北の魔の山と魔法の使えないジュリアスさん 1
私とジュリアスさんは北の魔の山の入り口にたどり着いた。
その名の通り王国の最北端にある切り立った山脈の連なる山で、温暖な王都とは違い山頂には雪が積もっていて寒々しい。入り口は洞窟になっており、洞窟を抜けると山頂に抜けられる作りである。
昔は鉱山だったために洞窟が縦横無尽に掘り尽くされているけれど、今は捨て置かれていて魔物たちの住処になっている。
「私、寝ちゃったのによく辿り着きましたね、ジュリアスさん。迷子になりませんでした?」
「昨日地図を見ていただろう。王都からまっすぐ北だ。間違える方が難しい」
「ジュリアスさん私が地図を見てる間寝てたじゃないですか。私のベッドで。ベッド返してください」
「嫌だ」
ヘリオス君は音もなく静かに洞窟の前に降り立った。
ばさばさとうるさい飛竜トラベルの飛竜に比べて、ヘリオス君の飛び方は洗練されている。
ヘリオス君の首を軽く撫でた後に、ジュリアスさんは正面に抱きかかえていた私を残して先に自分だけ降りた。颯爽と飛び降りて軽々と着地するジュリアスさんに置いていかれた私は、悪戦苦闘しながらずるずる滑り落ちるようにジュリアスさんの横に落ちた。降りたのではない、落ちた。
そんな私の様子を見てジュリアスさんは鼻で笑った。
別にジュリアスさんに手を差し伸べられて起こしてもらいたい訳じゃない。もうご身分の高いご令嬢ではないのだし、スカートの下にドロワーズをちゃんと穿いている私はスカートが乱れることなど気にしたりしないのだ。
私は滑り落ちてしまったせいで汚れたスカートを払いながら起き上がった。
ヘリオス君が心配そうに、私をひやりとした鱗に覆われた硬い口先でツンツンした。
とても可愛い。私もヘリオス君を嫁に欲しい。
「よーしよし、お利口ねぇ」
「ヘリオスは人の言葉を完璧に理解している、賢い飛竜だ」
広い額をポンポン叩きながらヘリオス君を褒めると、何故かジュリアスさんが得意げだった。
これはなんといえば良いのかしら。親馬鹿?
いえ、ヘリオス君は嫁なので嫁馬鹿かしら。
「ジュリアスさん、ヘリオス君はどうしますか? つないでおきます? 指輪に収納することもできますけど」
「この辺りは小型の魔物は多いのか?」
「魔の山はその名の通り魔物がたくさんいる山ですけど、この先にある平原は人は少なくて弱い魔物が沢山いますね。大した素材にならないので、私はあんまり行きません」
「そうか。ヘリオス、暫く自由にしていろ。遠くにいくなよ」
ヘリオス君は「きゅい」と鳴いて、軽く助走をつけると平原の方へと飛んでいった。
やっぱりとても静かな飛び方だった。そして可愛い。ジュリアスさんみたいな性格の捻れた人が素直な可愛いヘリオス君を育てたとか、奇跡なのではないかしら。良い子に育って良かった。
「あぁ、そういえば頭撫でちゃ駄目なんでしたね。可愛いからつい撫でちゃいました。うっかりしててごめんなさい」
不用意に触ると腕をもぎ取られると言われたんだったわ。
私はジュリアスさんを見上げて謝った。ジュリアスさんは眉間に皺を寄せた。謝ったんだから怒らなくても。
「……ヘリオスは、俺以外に懐かない。だが、お前の指輪のお陰で俺の元へ戻ってこれたと理解しているようだ。自分から頭を差し出していた。別に触っても構わない」
「良いんですか?」
「あぁ」
「やった!」
ご主人の許可が出たわ。
次から遠慮なく撫でさせてもらおう。
私は広い平野の空を遊ぶように旋回しているヘリオス君の黒い体を見上げた。
私は二人にエンゲージリング職人として認められたらしい。私の作った指輪はちょう高級品なので、認められて良かった。ただ働きした甲斐があったわ。ヘリオス君の可愛さプライスレス。
「ヘリオス君はご飯を食べに行ったんですか?」
「あぁ。中型程度の魔物までなら一飲みにできる。お前は指輪にヘリオスを入れると先程言っていたが、食事などはどうなるんだ?」
そこ、気になっちゃう感じ?
