんは見た目だけは良いので、若い娘さんが一目惚れしてしまっても無理はない。エライザはジュリアスさんに夢中のようだった。
恋する乙女のように瞳が潤み、頬が紅潮している。
けれどきっとすぐにジュリアスさんに対して抱いてしまった恋心は儚く砕け散るに違いない。
罪深いジュリアスさんだわ。私を投げ飛ばしたり、阿呆だと罵ったり、飛竜にしか愛情を抱けない人じゃ無ければ、素敵な人なのに。
「初めまして、美しいお嬢さん」
ジュリアスさんが何か酷いことを言うのではないかとどきどきしながら見守っていた私の耳に入ってきたのは、信じられない言葉だった。
ジュリアスさんは綺麗な笑顔を浮かべて、紳士的にエライザに挨拶を返した。
美しい、お嬢さん。
私の聞き間違えじゃなければ、ジュリアスさんはそう言った。どうしちゃったのかしら。
確かにエライザは美しい御令嬢だけれど。ジュリアスさんの厳しい審美眼を満たしたのかしら。やっぱりドレスを着ているしきちんと手入れをしているし。
「まぁ、ありがとうございます! 錬金術師というのだから、おじいさんを想像していたのですけれど、こんな素敵な男性だなんて思いませんでしたわ」
「エライザ、錬金術師はこちらのクロエさんだよ。そちらは、……護衛の方かな」
コールドマンさんが娘を窘めるように言う。
それから私に確認するように続けた。
「そちらは奴隷闘技場にいた、ジュリアス君だね。売りに出されていたというから、我が商会で護衛騎士にでもなってもらおうと思って買いに行ったら、若いお嬢さんが先に買って行ったと言われてしまって。クロエさん、君が買ったんだね」
「ええ。こちらはジュリアスさんです。私が買いました。錬金をするための素材集めでは、強力な魔物の討伐が不可欠ですから。真実のモノクルの素材集めも、ジュリアスさんがいてくれたからできたんですよ」
コールドマンさんはジュリアスさんのことを知っているので、隠す必要はないだろう。
私は正直に話した。
エライザはジュリアスさんの腕に自分の腕を絡めるようにしてくっついた。なかなか大胆で命知らずなお嬢さんだわ。ジュリアスさんは怒るかと思ったけれど、エライザを一瞥しただけで大人しくしていた。
「そうなんですの? クロエさんが先に買わなければ、ジュリアスさんは私の家の護衛になっていましたのね? 今からでも遅くはありませんわ、クロエさん、ジュリアスさんを売ってくださいまし」
「え、ええと……?」
エライザは真っ直ぐ私を見て、当然の権利を主張するかのように言った。
私はエライザとコールドマンさんの顔を順番に眺める。エライザは挑発的な眼差しを私に向けていて、コールドマンさんは娘の発言を咎める様子はない。
最後にジュリアスさんの顔を見上げると、何を考えているのかよくわからない静かな瞳と目があった。
ジュリアスさんはコールドマン家の護衛騎士になりたいのかしら。
確かに私よりもお金持ちだし、敷地も広いしヘリオス君が放し飼いできそう。エライザも可愛いし、ゆくゆくはエライザと結婚するかもしれなくて、生活に不自由はなさそう。
よくわからないわ。私は、ジュリアスさんを売るべきなの?
「あの、でも、ジュリアスさんには総額一千万ゴールドかかっているので……」
どうしよう、どうしようと思いながら、私は小さな声で言った。
継母とアリザが公爵家に来た日、セイグリット家での私の居場所は無くなってしまった。ドレスも宝石も何もかも、アリザが「お姉様が可哀想だから買ってあげてくださいな」とお願いするから、私にもついでのように買い与えられるようになった。
学園でも、シリル様の側にはいつの間にかアリザがいた。お友達が私を妹に婚約者を取られてしまっているのに何もしない臆病者だと嘲っていたことを知っていたけれど、私は何も言わずにただ愛想笑いを浮かべていた。
嫌なことばかり思い出してしまう。
喉の奥がひりついた。ジュリアスさんを私は、お金で買ったというだけなのに、奪われようとしていることに対して激しい拒否感を感じている。
ねぇ、クロエ。大切なのは、信じられるのはお金だけなのよ。
だから、人や物に執着するのは良くないわ。
人は裏切るし、物は奪われてしまうのだから。
「倍出しても良いよ、クロエさん。なにせ彼は黒太子ジュリアス。一人で一国を落とせるとまで謳われた、将なのだし、娘もたいそう気に入ったようだからね」
「……あの、でも」
「……商談は終わったんだろう。帰るぞ、クロエ」
なんと答えて良いのかわからずに困り果てていると、腕に絡みついていたエライザの手をそっと退けて、ジュリアスさんが私の腕を掴んだ。
エライザに対する扱いとはまるで違う、乱暴な仕草だった。
「は、はい、終わりましたので、これで……! ジュリアスさんはクロエ錬金術店の商品ではないので、買うなら錬金物でお願いします!」
私は痛いぐらいに腕を掴まれて我に返り、いつも通りの笑顔を浮かべてはきはきとご挨拶をすると、ジュリアスさんに引きずられるようにしてコールドマン家を後にした。




