◆52 チートはないけど幸せ
「今日はホットケーキが食べたい」
ブリジットはベッドから起き上がると、呟いた。
「ホットケーキ? クレープにして、昨日の残りのミートを巻こうよ。リーフとチーズを入れたら旨そうだ」
隣で熟睡していたはずのキースがクレープ案を出してくる。ブリジットは目をつぶって、もごもご言っているキースの頬にキスをした。
「おはよう。却下よ。今日はクリームたっぷりのホットケーキの気分なの」
「ふうん?」
まだ完全覚醒していないキースは適当な返事をしてくる。昨日は遅くまで魔道具を弄っていたようだったので、眠いのだろう。
とにかくホットケーキだとブリジットが心に決めていると、ノックもなく扉が大きく開かれた。
何事かと扉の方を見れば、今日も元気な長女がいる。この子は何時に起きたのだろう。すでに着替えを済ませている。
「おかあさーん! これ、わたしが貰っていいよね!?」
五歳になった娘は、小さな手にロッドを持っていた。
紫色の水晶と柄にカラフルな宝石が施されたロッド。
子供の手にあると、おもちゃのように見える。
あの闇の精霊との対峙の時に使った、微妙なロッドだ。
ブリジットが使えたのは本当に一度だけ。あの後もうんともすんとも言わず、誰も使えないからとリンフォードがブリジットに下げ渡したのだ。貰っても仕方がないから、王家で保存しておいてほしいと言ったのに。精霊に関わるものだから、精霊の森に置いておけと押し付けられた。
「どこから見つけてきたのよ、それ」
「お父さんのガラクタ倉庫から」
ガラクタ倉庫とは過去のいとし子たちが集めた魔道具の保管場所。ほとんど使われておらず、今はキースのおもちゃとなっている。彼は解体して魔法陣を読み取り、今の時代に合わせた魔道具になるように再設計しているのだ。
「危ないから、一人で入ったらダメだと言ったでしょう?」
「一人じゃないもん。プラムもいたもん。それにわたしは結界使えるのよ。だから大丈夫」
ああいえば、こういう。
ブリジットは口が達者な娘に苦笑した。誰に似たのか、この娘は放っておいても一人で大騒ぎだ。
娘はブリジットと違って、色々なことができる。キースだけでなく、聖騎士団の騎士たちやリンフォードの部下たちが面白がって色々と教えてしまうのもいけないのだろう。
「怪我をしたら大変でしょう? それに私たちにとってガラクタでもお父さんにとっては宝箱なの。壊してしまったら、お父さんが泣くわよ」
「あー、うん。ごめんなさい」
キースが泣いたところなど見たことがないのだが、何故か、お父さんが泣くというフレーズがあるとすぐに態度を改める。どうしたことかと思いつつも、便利なので理由は追及しない。
「それよりも、これ! キラキラした綺麗な宝石が付いているの。貰っていいでしょう?」
「いいわよ」
ブリジットが持っていても使うところがない。
娘が欲しいというのなら渡してしまえ、という気持ちで頷いた。だが、それにキースが待ったをかける。寝ぼけた顔をしながらも、しっかりと話を聞いていたようだ。
「それ、あのロッドだろう? 渡してしまっていいのか?」
「問題ないでしょう。どちらにしろ、この精霊の森から持ち出せないんだから。それに役立たずだし」
ちなみにキースが使っていた剣は王都にある宝物庫に保管してある。セットで置いていてほしいと思うのは変なんだろうか。
ブリジットはベッドから出ると、娘を部屋から追い出した。
「ホットケーキ作るから、ダイニングに行きなさい」
「はーい! わたし、お肉たっぷりのクレープがいい」
「……」
娘の味覚がキースに似ている。
朝食は甘いものがいいと思っているのはブリジットだけだ。
「僕が両方作るよ」
そういって、キースはパパッと着替えると娘の後を追った。
その様子を眺めながら、目を細める。
転生して、「最後の精霊の愛し子」のヒロインだと気が付いて。
チートがないと散々嘆いたけれども。
可愛い娘がいて、優しい夫がいて。
そして、気が向いた時に食べたいお菓子を焼く。
時々王都からやってくるテイラー一家やリンフォードと交流する。
前世、爆発事故で死んだ自分が得られなかった幸せ。
このまま何事もなく。
毎日を過ごしていけたらいい。
Fin.
最後までお付き合い、ありがとうございます。
誤字脱字報告もありがとうございました。
少しでも楽しい時間を提供できたら嬉しいです(^^♪
梅雨も明けて、熱さがますます厳しくなるようです。
皆さまも体にお気をつけて、楽しい毎日をお過ごしください。
それでは




