◆43 突然の偉い人
「うん、初めて食べるけど、なかなか美味しいね。これを知らなかった頃には戻れないかも。ああ、そうだ。もっとクリームを追加してくれないかな? ついでに桃も」
「……どうぞ」
キラキラした美貌の持ち主が、ナイフとフォークを持ち、美しい作法で庶民の代表ホットケーキを頬張る。
あの山のようなクリームを口を汚さずに綺麗に食べるなんて、どうなっているのか。見たところ、口が大きいわけではないから、奥行きか。
そしてクリームがお気に入りのようで、追加要求された。
ブリジットは目を白黒させながら、気にしたら負けだと、突然の訪問客の要求通りにたっぷりとクリームを追加する。
「最近、安心して食べられるものがなくてね。騎士団用の携帯食ばかりだったんだ。携帯食、知っているかい? 死ぬほどしょっぱい上に、固い。どう頑張って食べても、美味しいと感じることがないなんて、すさまじい食料だよね。あのような食事で魔物を討伐する。これは、彼らのとてつもない努力だ。これからはもっと美味しいものを携帯食にできるよう、働きかけるつもりだ」
キラキラした貴人は騎士団の努力を称賛し、これからの意気込みを語る。安心して食べられないってどういうこと、と色々なところに疑問があったが、聞いてしまってはいけないだろうと、食に関してだけ返した。
「わたしは干し肉を齧ったことがある程度ですが、確かに塩辛いです。口に合わない食事は辛いでしょうから、携帯食の開発はとても素晴らしいです」
「そうだろう? 誰も陳情してこないから知らなかったが、あれは血圧が上がる。悪魔の食べ物だよ」
美味しそうにホットケーキを口に運びながら、器用にも騎士たちの健康に憂いた顔をした。
そんな風に適当に会話しながら、この人は一体誰だろうと心の中で必死に考える。辺境領地で暮らしていて、成人後は貴族らしくない生活をしていたブリジットには彼が誰であるかがわからない。
だが、これだけの麗しさ。着ている服は飾り気がほとんどない。それでもオーダーだろうとわかるほど体にピタリと合っていて、上等な生地を使っている。
そして、教会の施設を気軽に歩くことができる。教会で麗しい姿と言えば、聖騎士だ。それにしては線が細い。結局誰であるか想像がつかず、高位なる尊い人という判断以上にはならない。
頭の中で忙しく考えつつも、ブリジットは彼の機嫌を損ねないようにホットケーキを給仕し続ける。
ベルのために作った大きなホットケーキはどんどんとなくなっていく。残りもすべて食べてしまう勢いだ。
ベルをちらりと見ると、こちらは諦めたのかふてくされた様子で丸くなっていた。ベルでさえ、文句が言えない相手。
ブリジットは教会の大司教と近い位置にいる聖職者かもしれない、とそう推測した。ホットケーキを食べたら出て行ってくれないかな、と不敬なことすら思っている。
「お代わり、いかがですか?」
「君たちは食べていないけど、残りももらっていいのかな?」
今更の気遣いに、ベルの耳がぴくりと動く。ほぼ食べつくした状態で、何を言っているんだとベルの目が伝えていた。
「もちろんです。また焼けばいいので」
「そう。じゃあ有難くいただこう」
そう嬉しそうに頷く。残っていた二切れのホットケーキを彼の皿にのせた。そして、その上にクリームをホットケーキが見えなくなるほど積み上げ、仕上げに桃を飾る。それを食べ終わるのを待ってから、キースが彼に声をかけた。
「王太子殿下」
「リンフォードと呼んでほしいな。従弟殿」
ナプキンで口元を拭いながらリンフォードはキースに返した。キースは何とも言えない顔をしている。
「しかし」
「従兄弟であるのに初対面なのは許してほしい。でも、私はずっと君に会いたかったよ」
ブリジットは驚きに目を見張り、二人をこっそりと見る。
キースが王妹の息子であるのなら、国王の息子であるリンフォードは確かに彼の従兄になる。よく見れば、似ていないこともない。
今までかかわったことのない雲の上の存在。すぐさま距離を取りたいと、さり気なく後片付けをし始めた。ここを綺麗にしたら、二人きりにしてあげよう。とにかく不敬にならないように、ここから脱出することだけを考える。
「もちろんブリジット嬢にもね」
「えっ!?」
突然、注目されてブリジットはお皿を持ったまま、硬直した。
「そんなに驚かなくとも。君の父上は国王の叔父。つまり、君も傍系であるが血族だ」
「血族?」
強い口調で血族と言われたが、実感が全くなかった。ブリジットが王族として認められたことはないのだから、仕方がないこと。
「反応が薄いなぁ。叔父上は何もしていなかったのかな?」
「王弟殿下のことですか?」
「そう。リュエット伯爵家とはずっと繋がりがあると思うんだけど」
王弟とリュエット伯爵家と言われて、なるほどと頷いた。王弟は年に何度かリュエット伯爵領にやってくる。もちろん挨拶はするが、話をすることはほとんどない。ブリジットが幼かったというのもあるかもしれない。
「何度かご挨拶をしましたが、そのぐらいです」
「そんなものかな。まあ、いいや。年の離れたお兄さんだと思ってもらえれば」
「絶対にムリです」
力強く拒否した。リンフォードは「ははは」と楽し気に笑う。随分と軽い雰囲気のリンフォードにブリジットはどうしていいかわからない。それはキースも同じようで、戸惑いが顔に浮かんでいた。
「二人にはフォード兄さまと呼んでもらおうかな。いいね、兄さま呼び」
一人で楽しげに話すリンフォード。永遠と続くかと思われた彼のおしゃべりは突然終わった。
「何やっているんですか、王太子殿下」
「エルバ司教。可愛い弟と妹に親しみを持ってもらいたくてね」
「今は遊んでいる場合じゃないんですよ。やめてください」
ようやくこの訳の分からない状態が終わると、ブリジットとキースはほっと息を吐いた。




