◆48 聖堂
「いい場所に出たな」
ブリジットの魔力を使い、ベルが飛んだ先は精霊の雫が祀られている王城の地下の聖堂に繋がる廊下。
部屋のど真ん中に出なかったことに、リンフォードは喜んだ。ベルに魔力を持って行かれたブリジットはやや疲れがあるものの、少し休めば問題ない程度。
キースとリンフォードに呼ばれて、そっと聖堂を覗く。
聖堂の中心に繊細な彫刻が施され、宝石が埋め込まれた台座がある。その台座には男性が一人で抱えきれないほどの大きさの丸い形の石。
色は何かを煮詰めたように、真っ黒だ。尊さよりも禍々しさを溢れさせている。
「何、あの気持ち悪い石」
「あれが精霊の雫だよ。穢れ切っていて、尊さの欠片も見当たらないけど」
リンフォードの説明によると、精霊の雫の本来の色は無色透明らしい。王家が儀式を行うことで、代々穢れを払ってきたのだという。
「精霊の雫は、いわば愛の結晶。子孫の感謝と祈りが穢れを浄化する」
「愛の結晶なのに真っ黒です。黒檀かと思いました」
「効率よく穢す方法を見つけたんだろうね」
効率よく……そんな効率の良さはいらない。
「あ、精霊の雫の陰に……誰かいる」
「あれは国王だな」
リンフォードは精霊の雫の陰にいる人をじっと見つめた。
「前にあった時よりも、随分と生気がない。体が精霊の力に負けているのか?」
「精霊が入っているのなら、逆に元気になりそうだけど」
前世の、色々な創作物を思い出し、呟く。大抵、悪の力を取り入れると、ドーピング的に一時期に能力が上がるはずだ。フローレンスも随分と生き生きとしていた。
「普通に考えればね。でも人間の肉体は弱い。長い間、精霊を入れ続けたら衰弱していくだろう」
リンフォードの冷ややかな眼差しに、ブリジットは表情を陰らせた。
確かにこのままにしておけないが、リンフォードにとって国王は父親だ。子が親を殺すなんて、良いことではない。闇の精霊に肉体を乗っ取られて、すでに国王の魂が消滅しているとしても。それでも姿形は国王なのだ。
せめてフローレンスのように魔物、精霊を切り離すことができれば。結果的には同じであっても、直接手をかけなくていい。
「ねえ、闇の精霊がいなくなれば、元に戻るんじゃないかしら?」
「あ、心配してくれているの?」
リンフォードは嬉しそうに笑う。先ほどの冷ややかさが綺麗に消えていた。
「だって」
前世の記憶があるせいなのか。
ブリジットは人を傷つけることがすごく嫌だった。リンフォードに考え直してもらおうと、キースにも意見を請う。
「キースに封じられている穢れも、精霊の雫が破壊されたら消えるんでしょう? 同じように国王陛下も元に戻ると考えてもいいわよね?」
「エルバ司教はそう考えているな」
エルバ司教は。
非常に引っかかる言い方。
その思いが顔に出ていたのだろう、キースが苦笑した。
「すべて初めてのことだから、よくわかっていない」
「じゃあ、どこから消えるという考え方が出てきたの?」
「他の穢れを封じた時はそうだったから。だけど、今回の穢れの大本は精霊。同じになるとは限らない」
キースの考えはもっとも。リンフォードもどちらかというと懐疑的らしい。
「ブリジットが心配するから、先に精霊の雫をどうにかしよう。その後、どうにもならなかったら国王を殺す」
「それがいいと思います」
キースもリンフォードが国王を殺すことにためらいがあったのだろう。彼の提案に頷いた。
「まずは国王を精霊の雫から引き離そう」
手短に役割分担を話し合う。精霊の雫を破壊するのはキース。きっと宝剣が役に立つはず。ブリジットとベルは国王の注意を引き、リンフォードはキースのフォロー。
「ベル、ブリジットをしっかりと守ってほしい」
「わかっているわ! ブリジットも気合を入れて逃げるのよ!」
「うん!」
気合を入れて頷くと、ブリジットとベルは国王の見える場所へと飛び出していった。
◆
「きゃあああ! 何あれ!」
ブリジットとベルが姿を現すと、すぐに国王は反応した。だがこちらを見た目が虚ろで、とてもではないが生きている人間には思えない。闇の精霊が肉体を乗っ取ったと聞いていたが、遠くから見ている限り、人として違和感がなかった。
ところが。
明らかに人としておかしい。
いや、どこぞのゾンビ映画のようなものでも、ホラー映画のような恐ろしい姿をしているわけではないのだが。
背中がぞくぞくする。表現のしようのない恐ろしさを感じる。
「ブリジット、もっと早く走って! なるべく精霊の雫から離れるようにあっちに行くわよ!」
「わ、わかったわ。歌も時々歌うのよね?」
「効果があれば、歌い続けてちょうだい」
走りながら歌うなんて、無茶ぶりをされつつも、ブリジットはロッドを握りしめて走った。国王は変な唸り声を上げながら、こちらにやってくる。
その動きがやや遅く、ブリジットはほっとした。
ちらりとキースたちを見れば、彼らは素早く精霊の雫と距離を詰めている。
「とにかく歌を」
ブリジットは小さな声で、歌い慣れた歌を歌った。メドレーにして、リピートする。
歌が進むにしたがって、国王の周りに幾つも魔法陣が浮かび上がる。それを鬱陶しそうに、国王が振り払う。彼の拳が当たる度に魔法陣は壊れるが、歌い続ければ次々に魔法陣は現れる。
「上手に足止めになっているわ。ブリジット、歌い続けて!」
ベルが状況を把握しながら、ブリジットに指示を出す。ブリジットに周囲を見渡す余裕がないから、とてもありがたい。
国王から距離を取り、魔法陣の状態を確認しながら歌う。
これならば楽に精霊の雫を破壊できるのでは、と期待した時。
視界の端に、沢山の穢れが噴出したのが見えた。
「キース!?」
ベルの声に、足が止まる。精霊の雫に剣を構えたところで、キースの胸から穢れがあふれ出していた。それは彼の体を扉にしていて、キースは苦しそうに顔を歪めた。
それでも剣を手放さないようにと両手で柄を握りしめている。リンフォードもキースから溢れた穢れに吹き飛ばされていた。
ベルがキースの元に向かったのを見て、ブリジットはリンフォードへと駆け寄る。
その瞬間。
目の前に何かが現れた。
真っ黒の髪と瞳をした、人型の精霊。顔は影のようになっていて、はっきりしていないけれども、それでも雰囲気はある。
そのビジュアルを目にした途端、前世の記憶が爆発した。
脳裏には次々と記憶が蘇ってくる。細切れに、スナップ写真がぱらぱらとめくられるように、断片的に映像と情報が浮かんでは消え浮かんでは消え。
「いやああ、ここ、最後の精霊の愛し子の世界じゃない!」
後輩が愛したアニメ「最後の精霊の愛し子」。
そして、闇の精霊と対峙するブリジットは。
何とヒロインだった。




