◆38 リリアンの事情1
リリアンの不幸の始まりは成人の儀式の日だった。
カーギル子爵家の次女であるが、リリアンには婚約者がいない。
成人前であったが、交流のあるいくつかの男爵家や子爵家から縁談を貰っていた。ただし、どれも跡取りではなく、気に入らずにすべて断っていた。
この国では爵位を継承できない者は貴族出身であっても、平民だ。もちろん普通の平民とは異なり、貴族の特権がほんの少しだけ使える。上手く使う人であれば、それで財産を作ることもできるし、貴族の血筋ということで、平民よりも比較的楽に城の文官や騎士などになれる。
努力できる人間と一緒になるのも悪くないのだが、リリアンは身分以上に生活水準が落ちることが嫌だった。だから、最低でも子爵家の次期当主という肩書を持つ相手が狙いだ。
身分も財産もない男と結婚することなどあり得ない、そんな考えを持つようになったのは、リリアンの母の影響だった。
彼女は伯爵家の娘であったが、爵位を持つ嫡男を選んだ結果、カーギル子爵家に嫁いできた。ところがその生活水準がことごとく合わない。特にリリアンの母の実家である伯爵家はとても羽振りの良い家なのだ。母に連れられて遊びに行く伯爵家はすべてが違った。屋敷の大きさも、使用人の数も、それから調度品の質も。
そして従兄弟たちの持っている物も。
従兄は跡取りだから納得できるものの、従姉妹たちもリリアンよりもはるかに良い生活をしていた。ドレスは最新のモデル、宝飾品も年齢にふさわしいデザインであったが、使われている宝石は一目で高品質のものだとわかる。いつも人の輪の中心にいて、キラキラした空間を作り出していた。
見たくないと思っていても、自然と自分たちの持っているものと比べてしまう。
それはリリアンだけではなく、姉エロイーズ、それから二人の母であるカーギル子爵夫人までも伯爵家の人たちと比較しては憤慨していた。
カーギル子爵夫人は甲斐性のない夫ではなく、娘時代と同じく父である前伯爵に甘えた。
「お父さま、お兄さまの娘たちが婚約したと聞いたわ。とても良い縁談だと」
「おお、そうなのだ。伯爵家の事業提携を進めるために、二人の嫁ぎ先が決まった。格上の家との縁談で、二人はとても努力したのだ。是非とも幸せになってもらいたいものだ」
前伯爵はどこか嬉しそうに笑顔を見せる。
「ねえ、お父さま。わたくしの娘もお父さまにとって、かわいい孫ですわ。娘たちに良い縁談を用意してほしいの」
「そうだな、長女は成人の儀式も近かったな」
「ええ。可愛い娘たちですもの、あまり苦労させたくないわ。だから裕福な貴族家が良いのだけど……」
カーギル子爵の縁では期待する縁談は取り付けられないだろうから、と恥も外聞もなく父親に強請った。
エロイーズもだが、リリアンも凄く期待していた。伯爵家の娘二人は上位貴族に近い位置にいる伯爵家の跡取りと婚約している。もちろん仕事の繋がりでの政略結婚であるが、この伯爵家よりもさらに経済力のある家だ。リリアンたちは同じような相手を期待していた。
「ふうむ」
前伯爵は顎をさすりながら、考え込む。
「できれば伯爵家以上の跡取りが良いですわ」
カーギル子爵夫人は希望を告げる。
「わしの知り合いの息子たちは皆婚約しているか、もしくはすでに結婚しておる。紹介のできる家はあったかなぁ」
祖父の薄情な言葉に、リリアンはむっとした。同じ孫なのだ。従姉妹たちと同じようにしてもらいたい。
「そもそも王都で活動する独身の令息は年齢が合わない」
「では、もっと辺境でも構いません」
「辺境? お前たちの望みは王都に住まうことだと思っていたが」
「結婚して跡取りさえ生んでしまえば、王都で暮らせるでしょう?」
カーギル子爵夫人の言葉に、前伯爵は驚いたように眉を跳ね上げた。
「何を言っている」
「王都以外では娘たちが可哀そうですもの。それに娘たちは王都にいてこそ輝くの。夫ならば、妻が輝く方が嬉しいはずよ」
「お前は」
前伯爵は呆れた様子を隠すことなく、大きく息を吐いた。
「……そうだな。子爵家、男爵家ならば、何人か紹介できる」
「何故、格下の家なのです? わたくしの娘たちも同じ孫ですわ! 可愛くないとおっしゃるの!」
カーギル子爵夫人は目を吊り上げて抗議した。
「そういうわけではないが、紹介できる相手がいないのだから、仕方がないだろう」
「それをどうにかしてほしいとお願いしているの!」
娘時代のように癇癪を起したカーギル子爵夫人に前伯爵はむっつりと口を結ぶ。ぎゃんぎゃんと騒ぐカーギル子爵夫人の声が途切れたところで、エロイーズが割って入った。
「お祖父さま、わたくし、婚約したい相手がいますわ」
「そうなのか? 婚約者のいない相手だろうな?」
「ええ。リュエット伯爵家のテイラー様と縁を繋いでほしいです」
リュエット伯爵家。
リリアンは初めて聞く家の名前に首を傾げる。それを見たエロイーズがちょっと意地悪く笑った。
「リリアンは知らないでしょうけど。辺境地域の伯爵家よ」
「お姉さま、どこでお知り合いになったの?」
「お茶会で紹介されたの」
エロイーズが参加する茶会は親交のある貴族たちが開く。彼女が成人前でも精力的に行動していたことを思い出し、その中で知り合ったのだと理解した。リリアンは唇を尖らせる。
「いい人がいるのなら教えてくれても良かったのに」
「冗談でしょう? 未成人だからある程度は見過ごされるとはいえ、マナーがなっていないあなたを連れて行けるわけないじゃない」
どこか見下したような発言に、ますます唇をへの字に曲げた。
「わたくし、まだ十四歳ですもの。お姉さまと同じレベルを求めないでほしいわ」
「二人とも、やめないか。それでエロイーズはリュエット伯爵家のテイラー殿と交流があるのかね?」
「ちゃんと挨拶しましたわ」
堂々を言い放ったエロイーズに、前伯爵はこめかみを揉んだ。
「話にならない。リュエット伯爵家と言えば、マクラグレン辺境伯家の分家だ。縁談を申し込むには、エロイーズでは色々足りな過ぎる」
「足りないと思っているのはお父さまだけでしょう。相手がどう思うか、わかりませんわ」
カーギル子爵夫人が身を乗り出した。
「エロイーズはとても美しいのですよ。一目で恋に落ちるかもしれないじゃないですか」
「美しいのは否定、しないが」
「では、打診をお願いしますね」
渋々といった様子で前伯爵は頷いた。
これでいい相手と結婚できるとエロイーズは喜んでいたけれども。
リュエット伯爵家からは、丁寧なお断りの手紙が来ただけだった。