大切なヘリオス君のことだもの。気になるわよね、それは。
「指輪の宝石の中に収納するんですけど、ヘリオス君の方が大きいし生き物なので、そのままってわけにはいきません。極限まで質量を縮めて、生命固定の効果で一時的な冬眠状態にするって感じですね」
「問題はないのか?」
「ありません。指輪に収納した分いつまでも若いままでいられますよ。その分自由を奪うことになりますけど」
私たちは話しながら洞窟に足を踏み入れる。
真っ暗で、寒い。鉱山の名残のつるはしや、スコップなどの備品が入口には放置されている。
私は鞄の中から道標の光玉を取り出すと、「山頂まで案内して」と命じた。黒い手のひら大の球体が輝き、洞窟を照らす。それは妖精かなにかのように、ふわふわと浮き上がった。
「自由を奪う……」
ジュリアスさんが低い声で言った。
ジュリアスさんが何かに引っかかったようなので、私は補足してあげることにした。
「あくまでも、指輪に収納した時だけです。クロエちゃんの錬金術店にはヘリオス君を飼えるほどの敷地がないので、応急処置ですよ。……郊外に広いお庭の邸宅とかがあれば別ですけど」
「戻り次第購入しろ」
「ジュリアスさん私をお金持ちだと思ってます? 良いですかジュリアスさん。私は罪人の娘で、お金も家もなかったんですよ、三年前は。そんなに資金力はありませんて」
「儲かるんだろ、錬金術とやらは」
「儲かりますけど、貴族のように、とまではいきませんよ。……あ。今もしかして悪いこと考えませんでした?」
ジュリアスさんは何かを考えるように口元に手を当てた。
それにしても寒い。私は鞄の中から厚手の深い赤色のマントを取り出して羽織る。ジュリアスさんの装備は気温の変化に対応する機能もあるため平然としている。格差社会だわ。
「お前は……、……お前の状況から察するに、アストリア第一王子と、妹とやらに嵌められたんだろう?」
「さぁ、知りませんよ。私のお父様が本当にろくでなしの犯罪者だったのかもしれないじゃないですか。セイグリット家はお取り潰しになっちゃったし、家も壊されちゃいました。領民の皆さんが怒って、焼き討ちしたようですね。セイグリット家の領地は王家の預かりになったみたいだし、今となっては調べる手段はありません」
私は肩をすくめる。
「知りたいとも思いませんけど」
「クロエ。お前には復讐をする権利がある」
「だから、復讐とかしませんて。そもそも何のために私を王都に捨てる必要があるんですか、……ジュリアスさん」
私はこほんと咳払いして、声音を変えた。
「……私、大人しくて気の弱い、女でしたのよ?」
かつて使っていた言葉遣いで伝えると、ジュリアスさんは物凄く不愉快そうな顔をした。
それからどういうわけか、徐に私の頭を小突いた。意味がわからない。急な暴力、駄目、絶対。
「いたた、何するんですか、ジュリアスさん私女の子なんですよ、か弱いんですよ、ジュリアスさん力強いんですから、頭とか叩いたら頭がもげちゃうかもしれないじゃないですか」
「その言葉遣いは似合わない。虫唾が走るからやめろ」
「酷すぎる……」
なんて横暴なのかしら。言葉遣い一つでご機嫌斜めになっちゃうとか、ジュリアスさんそれでも二十五歳の立派な大人なのかしら。私より年上だとは思えないわ。
「……真面目に話を聞いてくださいよ」
「俺がふざけているように見えるのか?」
「見えませんけど。ジュリアスさんが聞いていないようでちゃんと話を聞いてるタイプだってわかってますよ、私は」
「クロエ。お前の妹とやらは、お前を恨んでいたんじゃないのか」
「アリザちゃんは良い子でしたよ。時々よくわからない嘘はついてましたけど……、でも、お姉様は可哀想ってよく庇ってくれてました」
私は嘘をついた。
アリザは私のことを嫌っていたと思う。嫌っていたのか、哀れんでいたのか、恨んでいたのか。
よく分からないけれどーー私は今でもあの子が怖い。
できることならもう関わりたくない。私は錬金術師として、お金を稼ぎながら健やかに生きていくつもりなのだ。もう王家とか、貴族とか、男女の色々とかには関わりたくない。
「お前は阿呆だな」
「ジュリアスさん、なんで私の事情をそんなに聞きたがるんですか。私のこと気になっちゃう感じですか?」
「あぁ。気になる」
私は言葉に詰まった。
何その急に、距離を詰めてくる感じ。でも絶対恋愛感情とかではないわ。怪しい。とても、怪しい。
「……私の復讐を名目にして、アストリア王家を簒奪して王城でヘリオス君を飼うつもりですね」
「セイグリット家の汚名をそそいで、セイグリット公爵家の領地を取り戻す、でも良い」
「やっぱり悪いこと考えてた。どんだけヘリオス君が好きなんですか、それ絶対私のためじゃないじゃないですか」
「お前のために復讐をしてやるついでだ。あくまでも。……クロエ、俺はお前の無念を晴らしたい。お前には感謝している。恩を返したいと思っている。俺の大切なクロエが傷ついたままでいるのは許せない」
ジュリアスさんは少し考えた後、とても甘ったるい声でいった。
色の違う美しい瞳が、熱心に私を見つめている。
町娘ならころっと落ちてしまうぐらいに素敵だった。
「……気持ち悪い、やめてくださいよ」
私は溜息をついた。ぞわぞわした腕をさすった。
ジュリアスさんも嘆息すると「そうだな」と小さな声で言った。わかってるんならやめてほしい。




