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【書籍化】捨てられ令嬢は錬金術師になりました。稼いだお金で元敵国の将を購入します。  作者: 束原ミヤコ
捨てられ令嬢は奴隷剣士を購入します。

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北の魔の山と魔法の使えないジュリアスさん 4


 慧眼のミトラの熱線によって、ジュリアスさんの目の下あたりと、長さの違う髪の毛の一部が焼かれて焦げている。慧眼のミトラは私たちを弄ぶように高さを変えながらふわふわと浮かんでいる。

 連なる沢山の眼球の下に生えている黄色く長く細い視神経のような紐状のものが、慧眼のミトラが動くたびに尾ひれのようにひらひらと揺れた。


「ジュリアスさん、慧眼のミトラの本体は中身の女神像みたいなやつですよ! 攻撃する前に私の話を聞いてくれたら怪我しなくてすんだのに、投げ飛ばすから……!」


「黙れ、クロエ。大人しくしていろ」


 ジュリアスさんは苛立たし気に言った。取り付く島もないというのはまさにこのことだろう。


「ジュリアスさん魔物にあんまり詳しくないんですから、討伐経験のある先輩の! 私の! 言うことを聞いて下さいよ!」


 一瞬怯んだ私。何にも言わずにジュリアスさんが傷だらけになるのを岩陰に隠れて見守って居ようかしらと思ったけれど、考え直した。そうしたいのは山々だけれど、慧眼のミトラの本当の厄介さは一人での討伐が難しいと言うところにあるのだ。逆に言えば二人でなら案外容易に倒すことができるのである。

 私は壁際から起き上がると、ジュリアスさんから少し離れた場所へと並んだ。

 あんまり近づきすぎると剣で切られそうだったので、適切な距離感を保っている。おかしいわね、私はご主人様なのになんでこんなに遠慮してるのかしら。


「叩き切ればいつかは死ぬ」


 ジュリアスさんは邪魔をするなと言わんばかりの口ぶりだ。

 実際そう思っているのだろう。ジュリアスさんの中では私は戦えないことになっている。どういうわけか。

 確かに切り付け続ければジュリアスさんの事だからいつか倒せてしまうだろうけれど、無駄な労働を強いる程労働環境を悪くするつもりはない。そもそもジュリアスさんには既に私のベッドを奪われているのだし、お気に入りのベッドを提供してあげるご主人様とか、労働環境的にはとても良い職場ではないのだろうか。


「それは真理ですね! じゃなくて、いらない苦労をしなくて良いので……! ジュリアスさんを購入したのは魔物を討伐してもらうためですけど、私はなんにも手伝わないなんて言ってないですし、高みの見物を決め込んで、働きなさい奴隷! とか言うほど極悪非道なご主人様じゃないですし!」


 私は腰の皮ベルトに差していた魔力増幅の杖を右手に持って慧眼のミトラへと向ける。

 魔力増幅の杖の長さは大体万年筆ぐらいの大きさで、杖の先には拳大のルーペのようなものがついている。つまり、見た目で言えば完全に大きめの虫眼鏡である。

 先端にあるのは拡大硝子ではなくて、魔石と呼ばれる魔力に対する感受性の高い石を精製したものである。杖を通して魔法を使うと威力があがるという単純な造りだ。

 私は魔法を主に使って戦う訳じゃないので、杖は安物である。値段が高かろうが安かろうが効果は同じなので、壊れても良いように一番安いものをロバートさんの店で購入している。

 ちなみに毎回ロバートさんは一番高いやつをすすめてくる。商売人である。


「ジュリアスさんは総額一千万ゴールドの男なんですよ、もっと体を大切に戦ってください! 命を大事にです!」


「俺が死にたがっているように見えるのか?」


「見えませんけど、生命力に満ち溢れてますけど、でもジュリアスさんの損失は、つまるところ一千万ゴールドの損失なんですからね! ご理解を、ご理解をお願いします!」


「お前は……、小うるさい阿呆だな」


 ジュリアスさんは私をちらりと一瞥すると、一瞬唇の端を吊り上げて笑ったような気がした。

 目の錯覚かもしれない。うん、目の錯覚だわ。そんな気がしただけで、ジュリアスさんの横顔は相変わらず不機嫌そうだもの。


「――それで、どうする。無闇に切り込むのは命を大事にしていないんだろう?」


「そうなんです、そうなんですよジュリアスさん。慧眼のミトラは攻撃を受けた時だけ、本体を現します。だから、外側を攻撃しながら内側を叩かなきゃ駄目なんですよ。ですので、私が魔法と錬金物で攻撃を仕掛けますので、ジュリアスさんは中身をやっちゃってください! 私はミトラに近づくと気持ち悪くなっちゃうので、遠距離でなんとか、遠距離でなんとか手伝いますので!」


「分かった。さっさと殺るぞ。……ヘリオスが待っている」


 ジュリアスさんが心なしか嬉しそうに言う。

 そうよね、ヘリオス君がジュリアスさんの帰りを待っているものね。慧眼のミトラを倒せば、今回の探索の目的は達成される。あとは帰るだけだ。私はジュリアスさんに投げ飛ばされ続けたせいで埃っぽい。はやくお風呂に入りたい。


