◆41 事情の説明
エルバ司教が案内した場所は、回廊を抜けてすぐ側にある建物の一室だった。来客用なのか、質の良い調度品が使われており、大きな窓はまるで絵画の額縁のように庭の様子を切り出している。他の場所とは趣が異なり、木々の緑が精霊の森にいるよう。
落ち着いた空間に、先ほどの出来事が嘘のように思えてくる。キースも少し痛みが引いているのか、表情が柔らかい。
エルバ司教に椅子を勧められ、腰を下ろすとブリジットは頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございました。あのままだったらどうなっていたことか」
ブリジットのお礼に、エルバ司教は首を左右に振る。
「謝罪をするのはこちらの方だ。まさか、あのような穢れを持つ者が教会に入ってこられるとは。どうして今まであれほどの穢れに気が付かなかったのか」
その言葉から、リリアンの存在については教会も認識していたことを知る。その事実を恐ろしいと思いつつ、確認する。
「ええっと、彼女、リリアン・カーギル子爵令嬢ですよね? よく教会に来ているのですか?」
「半年ぐらい前から、毎日のように足を運んでいてね。教会ではとても熱心だと知られている」
「半年……」
ちょうど、キースが精霊の森に来た頃だ。時期は、偶然の一致なのか。
思わず隣に座るキースを見た。
「キースはカーギル子爵令嬢と顔を合わせたことがある?」
「カーギル子爵令嬢と? 僕は成人してすぐに聖騎士団に入っているから、今も昔も接点はないはずだ」
「んー、お茶会とか夜会とかで、間接的に会っているとか?」
「それもないな。僕は社交界には一度も参加したことはない」
きっぱりと否定されて、目を丸くした。リリアンとは関係ないところが気になった。
「一度も、って。成人の儀式の後の夜会も? あれは貴族の子女は全員参加でしょう?」
「異母兄にお願いして、欠席した。僕の母は王妹でね、社交界には歓迎されていない」
さらりと重大な情報が交ざっていた。
「え?」
「おや、ブリジット嬢は知らなかったのかい?」
エルバ司教が面白そうに口を挟んできた。その様子に、事実だと悟った。
「王妹って……本当に? 王族の親族だって言っていたけど、え、王妹?」
「はっきり言わなくてごめん。一番評判の悪い末の異母妹だから、言いにくくて」
ブリジットも国王の末の異母妹の悪い噂については聞いたことがある。リュエット伯爵夫人の友人たちが話していたのを聞きかじった程度だが、辺境にまで聞こえてくるのだ。話半分で聞いていたけれども、キースがこれほど嫌がるのだから事実に近いのかもしれない。
「じゃあ、キースは王族になるの?」
「ならない。国王が大切にしているのは異母妹であって、僕じゃない。それに、国王は伯父に当たるが、一度しか会ったことがないしね」
そうであっても、現国王の甥である。
今までのような気やすさはもしかしてダメなのでは? と混乱した頭に今までのことが駆け巡る。
「不敬とか考えなくていいから。それに僕が王族だと言い張るのなら、ブリジットも同じだろう?」
「……知っているの?」
ブリジットは二度目のびっくりだ。まさか自分の出自を知られているとは思っていなかった。
「辺境伯領で私がキースに伝えた。勝手なことをして申し訳ない」
「いえ。実際、わたしは父を知らないので、そういう事実がある程度なので……逆に王族の血を引いていると言われると少し疑問というのか」
正直、ブリジットには自分が王族の血筋だということはぴんとこない。ブリジットにとって両親はリュエット伯爵夫妻しかいないからだ。それに王族としての何かが今まであったわけではない。それこそ、遺産も何も受け継いでいないのだから。
「ふうむ。ブリジット嬢は自分のご両親については何も聞いていないのかい?」
「ええ。特に知らなくてもいいかなと思って。リュエット伯爵家の両親は話す準備はあると言っていたのですけど。聞いても仕方がないかなと」
両親の記憶がないまま養女になったことが良かったのだ、とブリジットは考えている。
「それも一つの考え方だね。リュエット伯爵夫妻はとても愛情をもってあなたを育てたようだ」
「ええ。とても」
養父母を褒められて、ブリジットは嬉しくなった。覚えのない生みの両親に縋る必要がないぐらい、愛されている。
どこかほのぼのとし始めた頃、強く扉が叩かれた。その乱暴な音に眉をひそめながらエルバ司教が扉を開けた。
「キース!」
弾丸のように飛び込んできたのはベルだ。キースにしがみつくと、肉球の手でペタペタと色々なところを確認している。
「変な執着女が出たと聞いて! きゃあ、封印が弱くなっているじゃない。もしかして、触られたの? 消毒しなくちゃ!」
「触られていないから大丈夫だ」
「でも、すごく疲れた顔をしているわ! 今、回復魔法をかけるわね」
ベルはキースの言葉を聞くことなく、さっと回復魔法をかける。ベルの魔法がキースを包み込むが、すぐにそれも消える。
「な、なんてこと! わたしの魔法が全く効いていないじゃない!」
「ベル、落ち着いて。穢れが活性化しているだけだから」
「落ち着いてなんかいられないわ! 穢れが活性化って……もしかして執着女が原因ね!? 許せないわ!」
ベルが恐ろしいほどの正確な推理をする。そして、ぎらり殺意に満ちた目をした。
「ベル、落ち着きなさい。まだ話し合いの途中だから」
興奮するベルをエルバ司教がひょいっと持ち上げた。
「ちょっと、エルバ司教! おろして!」
「大人しくしていられるなら、ここにいる許可をしよう」
「わかったわ、ちゃんと大人しくする」
ベルが答えれば、エルバ司教は彼女を解放した。ベルはすぐにキースの膝の上に乗る。
「話を戻すが、カーギル子爵令嬢が穢れを持っていたことで間違いないな?」
エルバ司教の問いに、キースは頷いた。
「彼女の穢れ、僕に封じられている穢れに呼応していた」
「呼応?」
「お互いに干渉しあって増幅するような、そんな感じだった」
キースは自分の胸の封印に触れる。
「あの時、歌ってみたけど、精霊の森にいた時ほど効果はなかったわ」
「でも歌が無かったら、間違いなく絡めとられていた」
「……カーギル子爵令嬢、魔法陣を拳で叩き割ったわ」
あれほどびっくりしたことはない。魔法陣というのは素手で割れるのだと初めて知った。
「なるほど。まったく効果がなかったのかい?」
「いいえ。カーギル子爵令嬢、わたしが歌ったら初めはすごく苦しそうにしていて。だけど、歌えば歌うほど穢れが溢れてきて。その後、背中から魔物が生えて来たの」
「魔物が?」
エルバ司教が驚きの声を上げた。
「穢れがお互いに力を分け与えるなんて、聞いたことはない。それに、魔物が人に憑りつくなんて……あるのか?」
「あるわよ」
ベルがなんてこともないような口調で言い切った。