「炎の乱舞、炎嵐獄!」


 私は魔力増幅の杖に向けて魔力を込める。短い詠唱と共に、慧眼のミトラの周囲に蛇の形をした炎が纏わりつく。私の使えるのは中級ぐらいの魔法までだ。力のある魔導士なら魔法だけで慧眼のミトラを倒すことができるだろうけれど、私の魔法にそこまでの威力はない。

 慧眼のミトラはぐるぐると目玉を回した。

 再び体が割けはじめ、中の女神像が姿を現す。

 視神経のような黄色い管が、私の炎を絡めとるようにして掻き消した。私はすかさず鞄から手のひらぐらいの大きさの赤い水晶の薔薇を取り出す。


「束縛の茨ちゃん、あの気持ち悪いのをやっちゃって!」


 勿論、水晶の薔薇は錬金物である。

 慧眼のミトラに向かって薔薇を放り投げると、水晶の薔薇から長い茨の蔦が伸びた。慧眼のミトラの瞳に長い棘を突き刺しながら纏わりつく。

 慧眼のミトラは苦し気に左右に激しく揺れる。

 再び体が二つに割けて、中の女神像が叫び声をあげようとする。

 私が話しかける前に、私の隣にジュリアスさんの姿はもう無かった。視線を巡らせると、ジュリアスさんはいつの間にか私の真向かい、慧眼のミトラを背にするようにして立っている。

 攻撃をするなら今だと叫ぼうとしたけれど、気味の悪い断末魔と共に慧眼のミトラの中央にある女神像に亀裂が走る。ばらばらと砕け散る女神像を、私は呆然とみつめた。

 ジュリアスさんが慧眼のミトラにいつ切りかかったのか、全く分からなかった。けれど女神像は砕けたのだから、きっと切り伏せたのだろう。

 塵のようにするりと消えていくミトラの前で、ジュリアスさんは剣を鞘に納めた。金色の髪が、さらりと揺れる。

 なんてことだ。

 ――ちょっとだけ、格好良いと思ってしまった。


「ジュリアスさん……! なんてお強いジュリアスさん!」


「弱点を晒している相手など容易に殺せるだろう、誰でも。お前ひとりでも倒せたんじゃないか?」


 ジュリアスさんを褒めながら、私はミトラの落した素材を拾い集める。

 黒く濁った気味の悪い眼球の形をしているミトラの瞳を手に入れることが出来たので、これで依頼の錬金物を作ることができる。

 ジュリアスさんは私の隣へと戻ってきた。なんだか今、褒められたような気がしたけれど、気のせいかしら。


「……あの、私は、駄目なんですよ。慧眼のミトラみたいな、全身から魔力を噴き出してる相手は近づくと私の魔力と反発し合ってしまって、気持ち悪くなっちゃうんですよ。だから、本体を倒そうとすると多分吐きます」


「吐くのか」


「吐きますね。吐きながら倒せなくもないんですけど、辛いです」


「……そうだな」


 ジュリアスさんは珍しく皮肉を言わなかった。

 吐きながら慧眼のミトラを倒そうとする私を想像して、可哀想だと思ってくれたのかもしれない。


「ジュリアスさんが魔生物系魔物に近づいても大丈夫な方で、安心しました」


「よく分からないが、魔生物系魔物に近づくと魔力を持っている人間は皆、吐くのか?」


 難しい顔をしてジュリアスさんが尋ねる。

 ジュリアスさんの手は、首の後ろ側にある奴隷の刻印へと触れていた。

 角の二本ある動物の骸骨の紋様の刻印によって、ジュリアスさんの魔力は封じられている。

 刻印が無ければジュリアスさんも吐いていたのだろうか。

 ジュリアスさんのことだから根性でなんとかしそうだわ。


「個人差があるみたいですけど、私は駄目なんですよね。魔物が持ってる瘴気とか、どす黒い魔力とか、敏感な方で。昔は知らなかったんですけど。……昔は、魔物と戦う事もなければ近づくことも無かったんですけどね」


「……そういうものか」


 ジュリアスさんから聞いてきた癖に、興味のなさそうな相槌をされた。

 けれど私はもうジュリアスさんには慣れているので特に腹を立てることも無く、慧眼のミトラの熱線によって焼け爛れているジュリアスさんの目の下あたりに手を翳した。


「大いなる治療の雫、天の福音」


 手のひらが薄く光って、ジュリアスさんの傷を癒した。

 治療魔法は攻撃魔法よりは得意である。何かの時の為にと、通っていた学園でも治療魔法については積極的に教えてくれた。成績は良い方だったと思う。

 大人しくて真面目だったのよね私。昔の私だったら、ジュリアスさんとこんなに気軽には話せなかったわね、怖くて。


「もう良いのか、クロエ。帰るぞ」


「はい、帰りましょう! 上出来も良いところの成果です、ジュリアスさん、ありがとうございます!」


 治療魔法をかけられたことに、ジュリアスさんは怒らなかった。

 そういえば、お風呂に入れた時も義眼を嵌められたときもジュリアスさんは大人しかったわよね。

 案外普通の人なのかもしれない。

 でもできることなら、私を投げ飛ばすのはやめて欲しいわよね。

 そんな事を考えながら、来た道を戻るジュリアスさんを私は追いかけた。

 どんどん先に進むジュリアスさんが道に迷いそうだったので、道標の光玉の行き先を山頂ではなく洞窟出口に変更するのを忘れない私は、本当に良いご主人様だと思う。



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